韓国戦争当時、死の峠を越える際も「私がもし死んだとしても朝鮮労働党の綱領を実践して死んだことになるため、価値ある死だと思った」と言うほど、朝鮮労働党に対するホさんの信頼は絶対的だった。1991年に刑務所を出てからも、ホさんは「正常な民主主義は北朝鮮で成立したと思う」と話した。社会主義の東欧が崩壊し、北朝鮮が世紀末的な首領体制に変質したにもかかわらず、ホさんの頭の中の北朝鮮は常に美しかった。
本を読み終わるころには、そこまで北朝鮮を信じたホさんの人生がかえって切なく感じられた。ホさんが「民主主義の理想郷」と信じた北朝鮮で、王朝時代をほうふつさせる3代世襲が行われ、「3代世襲王」の金正恩(キム・ジョンウン)第1書記が人民はもちろんのこと、叔父と側近までもまるで獣のように無慈悲に殺害していく姿をホさんが生前に見ていたら、どれほど失望するか、と思ったからだ。
一生を通じてだまされ続けたホさんの生涯くらいに驚かされるのは、小学校で司書教師を務めるAさんがデジタル資料室支援センターのホームページにアップした「同書籍の推薦理由」だった。「ホさんは36年間も監獄生活しながらも自分の思想や信念を捨てなかった」と書いたのだ。Aさんは記者との電話インタビューで「政治的性向と関係なく一時代を暮らしたおじいさんの一生をつづった本であるため、推薦したにすぎない」と話した。
同漫画には、ホさんが理想郷として夢見た「党と人民の間の信頼」をもはや見いだすことができない北朝鮮、飢餓と人権侵害に苦しむ北朝鮮人民、歴史が立証した社会主義の失敗についての話は、ただの1行も出て来ない。むしろホさんは、2005年に韓国政府が北朝鮮への訪問を許可した際に「(北朝鮮の人々が)経済的な困難の中にあっても、心の中は未来に対する自信で満ちあふれているのを見てきた」と話した。
信念は自由だ。しかし、他人の共感を得られる信念、ひいては子どもたちが学んで従うことができる信念であるためには、真実をベースとし、追い求めるに値する価値を盛り込まなければならない。共産主義でもなければ何か誇れるものがあるわけでもない、めちゃくちゃになってしまった「北朝鮮」を盲目的に信頼しているホさんの人生から、小学生たちが一体何を学ぶというのだろうか。