[ホーム] [管理用]
皇室全般画像掲示板
本文なし
さーやが一番天皇に相応しい資質があった
>注目されるからには、覚悟も節制も必要なのではないですかね。国民の象徴の娘として自分を律していた方でした。
紀宮さまは無私の心で公務に取り組む方。今の東宮は自分の利益のために公務もどきをたまにする方。
比較するのもおかしい
>>さーやが一番天皇に相応しい資質があった↑ これは多分、血筋として、サーヤが一番天皇に相応しかったという事だと思います。サーヤの母親は、女官の一人。 女官といえば、純血の高貴な血筋でなければ成れないから、サーヤ だ け が、天皇家として、国民が認められる血筋だと言う事です。ナルは、堤康次郎と正田富美子の 娘の、美智子と明仁の子供です。血筋としては、穢多と支那人の血を引いていますから、当然、日本の象徴たる天皇には成れません。秋さんは、正田英三郎と正田富美子の 娘の、恵美子と明仁の子供です。血筋としては、穢多と朝鮮と支那人の血を引いていますから、当然、秋さんも天皇には成れません。明仁は、国民にバレなければ、穢多の血を引く子供たちでも、天皇になれると思ったのかもしれませんが、皇祖神は、そうはお思いにならなかったみたいですね。 平成に成ってからの、特に日本の、異常気象と天災続きは、皇祖神の怒りだと考える日本人は多数居ます。
【話の肖像画】寛仁親王殿下第1女子・彬子女王(1)薨去3年 父の偉大さ実感http://www.sankei.com/life/news/150601/lif1506010014-n1.html
〇皇族として特別な人間であることを世間に見てほしいという卑しさありあり。 ?仁殿下が亡くなられたあとの会見からずーっとその調子で鬱陶しい。 30過ぎても、お母さまのことは100%無視。 人間性が歪んでいるとしか思えない。 佳子さまの誰も傷つけることないよう配慮しながらの 母親を護ろうとするあの凛々しさ、健康さ、には惚れるけど。
週刊誌記者は、傷ついたと思うよ。紀子さまだって職員に注意しなきゃいけない場合は、多少きつい調子になることだってあるだろうからまるっきりの出まかせじゃなかっただろうし週刊誌報道は、本当の事を報道していないと言ったも同然だったからだったらということなのか、週刊誌側も言い逃れできない決定的写真を載せる方針のようだしそういう状況を自ら招いたようなものだしね。
>ID:UnG5FBQE No.1353469 >週刊誌記者は、傷ついたと思うよ。 ↑ こういうのを「おためごかし」というのだけれど、チョンにはわからないだろうなあ。 ID:UnG5FBQE No.1353469 は創価チョン。
皇族は、自分の口でのはっきりとした批判は避けるのが鉄則です。お間抜けと叩かれるナルマサ夫婦にせよ、東宮職員に発表させてちゃんと逃げ道は作っています。佳子さまはこれからも、否定できないような決定的瞬間を週刊誌記者から狙われ続けることだろうね。これが、行動を改めるきっかけになれば結果良しではあるけどね。
金魚みたいなお顔、と思ったらおさかなのペンダントでワロタ
>D:UnG5FBQE No.1353480 皇族は、自分の口でのはっきりとした批判は避けるのが鉄則です。お間抜けと叩かれるナルマサ夫婦にせよ、東宮職員に発表させてちゃんと逃げ道は作っています。「人格否定発言」「苛められた発言」皇太子が記者会見で言ったけど。雅子も「海外にいかせてもらえない」って文句言ってたけど。
佳子さまに>否定できないような決定的瞬間なんてありませんが?何のこと言ってるのかしらこの方(笑)
まずは公式の場でいいかげんな恰好をしている方たちがいますので
ヤリマンビッチ承子にも言ってやれよ、オカメ
手が小さいね
黒田清子さんと似ている。
さーやは今上そっくりですよ
雑誌明星10月号特別付録
戦前から戦後にかけての少女雑誌の一番の人気は「ご令嬢特集」内親王はもとより、華族、財閥、家元令嬢が毎週紹介されていた。高峰三枝子や司葉子もそれで目を付けられデビュー。梨本宮妃の日記でも、銀座に買い物に行くとすぐに新聞や雑誌の記者が寄ってくると書いてある。おスタちゃんが目立つのは、内親王らしからぬ言葉遣いとキャラゆえ。「わたしの選んだ人を見てください」も実際に映像で見ると「そうねえ、わたしの選んだ人を見て頂きたいワッ」という感じ。
一番芸能界で目立ちそうなのは高円宮家の長女逆に長男の娘は学術分野で生きていきそう
つぐちゃんのヒップホップDVD見たいわ
派手な方、と学習院で言われてた清宮さま
>逆に長男の娘は学術分野で生きていきそうこれってアイコの事?
顎がしゃくれてて、山田邦子みたい。
高円宮殿下は三笠宮殿下の三男。三笠宮殿下の長男、すなわち寛仁親王の娘といえば、彬子女王と遥子女王。学術分野で活動しそうということであれば、彬子女王のことを意味しているのでしょうね。おそらく。
この方の一人息子さんは聾の障害があるんでしたっけ?ケア関係で知り合ったアメリカ人女性と結婚されたと聞いたことあるけど、違う人かな。
やっぱり近親結婚はよくない。
リスクを知ってて結婚されたんでしょうね
着袴の儀 数え5歳
4歳でこの落ち着きはすごい
February 01, 1973ナルちゃん13歳
どこから見ても親子ですな
足が長く見える不思議
January 01, 1950
宮廷服がお似合いですね
January 01, 1955
パーマくりんくりん
今の雅子さんと同じ年
August 13, 1946.那須御用邸の台所で料理の練習をする内親王方。孝宮18、順宮16、清宮8歳
厚子さんの縮毛は大正天皇の遺伝かな
清宮「あたちもやる〜〜〜〜!」
末娘だけ性格が違う。
さーや1歳
あーや美少年になってる
ナルは結婚するまでは弟や妹大好きーって感じのいいお兄ちゃん写真が結構あるね愛情目いっぱいで育ってて他者に愛情をかけられるようなのに結婚してからは愛情を知らない人かけられない人のような写真ばっかり雅子の事ほんとうに好きじゃないんだなぁ即、離婚すればよかったのに
理想的なファミリー
国民的スターが勢揃い
1975年5月エリザベス女王来日
エリザベス女王に直接会えた子供は日本の皇室では清子だけ。三笠宮寛仁の長女が留学中にエリザベス女王に招待されて女王自らお茶を入れてもらっている。
エリザベス女王や天皇より高い位置にいる女帝美智子。
>エリザベス女王や天皇より高い位置にいる女帝美智子こういう時の所作がなっていないんでしょうね。ガサツな雅子とおなじ。ものすごく気の強い美智子さんは、陛下はもちろん、エリザベス女王の地位が悔しいのかも。ほんとうは自分がその地位にあったなら・・と考えるのかもね。平民だからこその卑しさ。
平民でも最下層出身らしいのに、天皇陛下と並び立つほど思い上がっているらしい。
何で美智子さんだけ大きく高く写っているの?
やっぱりサーヤは凄いわ・・・小さい頃から大人みたいだったよね
さーやは思慮深い大人の雰囲気を持ったお子さんでしたね
利発な子は幼児でも違うね
6歳くらいかしら
雅子さんより大人だわ
というより、成人の知能がない。
雅子の目がギラギラしててヤバイ。お薬キメてきたね。
けがれたふうふはニラニラ ヌメヌメ
この独特のギラつきは、診るひとが見ればピンとくる類い。
アテクシどう? 佳子と比べてもアテクシよオーホホホ
国民の支持がない皇族は惨めです。
「たまに出てくるとアテクシの美しさにみんなが驚いてるわ」
ナルなんて自分に実力がなくてもいつも相手から頭を下げてもらえるからカン違いしているんだろうな。
やっぱり、母子だね。愛子さんに似てるわ。
媚び媚びの笑顔
安部とナルと島津貴子さんの夫
島津貴子さんの夫さんの方が髪が豊富
演出家に仕草を付けられたんでしょうね。すごく不自然
雲の上のお育ちで寡黙な姫を妻にした夫は家でもくつろげずに行きつけのバーのマダムと親しくなる。しかし天皇の皇女を妻にした以上離婚は出来ない。死ななくてももう少し上手く生きればよかったのに。
内親王を妻にもらったプレッシャーだけでなく、五摂家という名家の出でありながら一サラリーマンという戦前戦後での待遇の激変もストレスだったのでは?
事故だったんじゃないの?
画伯が美智子さまも描いてくれればもっと楽しいのに・・・・・
画伯は御一行様の人じゃなかった?
画伯は一般大衆の感覚の方ですね
8年も前の画像が今と一致してます
「どう? 佳子と比べてもアテクシが美人よホホホ」
皇室の美の基準は佳子さまになったのね。
芳紀20歳に50代の婆が対抗しようとするのが変
こうやって改めて見ると、眞子さまの幼い頃ってお父様とよく似てますね。目元もそうだけど、無邪気そうな雰囲気も。
画伯最高!ソックリじゃん
雅子さんそっくり
アホ
落ちこぼれ親子
アサリ丼
不気味です。
肉肉しい顔とはこのこと
肉々しくて憎々しい、気持ち悪い親子ですね!
アテクシ? 佳子と比べてもアテクシいけるわオーッホホホッ!
愛子さんには幸せになってほしいな
近衞やす子さんの結婚式
内親王の結婚式はこの装束でないと・・・新郎は島津貴子さんの時はモーニングでお洋服だったような気がします。
百合子妃のお下がりだそうです
歯出な旦那さま
お猿さんと
慈しみ
お母さまに性格が似ていなくてよかったわ。
でも・・・、左手が退院時に愛子を抱く雅子と同じだよ?
↑サルだからいいんだよっではアイコは🐵並ってこと?
> ID:j0sgt7AI 左手が甲で抱いているように見えるの?私のパソコンと私の目には、掌で抱きとめ右手の掌でお尻を抱きながら左手を捕まえているように見えるけどそして、小猿としっかり目を合わせてらっしゃる慈しみの清子さんの姿とアフォ〜でアラフォーの雅子さんとは比べようがないでしょ!
野口英世記念館を訪れた清宮貴子内親王殿下14歳 1953年島津 貴子(1939年(昭和14年)3月2日 - )
愛子さんより迫力ある
極道の娘さんのような迫力