2015-06-01
■ファンキー副大統領の苦悩 『ジェームス・ブラウン 最高の魂を持つ男』

『ジェームス・ブラウン 最高の魂を持つ男』観賞。
ショウビズ界イチの働き者! ゴッドファーザー・オブ・ソウル! ファンキー大統領! ミスター・ダイナマイト! ジェェェェムズ・っブラウン!!!!!!!!!
の生涯を描いた映画。
たとえば勝新太郎を語る際に、天才的な発想力と圧倒的カリスマ性を帯びた演技と共に、ドラッグ使用や破天荒な金遣いでの莫大な借金も同時に語られるだろう。横山やすし然り。舞台でのテンポの良いかけあいで老若男女関係無く爆笑させる一方、酒を飲んでのテレビ出演や暴力事件、借金生活は彼を語る際には切り離せない。
同じように彼らを支えた“伴侶”も欠かせない。勝新には素っ頓狂で鷹揚な中村玉緒がいて、やっさんには律儀で実直な西川きよしがいた。
ジェームス・ブラウンを代表する名曲『セックス・マシーン』でJBが「ゲロッパ!」(Get up)と放った後、低い声で「ゲロンナッ!」(Get on up)と合いの手が入る。その合いの手こそ、若きJBを服役の窮地から救い、ミュージシャンとして支え続けたボビー・バードだ。原題「Get on Up」からは本作がボビー・バードに捧げられているのが解る。勝新の玉緒。やっさんのキー坊。JBのボビーである。
映画はJBが事務所のトイレを勝手に使われたと因縁をつけてショットガンをブッ放ち、駆けつけた警察からピックアップトラックで逃走した史実を再現する場面から始まる。
貧困を極め犯罪に手を染めた幼少期から、窃盗で刑務所送りとなり、ボビー・バードと出会い、スターダムを駆け上がるまで。JBの生涯をランダムに抽出する形で行ったり来たりしながら映画が進む。この構成はJBが生まれた時から死ぬまで、一切の反省も成長もせず、常に同じ「JB」でい続けたことを表している。
JB幼少期、母親はDV旦那から逃げ、父親は徴兵され戦場へ行き、娼館を営む叔母に引き取られる。「あんたは死産で生まれたのよ。いくらお尻をひっぱたいても泣かないから人工呼吸を始めたらようやく産声を上げて、その声は隣の州まで聞こえたってくらいよ。」
要は「マント・ショー」からのシャウトだ。生まれた時にはJBがJBとして完成していた証拠だ。
こうなるともはや、JBがJBたるのは運命であり、宿命でもあり、呪いとも言える。JB自身ではどうすることも出来ない。歌えば他を圧倒し、踊れば視線を独占し、生きているだけで人々が慕ってやってくる。
JBがどんな意識なのか? どんな心持ちなのか? 擬似的にすら体験することが出来ない市井の我々にとって、共感など出来るハズも無い。
終盤、パリでのライブを大盛況で終えた後、ボビー・バードがJBに言う。「おれも、これくらいのホールを沸かせられるかな。今度の曲が出来ればやれると思うんだ。」
そんなボビーをJBはどなりつける。「オマエはオレのプロデュースで曲出すくらいで浮かれてやがんな!? オレと同等になったとでも思ってんのか!?」と。
その時、JBがプロデュースに回ったボビー・バードの曲というのがコレだ。
アンタ持ってるな! アンタ持ってるよ!
アンタ持ってるな! アンタ持ってるよ!
オレは知ってるよ! アンタがソウルを持ってるってな!
ここにアンタがいなくても!
アンタがシェイクさせてなくても!
ビートがシェイクしてやがる!
だからオレが唄ってる!
凡する者の悲しみ、よりも深い。JBの完璧さを誰よりも理解していること。自分がその第一発見者になってしまったこと。「完璧」と共にステージに立っていれば傍目には自分の凡庸さ(それでも充分にカッコいいんだが)は目立たない。しかし自分は騙せない。自分から自分は一番良く見える。しかも視界には必ず「完璧」がいる。