2008年の記事で、レイシャル・ハラスメントが連鎖的に進行する事例について紹介したことがあります(「連鎖」)。この事例では、告発を受けたAさんも上司も、それぞれのふるまいがレイシャル・ハラスメントに相当するということに気づきません。それはいったい、なぜでしょうか。
(1)悪意をともなわない場合
Aさんが告発の意味を理解できなかった最大の理由は、差別心から発言したわけではないものを差別だと指摘されたためです。
しかし、「偏見と差別の関係」でも解説したように、差別がいつも「被差別者を傷つけてやろうという明確な悪意」から生じるとはかぎりません。
例えば、統計的差別の場合はいっさいの悪意がなくとも差別は生じますし、三者関係の差別の場合は見下しの感情が自覚されることはまれです。また、薄く広く蔓延している偏見にもとづいて差別発言をしてしまう場合、みんなが同じような偏見を共有していていわば「常識」のようになっていますので、自分が偏見を持っていると気づくことはとても難しくなります。悪質なヘイトスピーチのようなものを除けば、むしろ悪意をともなわずに無自覚的に行われる差別のほうが多いかもしれません。
したがって、行為者側に「明確な悪意」があったかどうかは、こと差別についてはあまり意味がないのです。重要なことは、(1)歴史的、恒常的に差別が成立している何らかの属性に関わる言動があり、(2)その言動によって、受け手の側が不愉快に思ったり傷ついたりしたかどうか、の2点です。
セクシュアル・ハラスメントについては、長年にわたる議論を経て、やっと、受けての側の感情が重要だと理解されるようになっているように思います。
例えば、職場にヌードポスターが張ってある場合、かりにその意図が「男子職員の一体感を高め、就労意欲を鼓舞するため」であったとしても、職場に性的なものを掲示されるだけで不快感を覚えたり、自分が性的な視線でまなざされる脅威を感じ取ったりする職員がいれば、環境型のセクシュアル・ハラスメントとなります。
レイシャル・ハラスメントについても同じことが言えます。告発を受けた言動があるとき、行為者に悪意があったかどうかは重要ではありません。その行為の受け手の側の感情こそが重要なのです。
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ところで、「連鎖」の事例で、告発を受けたAさんも上司も、それぞれのふるまいがレイシャル・ハラスメントに相当するということに気づかなかった理由が他にもいくつかあります。次回以降に解説していきますので、皆さんも考えてみてください。