■■■うむ。
■『果てしなき流れの果に』創作メモが、NHK『宇宙人ピピ』の台本裏から
半世紀を経て発見!
http://sakyokomatsu.jp/library/1242/
http://megalodon.jp/2015-0601-2044-05/sakyokomatsu.jp/library/1242/
<幻となったアニメ化>
『果てしなき流れの果に』は、2000年に、ガンダムシリーズの富野由悠季監督によるアニメ化も企画されましたが、実現には至りませんでした。

■富野が監督を務めるはずだった幻の小松左京原作アニメ映画企画『果しなき流れの果に』についてのまとめ
2015/05/28 18:49
http://kaito2198.blog43.fc2.com/blog-entry-1633.html
先日、小松左京ライブラリがこんな話を発表しました。
シャア専用ブログ
@Char_Tweet
『果しなき流れの果に』創作メモが、NHK『宇宙人ピピ』の台本裏から半世紀を経て発見!
http://sakyokomatsu.jp/library/1242/
>2000年に、富野由悠季監督によるアニメ化も企画されましたが、実現には至りませんでした
#tomino
18:36 - 2015年5月25日
https://twitter.com/Char_Tweet/status/602770141106020352
あの日本SFの最高傑作とも言われる『果しなき流れの果に』を、富野監督がアニメ化するプロジェクトはあったのか!? と驚く人も多いでしょうが。それもそうです。
そもそも、今回の発表は実は小松氏側がはじめて富野監督とこの企画を言及したものです。当時――すなわち15年ほど前、、この話は大きな話題になりましたが、公にプレスに向けて発表されたことがなく、またいわゆる不祥事によって消えた話でしたので、知らなかった人は今となってやはり大勢いるでしょう。
(後略)
■■■え~、またぞろ幻の富野由悠季監督企画が話題になっておりましたので、
『果しなき流れの果に』(65)を実際に読んでいる側から、何やらテキトーな事を、
思い付くままに書き出してゆこうかと。
(いやまあ、××年ぶりに再読しましたが)
■■■『果しなき流れの果に』は、生物の知性を制限し、進化の可能性を刈り
取る宇宙規模の巨大な存在と、それに相対した一個人らの物語。
序盤とエピローグこそ小説形式だが、極々稀にとても短い描写で一方的な
破壊や惨殺があるだけで、まともな戦いは存在せず、物語の大半は日常生活
内の会話やモノローグで進む。
全体としては、作者が登場人物の口を借りて形而上学的な思考を開陳
し続けるシーンが多い、小説というよりはアイデアメモに近い構成。
巨大な存在に関するオチが無いのは許せぬものの、大体面白いからそれでも
問題は無いのだが、悪く?言うなら厨二病黒歴史ノートとも表現出来る。
■でだ。
アイデアメモとしては面白いものの、スケールにふさわしい凄絶なバトルや
人間どうしのドラマなどのエンターテイメント的なケレン味溢れる展開が全然
入っていない『果しなき流れの果に』は、富野由悠季を含む各人が換骨奪胎・
再構成して「俺ならこうする」別作品化が、とっくに終了している。
『果しなき流れの果に』の、遺跡から超科学の結晶が発掘される導入部を
流用し、巨大な存在に子供のような思惟を与え、ロボットアニメとしてアレンジし、
富野由悠季ならではの視線を加えたものこそが、『伝説巨神イデオン』では
なかったか。
『果しなき流れの果に』の、宇宙に出て空間認識能力をエスパーのレヴェルに
まで上昇させ、他人と意識ごと融合し、時空間をも視認し跳躍する人類こそ、
『機動戦士ガンダム』のニュータイプが辿り着かんとする姿ではなかったか。
■もしも、凡人なる大多数ガノタとバンダイ&サンライズが『ガンダム』世界の
知性や進化の限界を制限していなかったら、今頃富野ガンダムは、宇宙規模の
巨大な敵と戦い続けていたのかもしれぬ。
凡人が天才の行動を制限する、知性を刈り取る存在と天才が戦う、という点で、
“『果しなき流れの果に』の概念”は既に現実で具象化されているのだ。
アニメという形になれなかった事を、殊更に惜しむ必要は無い。
■大体、知性や進化の可能性を刈り取ろうとする存在の妄執は、最新では
『ガンダムビルドファイターズトライ』というタイトルでアニメ化されているじゃあ
ねえか。
■この段の話のオマケ妄想。
∀に、対人類とは思えない程の絶大な性能が与えられているのは、宇宙
規模の敵とも戦う為だったのかもしれぬ。
ターンXは、戦って帰ってきたのかもしれぬ。
■■■『果しなき流れの果に』の肉付け、ヴァージョンアップ版ですか?
では軽く。
■設定がほぼそのままの『幻魔大戦』(67)は打ち切りでした。
■永井豪の怪作『黒の獅子』(78)とか。
■意味を継承せぬ続編が次々作られる『装甲騎兵ボトムズ』とか。
■他の銀河系から来訪した、文明の創造と簒奪を行う無敵のマシンと戦う、
『装甲騎兵ボトムズ 青の騎士ベルゼルガ物語』とか。
■中世ファンタジー世界に再構成された『ベルセルク』とか。
■生命を具現化した“螺旋力”を放つ『天元突破グレンラガン』とか。
■菊地秀行の『魔界都市ハンター』(漫画)や、『エイリアン黙示録』、
『魔界行』シリーズなど…。
■■■『果しなき流れの果に』は、本当にアニメ化されていないのか?
■こちらは、作中の軌道エレベーターの描写。
原典ではレモンイエローなのは誘導燈だけだが、『Gのレコンギスタ』で
軌道エレベーターの“球状のシェル”だったのは…?

■愚民どもに知性を授けてみせる方法について語る。

■《地球人主義者》という単語とその意味。

■普段原作付きをやらない富野由悠季が、この企画に乗っかったのは…。
■■■『果しなき流れの果に』が日本SF界で高評価を得ているのは、
『2001年宇宙の旅』(68)よりも、『スター・ウォーズEP4』(77)よりも
早く、人類の一個体と進化を司る宇宙規模の存在との接触を描いていた
からか。
日本SFのオールタイムベストに選出されるのも、映画界で『市民ケーン』
(41)がオールタイムベストに選出されるのと似たような感覚なのかもしれ
ないが、その辺の皮膚感覚はよく判らぬ。
■■■『果しなき流れの果に』企画公開が00年だという事は、企画開始は
『エヴァ』TV版(95)同映画版(97)で世間が浮かれていた頃であろう。
『エヴァ』の場合は、会話の中身がすっからかんだったおかげで寄る辺の
無いオタクが勝手な自己投影が出来て、ビジネス的に成功したのだろうけど、
後追いかつ「ピコーン!!SFで小難しい会話劇をやれば大ヒット間違い
ないニ●!!」程度の発想での企画力だったら、大コケしていたであろうから、
本当にやった方が良かったとは言い切れぬ。
■『果しなき流れの果に』には映像上全く動きが無い為、原作を尊重するなら、
とんでもなくアニメとは相性が悪い。
(オッサンや青年が延々喋っているアニメを、どれ程の人間が喜ぶのか?)
もしも映像化するのであれば、今敏監督作品『千年女優』のような形式で
ないと映像が動かせなかっただろう。
…うん?『千年女優』の発表は、2002年か…。
■■■『果しなき流れの果に』発表当時の65年と違い、企画発表時の00年代
では、既に人間の知性を制限する社会構造の成否が判明しているのだから、
原作そのままの映像化は遅過ぎだろう。
なお、原作者は共産党員だったようだが、具体的な活動内容は不明である。
■自分で説明するのが面倒なので、参考。
ガチで闇が深い国家wwwwwwwwwwww
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4883118.html
■■■オマケでほいペタリ。
またも富野愛好病から引用。
■龐統が生きていたら、蜀は荊州を失うことがなかった
2015/05/10 22:42
http://kaito2198.blog43.fc2.com/blog-entry-1629.html
特に言ったことがありませんが、実は私は三国志のファンでもあります。そして、以下の話をいつも思っています。
kaito2198 @kaito2198
龐統の実力がよく分からないといっている人はどうかしてるわ。生きている間に有能なエピソードしか残らなかったし、「魏臣に当てはめると荀彧の兄弟」とか評されている人間の実力がよく分からないとか、バカじゃねーの?
2:20 PM - 30 8月 2013
歴史にIFはもちろんありません。しかし、蜀贔屓の人間ならば一度考えたことあると思いますよ。では以下で理由を説明します。
kaito2198 @kaito2198
ホウトウが生きていたら、荊州を失うことはなかった説の理由その①:彼は法正なみの策士と評されていた。そこまでの智謀だったら魏に対して攻撃をしかけても、まず呉に対する対応を誤ることは無い。
3:30 AM - 9 8月 2014
kaito2198 @kaito2198
ホウトウが生きていたら、荊州を失うことはなかった説の理由理由その②:カンウとの相性は常に心配されているが、正史を見れば、ホウトウという人が智謀以外、一番優れているところはなんといっても交際術だ。正史のなか、呉にしても蜀にしても、彼に対する悪評は一つもなかった。(続
3:33 AM - 9 8月 2014
kaito2198 @kaito2198
また、劉備などとのエピソードで分る通り、彼は自分の主張をしっかり言いつつも、決して相手に悪く思われない非常に巧妙な話術の持ち主だった。そんなホウトウは、カンヌを上手く収めないわけがない。
kaito2198 @kaito2198
ホウトウが生きていたら、荊州を失うことはなかった説の理由理由その③:カンヌとの件その2。カンヌと孔明の絶倫手紙を見れば、カンヌは決して誰の話も聞かない人ではない。ホウトウは当初孔明に次ぐ地位に就き、劉備から絶大な信頼を受けてたことを考えれば、カンヌも彼に一目を置かざるを得ない。
3:36 AM - 9 8月 2014
kaito2198 @kaito2198
ホウトウが生きていたら、荊州を失うことはなかった説の理由その④:さらに、ホウトウはかつて呉に仕官した時期があり、また呉の高官たちにも情誼を通じているので、呉の事情にも明るい。そんな彼はロモンやリクソンの策略を見破れないわけがない。
3:37 AM - 9 8月 2014
以上を読めば、龐統がいかに重要かつ有能な人材だったことを分かるはずです。
演義 三国志図鑑 演義 三国志図鑑 頼山陽,松橋暉男,葛飾北斎
日本図書センター 2015-05-20
また、関羽が孫権から持ちかけられた婚姻を断ったことに対しては、日本では批判する人は多いですが、これも違います。確かに対応的にまずいところは否めませんが、断ること自体に関しては当たり前の措置です。そもそも、外交権に類する権限を持つか否かは別にして、本拠地から離れている所の全権を任されているNO.2が勝手に外国の結婚話を受け入れるわけがないでしょう。このようにして、いまだに演義に対する反発で蜀関係の人間を過小評価するのは、本当にいただけないことです。観察する限り、日本でも専門家や一部の有識者は本当にすばらしい見識や見解を持っています。しかし、鵜呑み程度に留まる人が大半というのは、正直嘆かわしいことです。
■特に言った事はありませんでしたが、実は私も三国志のファンでして。
…えー、支那の歴史書は、事実を客観的に記述するのが目的ではなく、
個人の業績を後世に称揚するのが目的なので、対象者の悪い部分は出来る
だけ書き残さないものなんですよ。
それで、紀伝体という、現代人から見ると不思議な書かれ方をしている。
曹操の本紀など、赤壁の戦いの大惨敗でさえ「周都督と相対し、不利」
程度にしか書いておらず、負けたのかどうかすら曖昧にされとります。
「正史」というのも、“正しい歴史”という意味ではなく、“後世に正しいと
思われたい歴史”程度の意味ですな。
いわんや、著者の縁故から大いに蜀びいきに書かれ、題名まで『三国志』に
なっている書物など、どこまで信頼に値するものかよと。
だから、詳しい人程、断定口調では喋らないのよね。
こんなの、大学一年生程度の基礎ですよ。
■なお、支那人が歴史を客観的に記すという概念を理解していないのは、
現在の中共を見ても判る通り。
正史や、それを読者の情緒に合致するよう編集された本を見ただけで知った
かぶるのは、約1800年後の人間が2015年の中共のプロパガンダを見て
「中共って凄い!!正義の集団だ!!」って言っているようなおかしみが
ありますな。
■それと頼山陽をソースにしているけど、ありゃ幕末前夜のベストセラー
作家ではあるけれど、歴史学者として信頼して良いかどうかは、疑問じゃ
なかったですかね。
ネット上には、その辺を扱った記事は転がっていないようですけど。
■私の『三国志』の引き出しなら結構あるような気がしますが、出すのが
超絶面倒クセーです。
■いや、台湾人で容易に原典にも当たれる筈の“自称・三国志ファン”が、
自身の無知無学を知らぬまま他人を罵っている姿を映しておくというのが、
知性を制限する存在が出てくる『果しなき流れの果に』を扱った記事の
オチとしてふさわしいんじゃないかなあ、蛇足でいらん事を書いて頭が悪い
感じで記事を締めてみるのもいいんじゃねーかと、「バカじゃねーの?」と
煽られた頭で考えましてね。
資料を集める熱意と能力などは素直に凄えなと思っておりますが、『果し
なき流れの果に』は読んでなさそうだしと。
…余計な事ぞ本質よ。ぷっぷー。
■『果てしなき流れの果に』創作メモが、NHK『宇宙人ピピ』の台本裏から
半世紀を経て発見!
http://sakyokomatsu.jp/library/1242/
http://megalodon.jp/2015-0601-2044-05/sakyokomatsu.jp/library/1242/
<幻となったアニメ化>
『果てしなき流れの果に』は、2000年に、ガンダムシリーズの富野由悠季監督によるアニメ化も企画されましたが、実現には至りませんでした。
■富野が監督を務めるはずだった幻の小松左京原作アニメ映画企画『果しなき流れの果に』についてのまとめ
2015/05/28 18:49
http://kaito2198.blog43.fc2.com/blog-entry-1633.html
先日、小松左京ライブラリがこんな話を発表しました。
シャア専用ブログ
@Char_Tweet
『果しなき流れの果に』創作メモが、NHK『宇宙人ピピ』の台本裏から半世紀を経て発見!
http://sakyokomatsu.jp/library/1242/
>2000年に、富野由悠季監督によるアニメ化も企画されましたが、実現には至りませんでした
#tomino
18:36 - 2015年5月25日
https://twitter.com/Char_Tweet/status/602770141106020352
あの日本SFの最高傑作とも言われる『果しなき流れの果に』を、富野監督がアニメ化するプロジェクトはあったのか!? と驚く人も多いでしょうが。それもそうです。
そもそも、今回の発表は実は小松氏側がはじめて富野監督とこの企画を言及したものです。当時――すなわち15年ほど前、、この話は大きな話題になりましたが、公にプレスに向けて発表されたことがなく、またいわゆる不祥事によって消えた話でしたので、知らなかった人は今となってやはり大勢いるでしょう。
(後略)
■■■え~、またぞろ幻の富野由悠季監督企画が話題になっておりましたので、
『果しなき流れの果に』(65)を実際に読んでいる側から、何やらテキトーな事を、
思い付くままに書き出してゆこうかと。
(いやまあ、××年ぶりに再読しましたが)
■■■『果しなき流れの果に』は、生物の知性を制限し、進化の可能性を刈り
取る宇宙規模の巨大な存在と、それに相対した一個人らの物語。
序盤とエピローグこそ小説形式だが、極々稀にとても短い描写で一方的な
破壊や惨殺があるだけで、まともな戦いは存在せず、物語の大半は日常生活
内の会話やモノローグで進む。
全体としては、作者が登場人物の口を借りて形而上学的な思考を開陳
し続けるシーンが多い、小説というよりはアイデアメモに近い構成。
巨大な存在に関するオチが無いのは許せぬものの、大体面白いからそれでも
問題は無いのだが、悪く?言うなら厨二病黒歴史ノートとも表現出来る。
■でだ。
アイデアメモとしては面白いものの、スケールにふさわしい凄絶なバトルや
人間どうしのドラマなどのエンターテイメント的なケレン味溢れる展開が全然
入っていない『果しなき流れの果に』は、富野由悠季を含む各人が換骨奪胎・
再構成して「俺ならこうする」別作品化が、とっくに終了している。
『果しなき流れの果に』の、遺跡から超科学の結晶が発掘される導入部を
流用し、巨大な存在に子供のような思惟を与え、ロボットアニメとしてアレンジし、
富野由悠季ならではの視線を加えたものこそが、『伝説巨神イデオン』では
なかったか。
『果しなき流れの果に』の、宇宙に出て空間認識能力をエスパーのレヴェルに
まで上昇させ、他人と意識ごと融合し、時空間をも視認し跳躍する人類こそ、
『機動戦士ガンダム』のニュータイプが辿り着かんとする姿ではなかったか。
■もしも、凡人なる大多数ガノタとバンダイ&サンライズが『ガンダム』世界の
知性や進化の限界を制限していなかったら、今頃富野ガンダムは、宇宙規模の
巨大な敵と戦い続けていたのかもしれぬ。
凡人が天才の行動を制限する、知性を刈り取る存在と天才が戦う、という点で、
“『果しなき流れの果に』の概念”は既に現実で具象化されているのだ。
アニメという形になれなかった事を、殊更に惜しむ必要は無い。
■大体、知性や進化の可能性を刈り取ろうとする存在の妄執は、最新では
『ガンダムビルドファイターズトライ』というタイトルでアニメ化されているじゃあ
ねえか。
■この段の話のオマケ妄想。
∀に、対人類とは思えない程の絶大な性能が与えられているのは、宇宙
規模の敵とも戦う為だったのかもしれぬ。
ターンXは、戦って帰ってきたのかもしれぬ。
■■■『果しなき流れの果に』の肉付け、ヴァージョンアップ版ですか?
では軽く。
■設定がほぼそのままの『幻魔大戦』(67)は打ち切りでした。
■永井豪の怪作『黒の獅子』(78)とか。
■意味を継承せぬ続編が次々作られる『装甲騎兵ボトムズ』とか。
■他の銀河系から来訪した、文明の創造と簒奪を行う無敵のマシンと戦う、
『装甲騎兵ボトムズ 青の騎士ベルゼルガ物語』とか。
■中世ファンタジー世界に再構成された『ベルセルク』とか。
■生命を具現化した“螺旋力”を放つ『天元突破グレンラガン』とか。
■菊地秀行の『魔界都市ハンター』(漫画)や、『エイリアン黙示録』、
『魔界行』シリーズなど…。
■■■『果しなき流れの果に』は、本当にアニメ化されていないのか?
■こちらは、作中の軌道エレベーターの描写。
原典ではレモンイエローなのは誘導燈だけだが、『Gのレコンギスタ』で
軌道エレベーターの“球状のシェル”だったのは…?
■愚民どもに知性を授けてみせる方法について語る。
■《地球人主義者》という単語とその意味。
■普段原作付きをやらない富野由悠季が、この企画に乗っかったのは…。
■■■『果しなき流れの果に』が日本SF界で高評価を得ているのは、
『2001年宇宙の旅』(68)よりも、『スター・ウォーズEP4』(77)よりも
早く、人類の一個体と進化を司る宇宙規模の存在との接触を描いていた
からか。
日本SFのオールタイムベストに選出されるのも、映画界で『市民ケーン』
(41)がオールタイムベストに選出されるのと似たような感覚なのかもしれ
ないが、その辺の皮膚感覚はよく判らぬ。
■■■『果しなき流れの果に』企画公開が00年だという事は、企画開始は
『エヴァ』TV版(95)同映画版(97)で世間が浮かれていた頃であろう。
『エヴァ』の場合は、会話の中身がすっからかんだったおかげで寄る辺の
無いオタクが勝手な自己投影が出来て、ビジネス的に成功したのだろうけど、
後追いかつ「ピコーン!!SFで小難しい会話劇をやれば大ヒット間違い
ないニ●!!」程度の発想での企画力だったら、大コケしていたであろうから、
本当にやった方が良かったとは言い切れぬ。
■『果しなき流れの果に』には映像上全く動きが無い為、原作を尊重するなら、
とんでもなくアニメとは相性が悪い。
(オッサンや青年が延々喋っているアニメを、どれ程の人間が喜ぶのか?)
もしも映像化するのであれば、今敏監督作品『千年女優』のような形式で
ないと映像が動かせなかっただろう。
…うん?『千年女優』の発表は、2002年か…。
■■■『果しなき流れの果に』発表当時の65年と違い、企画発表時の00年代
では、既に人間の知性を制限する社会構造の成否が判明しているのだから、
原作そのままの映像化は遅過ぎだろう。
なお、原作者は共産党員だったようだが、具体的な活動内容は不明である。
■自分で説明するのが面倒なので、参考。
ガチで闇が深い国家wwwwwwwwwwww
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4883118.html
■■■オマケでほいペタリ。
またも富野愛好病から引用。
■龐統が生きていたら、蜀は荊州を失うことがなかった
2015/05/10 22:42
http://kaito2198.blog43.fc2.com/blog-entry-1629.html
特に言ったことがありませんが、実は私は三国志のファンでもあります。そして、以下の話をいつも思っています。
kaito2198 @kaito2198
龐統の実力がよく分からないといっている人はどうかしてるわ。生きている間に有能なエピソードしか残らなかったし、「魏臣に当てはめると荀彧の兄弟」とか評されている人間の実力がよく分からないとか、バカじゃねーの?
2:20 PM - 30 8月 2013
歴史にIFはもちろんありません。しかし、蜀贔屓の人間ならば一度考えたことあると思いますよ。では以下で理由を説明します。
kaito2198 @kaito2198
ホウトウが生きていたら、荊州を失うことはなかった説の理由その①:彼は法正なみの策士と評されていた。そこまでの智謀だったら魏に対して攻撃をしかけても、まず呉に対する対応を誤ることは無い。
3:30 AM - 9 8月 2014
kaito2198 @kaito2198
ホウトウが生きていたら、荊州を失うことはなかった説の理由理由その②:カンウとの相性は常に心配されているが、正史を見れば、ホウトウという人が智謀以外、一番優れているところはなんといっても交際術だ。正史のなか、呉にしても蜀にしても、彼に対する悪評は一つもなかった。(続
3:33 AM - 9 8月 2014
kaito2198 @kaito2198
また、劉備などとのエピソードで分る通り、彼は自分の主張をしっかり言いつつも、決して相手に悪く思われない非常に巧妙な話術の持ち主だった。そんなホウトウは、カンヌを上手く収めないわけがない。
kaito2198 @kaito2198
ホウトウが生きていたら、荊州を失うことはなかった説の理由理由その③:カンヌとの件その2。カンヌと孔明の絶倫手紙を見れば、カンヌは決して誰の話も聞かない人ではない。ホウトウは当初孔明に次ぐ地位に就き、劉備から絶大な信頼を受けてたことを考えれば、カンヌも彼に一目を置かざるを得ない。
3:36 AM - 9 8月 2014
kaito2198 @kaito2198
ホウトウが生きていたら、荊州を失うことはなかった説の理由その④:さらに、ホウトウはかつて呉に仕官した時期があり、また呉の高官たちにも情誼を通じているので、呉の事情にも明るい。そんな彼はロモンやリクソンの策略を見破れないわけがない。
3:37 AM - 9 8月 2014
以上を読めば、龐統がいかに重要かつ有能な人材だったことを分かるはずです。
演義 三国志図鑑 演義 三国志図鑑 頼山陽,松橋暉男,葛飾北斎
日本図書センター 2015-05-20
また、関羽が孫権から持ちかけられた婚姻を断ったことに対しては、日本では批判する人は多いですが、これも違います。確かに対応的にまずいところは否めませんが、断ること自体に関しては当たり前の措置です。そもそも、外交権に類する権限を持つか否かは別にして、本拠地から離れている所の全権を任されているNO.2が勝手に外国の結婚話を受け入れるわけがないでしょう。このようにして、いまだに演義に対する反発で蜀関係の人間を過小評価するのは、本当にいただけないことです。観察する限り、日本でも専門家や一部の有識者は本当にすばらしい見識や見解を持っています。しかし、鵜呑み程度に留まる人が大半というのは、正直嘆かわしいことです。
■特に言った事はありませんでしたが、実は私も三国志のファンでして。
…えー、支那の歴史書は、事実を客観的に記述するのが目的ではなく、
個人の業績を後世に称揚するのが目的なので、対象者の悪い部分は出来る
だけ書き残さないものなんですよ。
それで、紀伝体という、現代人から見ると不思議な書かれ方をしている。
曹操の本紀など、赤壁の戦いの大惨敗でさえ「周都督と相対し、不利」
程度にしか書いておらず、負けたのかどうかすら曖昧にされとります。
「正史」というのも、“正しい歴史”という意味ではなく、“後世に正しいと
思われたい歴史”程度の意味ですな。
いわんや、著者の縁故から大いに蜀びいきに書かれ、題名まで『三国志』に
なっている書物など、どこまで信頼に値するものかよと。
だから、詳しい人程、断定口調では喋らないのよね。
こんなの、大学一年生程度の基礎ですよ。
■なお、支那人が歴史を客観的に記すという概念を理解していないのは、
現在の中共を見ても判る通り。
正史や、それを読者の情緒に合致するよう編集された本を見ただけで知った
かぶるのは、約1800年後の人間が2015年の中共のプロパガンダを見て
「中共って凄い!!正義の集団だ!!」って言っているようなおかしみが
ありますな。
■それと頼山陽をソースにしているけど、ありゃ幕末前夜のベストセラー
作家ではあるけれど、歴史学者として信頼して良いかどうかは、疑問じゃ
なかったですかね。
ネット上には、その辺を扱った記事は転がっていないようですけど。
■私の『三国志』の引き出しなら結構あるような気がしますが、出すのが
超絶面倒クセーです。
■いや、台湾人で容易に原典にも当たれる筈の“自称・三国志ファン”が、
自身の無知無学を知らぬまま他人を罵っている姿を映しておくというのが、
知性を制限する存在が出てくる『果しなき流れの果に』を扱った記事の
オチとしてふさわしいんじゃないかなあ、蛇足でいらん事を書いて頭が悪い
感じで記事を締めてみるのもいいんじゃねーかと、「バカじゃねーの?」と
煽られた頭で考えましてね。
資料を集める熱意と能力などは素直に凄えなと思っておりますが、『果し
なき流れの果に』は読んでなさそうだしと。
…余計な事ぞ本質よ。ぷっぷー。
御大の作風とは合わなそうな気がしますが、あの頃はまだグロくてドロドロでスタイリッシュで高尚ぽいのが受けてましたから映画でなら何とかなりそうだったんじゃないでしょうか?
今では、その弐瓶氏もすっかりラブコメに…w