どこかで見たことあると思って。
気になるのは、住み慣れた島の詳しい状況です。
豊かな海に恵まれた海女漁の盛んな町です。
この海をルーツに持つお笑い芸人がいます。
その人とは…。
お笑いコンビよゐこの濱口優さん。
バラエティー番組で見せる豪快な素潜り漁でおなじみです。
実は濱口さんの曽祖母もかつてこの町で海女をしていました。
濱口さんは生まれも育ちも大阪ですが祖父の代までは波切で暮らしていました。
ふるさとを離れた理由が気になっているといいます。
番組では濱口さんに代わり家族の歴史を追いました。
戦時中祖父が携わった敵機の監視。
いち早く見つけたB29。
その功績で注目を集めます。
戦後すぐ祖父が始めたかつお節工場。
しかしある事件がきっかけでふるさとを追われる事になります。
移り住んだ大阪で始まったたたき上げの職人人生。
その執念で成功をつかみます。
更に祖父が大切にしていた一枚の絵。
そこには誰にも語らなかったある記憶が隠されていました。
そして両親が初めて明かす息子優への思い。
この日濱口さんは知られざる家族の歴史と初めて向き合う事になります。
濱口さんの両親は現在大阪で暮らしていますが祖父次男の代まで三重県に住んでいました。
かつて濱口家が暮らしていた…あっ懐かしい!ここや。
おはようございます。
三重県の志摩半島は日本で最も多くの海女がいる地域。
波切では現在も15人の海女がアワビやサザエをとっています。
昭和初期400人を超える海女がいました。
濱口優の曽祖母ゆうもその一人でした。
ゆうは早くに夫を亡くします。
女手一つで息子たちを育てなければなりませんでした。
ゆうの後輩の海女だった…坂中さんはテレビで優の姿を見る度ゆうを思い出すといいます。
そうですね。
その血があんねや。
ゆうの息子次男。
優の祖父です。
次男は母を助けるため尋常小学校に通いながらかつお節の加工場で働き始めます。
波切では江戸時代からかつお節が盛んにつくられていました。
今なお4軒の加工場が昔ながらのつくり方を守っています。
(取材者)こんにちは。
はい。
次男の幼なじみ…次男はひたむきに働いていたといいます。
そんな次男は海女漁に出た母の帰りをいつも浜で待っていました。
夏になるとその浜にははまゆうの花が咲きます。
水の少ない砂地に根を張り潮風にさらされながら咲く花。
次男はこの花が大好きでした。
写真あったわ…。
次男が14歳の時太平洋戦争が勃発。
敵の飛行機をいち早く見つけるための拠点「防空監視哨」が波切にもつくられます。
飛行機の種類や飛んでいく方向などを監視隊本部に伝える重要な役割を担っていました。
青年団長を務めていた次男もその監視員に選ばれます。
全国の防空監視哨について研究する…波切にある寺の住職秀森一陽さんの父は次男たち後輩に飛行機の見分け方を教えていました。
昭和19年12月のある日。
次男は監視にあたっていました。
その時次男がB29の姿をとらえます。
すぐに本部へ報告しました。
次男の息子克己さん。
次男はその時の事を自慢げに語っていたといいます。
当時の記録を探すと次男の事と思われる新聞記事が見つかりました。
B29をいち早く発見。
その功績により三重県内の警察署長から表彰されています。
そんな次男が18歳の時ある出会いが訪れます。
監視哨からの帰り道。
一人の女性の優しい笑顔に目が留まりました。
当時17歳。
後の優の祖母です。
次代さんは現在87歳。
出会った頃次男にもらった贈り物が忘れられません。
幼なじみの池村さん夫妻。
2人の仲は瞬く間にうわさになったといいます。
交際を始めた次男と次代。
名前のよく似た2人は終戦後の昭和22年結婚します。
そして間もなく元気な男の子が生まれます。
後の優の父です。
家族ができた次男はかつお節づくりで一旗揚げようと決意します。
自分たちで加工場を造ろうと幼なじみの政夫に持ちかけました。
政夫…。
えっ?政夫さんは亡くなりましたが妻和子さんが今も波切に暮らしています。
次男たちの加工場の跡地に案内してもらいました。
かつお節を売りに行く船も手に入れ商売は順調に滑り出します。
2人目の子供にも恵まれ一家は幸せでした。
ところが3年がたったある日思わぬ事件に巻き込まれます。
つくったかつお節を売るため船で出ていった従業員がそのまま行方をくらましたのです。
かつお節の売上金も船もろとも盗まれました。
残されたのは多額の借金だけ。
昭和30年次男は借金返済のため土地と家を手放しました。
濱口家は全てを失いふるさと波切を離れる事になったのです。
へぇ〜…。
はい。
あの〜…。
はぁ〜…。
昭和32年波切を離れた濱口家がたどりついたのは大都会大阪でした。
当時既に30過ぎだった次男は同じ波切出身の石工に弟子入りします。
「石工」とは石を細工して石垣などをつくる職人の事。
台風の多い波切では石工の技術が発達します。
波切の石工たちは全国各地にわたり仕事をしていました。
働き出して2年目。
次男に大きな転機が訪れます。
石工として働きに行った現場で「コンクリートはつり工」という仕事を知ります。
コンクリートの壁を壊したり削って形を整える職人です。
次男は石工の修業でのみや金づちの扱いにたけていました。
そこで思い切って「はつり工」に転身します。
家族のために必死で働く中で次男が心の支えにしていたものがあります。
よいしょ。
ああ〜…。
ふるさと波切に咲いていたはまゆうの写真。
大阪に来てから次男はよくこの写真を眺めていました。
時代は高度経済成長期。
昭和30年代半ば大阪も団地建設ブームに沸きます。
水道管を埋め込むために壁を削る作業などが増え目が回るような忙しさになります。
そこで仕事を拡大しようとふるさと波切から人を呼び寄せ職人として雇いました。
かつて次男の下で働きました。
このころ中学卒業を控えていた次男の長男克己。
懸命に働く父の姿を見るうち高校に行きたいとは言いだせず父を手伝う事にしました。
大きな仕事が舞い込みます。
(取材者)ここですか?国鉄大阪環状線の工事を依頼されたのです。
列車の振動や騒音を抑えるため基礎部分のコンクリートを削り橋脚に鉄板を差し込む仕事でした。
国鉄の工事に関われるうれしさのあまり次男は頼まれた以上の仕事を買って出ます。
熱心な仕事ぶりが認められた濱口親子はその後国鉄の工事に呼ばれるようになります。
そして「浜口組」と名乗ります。
浜口組という名前が付いたのはもうこれだけしかない…。
仕事が軌道に乗り始めると次男はある決心をします。
浜口組で働く職人たちを引き連れふるさと波切へ里帰りする事にしたのです。
「成功した姿をふるさとの人に見せたい」。
次男は誇らしげでした。
失礼します。
はいこんにちは。
その時の次男の姿が目に焼きついています。
一方当時10代後半の克己にはある複雑な思いが芽生えていました。
仕事中ふと顔を上げると制服を着た楽しそうな高校生の姿。
うわ〜…。
そして大阪万博が開かれた昭和45年。
この年22歳になった克己に運命の出会いが訪れます。
仕事帰り。
一人の女性がなぜか気になりました。
家まで列車を乗り継いで30分。
「もしあの人が同じ駅で降りたら声をかけよう」。
すると…。
「よかったらお茶でもどうですか?」。
その人こそ後に優の母となる…当時18歳でした。
惠子が克己と出会うまでの歳月。
それもまた波乱に満ちたものでした。
昭和26年惠子は大阪で大工を営む家の長女として生まれます。
ところが惠子が4歳になったある日。
父が賭け事で大きな借金をし住んでいた家を失います。
両親は離婚。
惠子とまだ1歳の弟は食堂を営む母の実家に身を寄せる事になりました。
「自分たちは居候の身」。
惠子はいつも気を遣っていました。
幼い頃から食堂の仕事を手伝う姉の姿を覚えています。
惠子もまた家計を支えるため高校へは行かず中学卒業後働きに出ます。
惠子はテレビの組み立て工場に就職し働き出します。
そして3年がたったある日仕事帰りに男性に声をかけられました。
それが濱口克己だったのです。
出会って1年2人は結婚。
そして昭和47年1月かわいい男の子に恵まれます。
それが濱口優です。
う〜ん…。
そうですね。
なんかこう…。
そうっすね〜。
克己と惠子が結婚して10年。
夫婦は3人の息子に恵まれました。
50代になった浜口組の親方次男の下で克己は懸命に働きます。
国鉄の工事の多くは終電後の深夜の仕事でした。
明け方帰ると体はくたくたでした。
子供たちと遊ぶ事もどこかへ連れていく事もできません。
優の弟秀二さんと善幸さんにとって克己は厳しい父親でした。
がむしゃらに働いていた頃に克己が手がけた思い出の工事があります。
ホームを削り点字ブロックを取り付ける工事でした。
当時大阪環状線のほとんどの駅が浜口組に任されました。
浜口組の仕事は順調でした。
すると祖父次男が自宅の一角に喫茶店を開きます。
次男が付けた店の名前は「はまゆう」。
ふるさと波切に咲いていたあの花の名前です。
更に次男はわざわざ波切まで行き妻次代の実家の庭に咲いていたはまゆうを掘り起こし大阪まで持ち帰りました。
だからあったんか。
そしてそのはまゆうを店の前の花壇に植え毎日欠かさず水をやり大切に育てました。
喫茶はまゆうがオープンすると惠子は店を手伝い始めます。
子育てをしながらある夢がありました。
そんな中一番の心配の種が…そろばんや習字。
どんな習い事をさせても1か月と続きません。
そんな優が高校受験を迎えます。
試験当日の朝。
克己と惠子は出かける息子を祈るような思いで見送りました。
自分たちが行きたくても行けなかった高校。
何としても受かってほしい。
合格発表の日。
2人はそれぞれ仕事をしながらも優以上にそわそわしていました。
・そして優から惠子に電話がかかってきました。
その時の思い出の品が28年たった今も大切に取ってあります。
高校に入学した優は学校生活のかたわら祖父と父の下で仕事を手伝い始めます。
「3世代で鉄道工事」。
仕事仲間からそう言われ次男も克己も優に期待していました。
ところが高校卒業を前に優が突然こう言いだしたのです。
「俺は芸人になりたい」。
優は許してもらえないと思っていましたが両親の反応は意外なものでした。
しかし克己にはこの時言えなかったある思いがありました。
平成2年優は中学からの同級生有野晋哉と「なめくぢ」というコンビ名でデビュー。
最初は鳴かず飛ばずでした。
その後所属事務所から「よいこ」への改名を勧められます。
渋る優を克己は叱りつけます。
そして「よゐこ」に改名すると徐々に売れ始め注目を集めるようになったのです。
そんな優の活躍に祖父次男は目を細めていました。
ふるさと波切に帰る度優の事をうれしそうに自慢したといいます。
優の活躍は濱口家のルーツ波切の人々にも伝わったのです。
いや〜…。
へぇ〜。
ああ…。
うんなんか…濱口優さんの実家喫茶はまゆう。
開店から33年がたった今も朝6時半には客を迎えます。
おはよう。
おはようございます。
ほとんどは常連客。
喫茶はまゆうは地域の憩いの場になっています。
お父さん。
父克己さんは12年前40年以上続けてきた仕事をやめました。
きっかけは胃潰瘍で大量の血を吐き緊急手術をした事でした。
長男の優さんはその年少しでも体を癒やしてもらおうとあるプレゼントをしました。
1泊2日家族での箱根旅行。
弱気になっていた克己さんは温泉の中で優さんに言いました。
「自分にもしもの事があったら母さんをよろしく」。
優さんは怒ったように言い返しました。
「当たり前やろ!俺が濱口家の長男なんや」。
そして60年前ふるさと波切を離れた祖父次男さん。
平成7年68歳で亡くなりました。
そんな祖父が大切にしていたものがあります。
遺影の隣に飾られた一枚の絵。
波切の石段の風景です。
36年前浜口組の仕事が最も順調だった頃に次男さんが買ってきました。
祖父次男さんがいつも眺めていたふるさとの風景。
どこを描いたものなのか波切に向かいました。
あの絵の事を覚えています。
あの絵は次男さんが地元出身の画家に頼んで描いてもらった事が分かりました。
そして幼なじみの池村さんにも心当たりがありました。
描かれていたのは結婚前次代さんに会うために来る日も来る日も上った思い出の石段でした。
かつてふるさとを追われるように出ていった次男さん。
仕事が軌道に乗った時画家を石段に連れて行きわざわざ描いてもらったのです。
石段を上った先には妻次代さんの実家があります。
もう誰も住んでいない建物。
その庭にはかつてはまゆうが咲いていました。
次男さんは喫茶店を開く時ここからはまゆうの花を掘り起こし持ち帰ったのです。
それから33年。
波切から大阪にやって来たはまゆうは次男さん亡き今も夏になると花を咲かせます。
はまゆうの花言葉は「どこか遠くへ」。
はまゆうの種は海を漂流し流れ着いた砂地で潮風にさらされながらも力強く花を咲かせるのです。
濱口優さんの「ファミリーヒストリー」。
2つのふるさとに根を張りはまゆうのようにたくましく生きた家族の歳月でした。
もうあしたにでも帰りたい感じですね。
帰ってあげないと…帰らないと…いや帰りたいですね。
2015/05/29(金) 22:00〜22:50
NHK総合1・神戸
ファミリーヒストリー「濱口優(よゐこ)〜“はまゆう”の花のように、強く〜」[字]
濱口優の特技は素潜り漁。ルーツは三重で海女をしていた曽祖母にあった。故郷を追われた祖父は、大阪でたたき上げの職人に。家族への思いと“はまゆう”の花が支えになる。
詳細情報
番組内容
濱口優の特技は素潜り漁。そのルーツは三重で海女をしていた曽祖母にあった。取材で浮かび上がるのは、濱口家が故郷を追われた事件。その後、大阪に移り住んだ祖父は、たたき上げの職人人生を送り、「濱口組」を立ち上げる。親子で国鉄工事に携わった祖父と父の職人としての誇り。そして、両親の運命の出会いと、息子・優への思い。さらに、祖父が愛した“はまゆう”の花と故郷の風景を描いた1枚の絵。秘められた思いが明らかに。
出演者
【出演】濱口優,【語り】余貴美子,大江戸よし々
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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音声 : 2/0モード(ステレオ)
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