採用情報
今回の登場人物
栗林 健太郎(あんちぽ)
人間たちからあんちぽくんと呼ばれるペパボの執行役員CTOとしてすっかりおなじみ。常日頃アウトプットの重要性を訴えつつ、自ら率先してアウトプットを行う。GMOグループの新卒エンジニア向けに発表したスライドが巷で話題。
松本 亮介
技術基盤チームのアドバンスド・シニアエンジニアとして2015年4月に入社。mruby活用によるOSSへの貢献が評価され、数々の賞を受賞。京都の大学院博士課程を経て、ペパボ就職と同時に福岡へ移住。一児の父。
ペパボの執行役員CTOであるあんちぽくんが今会いたいエンジニアを招き、技術や仕事の枠を飛び出して話を聞く通称『あんちぽの部屋』。インタビュー公開10本目を記念して復活した記念すべき回のゲストは、2015年に7人目の技術基盤エンジニアとして入社したmatsumotoryです。
matsumotoryという男
- あんちぽ
- 今日は、今年の4月からペパボに入社された技術基盤エンジニアのmatsumotoryこと松本亮介さん特集ということで、ご本人からいろいろとお話を聞きたいと思います。まずはこれまでの経歴を伺えますか?
- 松本
- 2008年に大学の学部を卒業してから、新卒で関西のホスティング企業に入社しました。そこで4年間運用などを担当していたんですが、2011年に退職して、翌年大学院の博士課程に入学しました。仕事で学んだ技術を応用した研究や、オープンソースソフトウェアの開発をやって、今年の3月にペパボに入社しました。
- あんちぽ
- 今は福岡にお住まいなんですよね?
- 松本
- はい。もともと京都とか大阪あたりに住んでたんですけど、入社と同時に、家族と一緒に福岡に移住しました。
- あんちぽ
- ご出身はどちらなんですか?
- 松本
- 京都です。
- あんちぽ
- 京都で生まれ育って、最初の就職先も大学院も関西だったとのことですが、どうして福岡に移住しようと思ったんですか?
- 松本
- ちょうど1年前ぐらいに子どもが生まれて、子どもを育てる環境を考慮したときに、福岡には自然と都会のバランスのよさがあると思ったんです。僕自身、人の多さや電車の混雑がすごく苦手なんですよ。これは東京の人に怒られるかもしれないんですけど、大阪で働いているときにも感じていたことで、さらに混雑している東京で働くってもう考えられなかったので、福岡勤務を希望しました。
- あんちぽ
- なるほど。福岡での生活はどうですか?
- 松本
- やっぱり楽しいですね、もう想像どおりの場所なんです。毎週土日に遊びに行けるような場所がありますし、食べ物も安くておいしい。仕事に関しては、僕はホスティング事業を手がけている会社に入りたい!という動機で入社したので、念願叶って今、ホスティングサービスの構成や運用を見ることができるのはすごく楽しいです。
- あんちぽ
- そもそもサーバーの運用やホスティングサービスに興味を持ったきっかけってなんだったんですか?
- 松本
- 当時はパソコンが得意というわけではなくて、ダイヤルアップの時代から兄がインターネットをしてたので、ネットサーフィンくらいはしていました。大学では一応情報工学を専攻してたんですけど、なんとなく情報工学って響きがよかったので選んだんです。
- あんちぽ
- それはかっこいいとか、そんな感じですか。
- 松本
- そうです、機械とかよりも情報工学ってかっこいい気がして。大学に入って最初にパソコンを買って、最初の頃は特になにも工夫することなく遊んでたんですけど、大学で勉強していくうちに、パソコンの自作をしたくなったんですね。
- あんちぽ
- ある日突然?
- 松本
- そう、ある日突然。コンビニで雑誌を見てたときに、パソコンを自作しようみたいな記事を見つけたのがきっかけです。昔からプラモデルとか好きなので、ちょっと共通する魅力を感じて、とりあえずやってみようと思ってパーツを買って組み立ててみたんです。そうするとパソコンが1台増えるじゃないですか。もともと持っていたパソコンが余っちゃったんですよ。余らせておくのももったいないので、使いみちに悩んでたときに、どうやらサーバーとして使うと効率がいいという情報を見つけて、Linuxを入れてサーバーを構築してみました。そもそも仕組みもよくわかってなかったんですが、一度やってみるとすごく楽しくなっちゃって、1万円ぐらいの中古パソコンをどんどん買って、どんどんサーバーを増やしていくうちに、気がついたらサーバーを運用することが趣味になっていました。
- あんちぽ
- 松本さんが興味を持った頃って、2003年とか2004年とかぐらいの話だと思うんですけど、その頃って自作サーバーのブームとか、自宅サーバーを作るみたいなブームってありましたよね。それほどハードコアな感じじゃなくて、普通のパソコン雑誌の付録にCD-ROMがついていて、TurbolinuxとかVine Linuxの最新版が入っていた。僕も当時、パソコンを買い替えたついでにLinuxを入れて自宅サーバーを始めたので、似たようなきっかけですね(笑)
- 松本
- 一緒だと思います。本当にそんな感じ。いろいろとパーツを買ってパソコンを組み立てて、最後にWindowsのOSを買おうとしたら予想以上に高くて、どうしようって思ったときに、LinuxならタダでOS入れられるらしいみたいな話を聞いたりしたので、当時はFedora Core 3とか、Vineの4とか。
- あんちぽ
- そういう流れありましたよね。僕の場合は自分で作ったサーバーには自分のホームページを載せてたんですけど、松本さんはどういう使い方をしていたんですか?
- 松本
- 最初はウェブサーバーを立ち上げたり、メールが送られる仕組みを知りたくて、メールサーバーやDNSサーバーを構築したりしました。あと、IPアドレスが変わってもドメインがそれに追随するサービスなんかを試したりしてるうちに、徐々にそれじゃ物足りなくなってきた。そのときの情報収集には主に2ちゃんねるを使ってたんですけど、2ちゃんねるって、書き込みが増えていくと流れて見られなくなるんです。それが嫌で、2ちゃんねるの書き込みをダウンロードして、全文検索できるようにして、ウェブブラウザから自分の欲しいキーワードを入力すると、自分のパソコンのローカルに保存されてるところから検索に一致する2ちゃんねるの板が見れるっていう仕組みを作ったのが、最初のウェブサービスっぽいやつですね。
- あんちぽ
- Namazuとか使って?
- 松本
- あ、そうです。Namazuです。
- あんちぽ
- やっぱりそうなりますよね、ありましたよね、Namazu。じゃあ何かコンテンツを発信するためというよりは、仕組みそのものに興味があって、あれやこれや自分で作って動かして仕組みを理解するためににサーバーを使っていたっていう感じなんですね。
- 松本
- Ajaxも徐々に普及してきた頃で、画面遷移させずに検索結果をきれいに表示させることに挑戦したりとか。その流れで自分のサーバーの中にあるファイルを全部ブラウザから検索できるようにして、JavaScriptを使ってきれいにピロンって出てくる画面スタイルにしたり、そういう遊び方をしてました。当時は自分だけしか使わなかったので、まあ本当に自己満足です。
- あんちぽ
- 人に見せることは?
- 松本
- ほとんどなかったです。でもウェブサーバーやメールサーバーを常に稼働させた状態でほっとくと、勝手にサービスが落ちたりすることもあって、それが嫌だったので、NagiosやMRTGなどの監視ソフトを入れて、何か問題が起こったときには自分にメールが飛ぶように設定していました。
- あんちぽ
- すごいですね。サーバーの構築だけで終わらせず、システムの運用や監視までひと通りご自分でやられているとは。
- 松本
- ええ。変わった趣味だなと思いつつも、同じことをずっとやり続けてきました。今は規模がすごく大きくなってますけど、当時培った感覚は今も変わらず持ってますね。
- あんちぽ
- なるほど。内容は複雑になっているかもしれないけど、興味の対象やモチベーションは割とその頃からあまり変わってないというか、ずっと追いかけているというような感じなんですね。
人生で一番の決心、退職そして研究者へ
- あんちぽ
- 松本さんのこれまでのご経歴で面白いなと思うのは、そういう興味を持って、1回企業にお勤めになって、そこからまた大学に戻られてという流れなんですけど、なにかきっかけがあったんでしょうか。
- 松本
- 趣味でサーバーを構築していろいろと試しているうちに、既存の技術をただ使うんじゃなくて、もっと新しいものや、世の中にないものを研究したいっていう気持ちが出てきたんです。大学にはネットワークセキュリティの分野しかなかったんですが、サーバー公開している自分にとってもすごく興味のある分野だったので、そのまま大学で研究を続けたいと思っていました。でも分野が1つしかないということもあって、すごく規模が小さくて…。その頃にちょうど、自分が趣味でやってることを企業はどうやってるのかっていうのを知りたくて、ホスティング企業にアルバイトとして入社したんです。そこで、今はペパボで技術基盤エンジニアをされているkurodaさんとお会いして、すごく衝撃を受けたんですよ。既存のツールももちろん使ってはいるんですが、会社で使われていたツールのほとんどはkurodaさんが自分で作ったものだったんですね。それもクオリティがすごく高くて、おそらく今でも通用するようなものだったと思います。
- あんちぽ
- なるほど。すごいやつがいるな、みたいな。
- 松本
- はい。企業って、あんまり情報を表に出していないだけで、実はすごいことをやってるんじゃないかって思い始めて、企業とか、社会の実態を知らずに研究を続けることがめちゃくちゃ不安になってきたんです。そこで、ホスティング事業を本気でやっている企業に入ってきちんと仕事をして、それでも研究したいと思ったときにもう一度大学に行こうと決めて、大学院には進学せずに、学部を卒業してすぐに入社しました。
- あんちぽ
- 結構それって何年ぐらいやったら戻ろうみたいなって決めてたんですか。
- 松本
- あんまり根拠はないですけど、3、4年くらいやって、自分が納得できたら研究に戻ろうと思っていました。でもいざ入社してみると本当に会社が楽しくて、居心地もよかったので、すごく迷いました。
- あんちぽ
- このままでも別にいいんじゃないの?みたいな。
- 松本
- はい。別に辞めなくてもいいんじゃないかな?と思ったこともあったんですが、やっぱり最初に思ったとおりやろうと思って、行きたい研究室にいきなりメールを送ったんです。
- あんちぽ
- 予定していたとはいえ、実際に行動に移すには、それなりの決心が必要だったんですね。
- 松本
- 人生で一番の決心だったと思います。既に結婚もしてましたし、仕事を辞めて学生になるってことは、給料が全くなくなるということなので。ただ僕の場合は世帯収入があったということもあって、今回はそこに甘えさせてもらって、行くことにしました。
- あんちぽ
- なるほど。大学院ではどういうことを専門に研究されていたのか、紹介してもらえますか?
- 松本
- 次世代ホスティング技術や、それにかかわるインターネットの基盤技術みたいなところ、あとはインターネットの運用技術などをやっていました。
- あんちぽ
- 進学にあたって研究室に突然メールを送ったとのことですが、その先生のもとで研究したいと思ったきっかけは?
- 松本
- そもそも僕の専門分野である運用系の研究をしている研究室自体があまりなかったんです。探すうちに選択肢が絞られていって、自然と決まりました。自分のやりたいことが明確だったというのも大きいと思うんですけど。
- あんちぽ
- 企業での経験を通して自分の興味を突き詰めていった結果、徐々にやりたいことや追求したいこともフォーカスされていったんですね。大学院では修士ではなく、博士課程に進まれたんですよね?
- 松本
- はい。入学する前に、教授と研究計画について話をしていたんですが、修士じゃなくて博士課程で自分の一番得意な部分をさらに伸ばそうって話になって。いろいろあったんですけど、何とか希望していた教授の元で、自分のやりたかった研究ができることになりました。
- あんちぽ
- 修士を飛ばして博士課程に進むには、修士の学位に相当する何らかの実績が必要だと思うんですが、さっきの話だともうそこはクリアしていたということですよね。具体的にどういうことだったんですか?
- 松本
- 持っていた技術力を評価していただいたというのが大きいんですが、とはいえクローズドな環境でやってきたことなのできちんとした実績として出せるようにするために、これまでの成果を論文にまとめました。博士出願資格っていう、博士課程に願書を提出する資格を得るための審査があるんですが、そこを通過しないと入試を受けることができないんです。なので、単に論文を書くだけじゃなくて、査読を通して発表するという実績を作りました。そこで出願資格を得られたので、あとは筆記試験やTOEIC、博士課程の研究計画を提出してプレゼンをやって、無事合格して入学できました。
- あんちぽ
- 要するに、かなり短い期間で修士相当の実績をボンと作ったっていう話ですよね。
- 松本
- そうですね。
- あんちぽ
- いきなり「じゃあ、これまでの実績を論文に書いてください」って言われて書けるもんじゃないと思うんですけど、そのとき既に博士課程で教わることになる先生のもとで指導を受けていたんですか?
- 松本
- がっつりとしたアドバイスや書き方の指導は受けてないんですけど、ある程度、ポイントやルールをはずしてないかといったチェックはしてもらっていました。当時はそれなりに見て指導してくれてると思ってたんですけど、いざ博士課程に入って比べものにならないくらいめちゃくちゃ厳しい指摘も受けたりしたときに初めて、あれは簡単に見てくれてただけだったんだなっていうことに気づきました。
~第2話へつづく~
バックナンバー
No.010 matsumotoryの話
No.009 ファンづくりの流儀の話
No.008 エンジニア評価制度の話
No.007 2014年と2015年の話
No.006 新卒入社の話
No.005 minneチームの話
No.004 福岡支社の話
No.003 新旧デザイナーたちの話
No.002 81世代エンジニアの話
No.001 SUZURIの中の話