あの日 わたしは〜証言記録 東日本大震災〜「宮城県気仙沼市 菅原進さん」 2015.05.25


(テーマ音楽)宮城県気仙沼湾に浮かぶ気仙沼大島。
およそ3,000人が暮らしています。
東日本大震災では津波で大きな被害を受け更に大規模な津波火災で全島民が危険にさらされました。
津波が気仙沼湾を襲った頃1艘の船が沖に向かっていました。
本土と大島を結ぶ連絡船ひまわり号です。
ひまわり号の船長…津波から逃れたあと大島を救うために本土と島の間を何度も往復しました。
あの日大島の自宅で激しい地震に襲われた菅原さんは津波が来ると考えひまわり号に乗り込みます。
沖に出ようとした時大きなうねりが目の前に迫ってきます。
決死の覚悟で波に向かっていきます。
大島では津波で多くの家屋が流され31人が犠牲になりました。
フェリーや連絡船も壊れ島は孤立していました。
難を逃れて海上にいた菅原さんはその夜本土の異変に気付きます。
それは気仙沼の港で発生した大規模な津波火災でした。
炎は海を渡って大島に燃え移り3月14日には島の中央にある住宅地に迫ります。
そのころがれきが漂う気仙沼湾を本土に向かう船がありました。
生還したひまわり号です。
この時ひまわり号が島で唯一の交通手段でした。
本土の港には一刻も早く大島に戻ろうとする島民たちが船を待っていました。
ひまわり号は数百人の応援と共に消火に使うポンプや食料などを島に届けました。
こうして3月15日には全島一丸となった消火活動が功を奏し住宅地への延焼を食い止める事ができました。
その後も菅原さんは本土と大島をつなぐ生命線の役割を果たし続けました。
2015/05/25(月) 10:50〜10:55
NHK総合1・神戸
あの日 わたしは〜証言記録 東日本大震災〜「宮城県気仙沼市 菅原進さん」[字]

東日本大震災に遭遇した人々の証言。宮城県気仙沼湾に浮かぶ気仙沼大島で連絡線の船長を務める菅原進さんは、孤立した島を救うため震災直後から船を走らせ続けた。

詳細情報
番組内容
東日本大震災に遭遇した人々の証言。宮城県気仙沼湾に浮かぶ気仙沼大島で島と本土を結ぶ連絡線の船長を務める菅原進さんは、孤立した島を救うため震災直後から船を走らせ続けた。

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント

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