「頭がいい」と褒めるのは間違い–心理学者が教える、子どもを成長させる正しい褒め方とは
子供を育てる際に褒めることはとても大切です。しかし、心理学者のCarol Dweck(キャロル・ドウェック)氏は、子供の褒め方を一歩間違えると、報酬なしでは行動しない人間へと育ってしまうという。同氏が語る、子供を成長させる正しい褒め方とは?(TEDxNorrkoping2014より)
- スピーカー
- 心理学者 Carol Dweck(キャロル・ドウェック) 氏
失敗したときに「まだ学びの途中」だと考えられるか
キャロル・ドウェック氏:「まだ」の力。シカゴのある高校についての話ですが、そこでは卒業するために必要な単位を落としてしまうと「まだ」という認定になるそうです。私はそれをすごいことだと思っています。
なぜなら、落第だったら「全くダメで希望がない」と思ってしまうところを、「まだ」だと学びの途中と考えられるからです。そこには未来への希望があります。
「まだ」という考えは、私のキャリアにおいての重要な出来事へのインサイトにもなりました。またそれはターニングポイントでもありました。
子ども達がいかにチャレンジや困難に対処するかということを知りたかったので、10歳の子ども達に、やや難しすぎるレベルの難題を与えました。何人かの子どもは、驚くべきポジティブな方法にたどり着いたのです。
そしてその子達は「チャレンジが好き」とか「これが役に立てばいいな」と言いました。彼らは能力が伸ばせるということを理解していたのですね。彼らは、私の言い方ですと「成長思考」なるものを持っていたのです。
しかし、悲劇的で散々だと感じる生徒もいました。固定された考え方によって知性がジャッジされると感じて失敗してしまったのです。「まだ」の力を謳歌するのではなく、「今」という脅威にとらわれてしまうのです。
子どものゴールがテストになっていないか
次に何をしたか。私は次の課題を教えることにしました。ある研究では、失敗した次には勉強をすることよりもカンニングするという結果が出ています。
また別の研究では、自分がましだと感じるために、自分より劣った人を探すという結果もあります。
とにかく困難から逃れようとするのです。
科学者は、失敗に直面した時の生徒の脳内の電気活動も調べました。左の図は凝り固まった思考の図で、活動がほとんど見られません。失敗から逃げて、しっかり取り組もうとしていません。
しかし成長思考の右側の図では、アイデアや能力が発達しています。「まだ」の発想でエネルギーに満ちあふれているのです。物事にしっかり取り組んでいます。失敗を過程とし、そこから学んで正していけるのです。
私達の子どもの教育はどうか? 「まだ」より「今」のために育てていませんか? 成績のAに取り憑かれた子どもにしてしまっていませんか? 大きな夢を掴むことを考えられない子どもにしていませんか? 子どもの1番のゴールが「次も成績でA」や「次のテスト」になっていませんか?
未来のためにそう考えるのが、当たり前になっちゃっていませんか? 報酬なしではもうやっていけない若者達を育てたのが、自分たちだと言う人もいるかもしれませんが。
子どもの才能ではなく、取り組んだプロセスをほめよう
では私達にできることはなんでしょうか? 「まだ」へのかけ橋には何が必要か。その方法をいくつか紹介したいと思います。
まずは賢くほめましょう。賢さや才能をほめるのではありませんよ。それはとっくに失敗しているのでもうやめましょう。
子ども達が取り組んだプロセスをほめるのです。努力、作戦、集中、忍耐、進歩といったことです。プロセスの賞賛が、強くハツラツとした子を生み出します。
「まだ」を賞賛する他の方法もあります。最近、ワシントン大学のゲーム学者と連携をして、「まだ」を賞賛するタイプのオンライン数学ゲームを作りました。
このゲームで生徒達は、努力、作戦、進歩というものに対して報酬を得ます。普通の計算ゲームでは、今というその時に正しいことが求められますが、このゲームではプロセスが賞賛の対象です。彼らが本当に大変な問題に直面した時、より多くの努力や作戦、より長い取り組み、そしてより強い忍耐を得るのです。
「まだ」という言葉だけで、子ども達に自信を与えることができます。よりすばらしい追求へと続く、未来を与えることができます。
そして実際に生徒の思考を変えることは可能なのです。
自分の許容範囲外の新しいことや困難を学ぶごとに、脳のニューロンが新しく強い繋がりを作り、何度も繰り返していくうちに賢くなれるという研究もあります。
成長思考が教育の場を平等にする
実際に何が起きたか紹介しましょう。この成長思考を教わらなかった生徒達は、学校での変化に伴い成績が低下しましたが、逆にそれを教わった生徒達は急激に好成績を取り戻すことができたのです。現在はそんな上達の結果を、苦労している何人もの生徒を中心に紹介しています。
そこで平等について語らせていただきたい。この国には、常に低いパフォーマンスの生徒達も存在します。例えば、それは都心部や、インディアン居留地といった地域の生徒達です。そしてそれを多くの人が仕方ないと思ってしまっています。
しかし教育者達が「まだ」に満ちた成長思考のクラスを生み出したとき、教育の平等が現実しました。いくつかの例をごらんください。
「成長できるとわかること」は子どもの基本的人権に等しい
ある年の国内達成度テストにおいて、ニューヨークのハーレムのある幼稚園は95パーセントのスコアを得ることができました。多くの子ども達は、始めはペンの持ち方すら知りませんでした。またある年には、サウスブロンクスの4年生の生徒達は、数学テストにおいてニューヨーク州の4年生で1番になりました。
1年半後に居留地のネイティブアメリカンの生徒達は、地域で最下位から最高位になりました。その地域にはシアトルの裕福なエリアも含まれており、つまりネイティブアメリカンの生徒達が、マイクロソフトの子ども達を凌ぐ結果となったのです。
努力と困難の意味が変換されたことによって、こういったことが起こったのです。かつては、努力と困難は彼らを疲れさせて諦めさせるようなものでした。しかし今は、それがニューロンの結合に作用する要素となり、彼らを賢くさせるのです。
最近、13歳の男の子からこんな手紙を受け取りました。
「ドウェック教授様。あなたの書いたことが、堅実な科学的リサーチに基づいていることに感謝しています。それによって自分が実際に行動に移すことができました。学校での課題や、家族や友人との関わりをもっと頑張ろうと思います。今の段階でも、これらにおいてすばらしい進歩を経験できました。人生を無駄にしていたのだと今になって気づきました」
(会場笑)
もう人生を無駄にすることがないようにしましょう。能力はこんなにも成長できるとわかれば、これは子どもにとっての基本的人権となるのです。成長をし、「まだ」に満ちた場所での全ての子ども達にとってです。ありがとう。