2015年6月2日05時29分
■金融政策 私の視点
――日本銀行は先日の金融政策決定会合で景気判断を上方修正しました。大規模な金融緩和の現状を柳川さんはどう見ていますか。
「今のところ多くの経済学者の予想を上回る状況で経済の状態は推移している。景気は緩やかに回復し、雇用も改善した。大きな原因は円安だ。日銀の金融緩和が相場に与えた影響は大きい。また、大規模な金融緩和が始まってからの2年間で好転した米経済にかなり助けられた。米国への輸出が好調に推移し、円安との相乗効果が出た。仮に米経済が落ち込んでいれば、政策効果はだいぶ違っていただろう」
――日経平均株価も2万円を超えて推移しています。
「企業収益自体も上がっている。ただ、日銀が株価指数に連動する投資信託(ETF)を買ったり、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が株式の保有割合を増やしたりした。それで市場は株高が続くのではないかと期待し、実際に株価が上がっている面がある」
――確かに日銀やGPIFが投資の呼び水になりました。ただ「官製相場」との指摘がつきまといます。
「期待を高めているうちに実体経済を強くして、株価が高い状況を維持していくのが理想だ。だが、現状は期待先行で株価が上がっている。一時8千円程度だった株価が2万円と倍以上になるほど企業収益が回復しているわけではない」
「また、市場の期待をコントロールし続けるのは難しい。株価が相当早く上がってきたのは少し気になる。少し期待をふくらませすぎだ。何らかのショックで景気が落ち込んだときに、どこかで逆回転してしまうリスクは抱えている」
――2%の物価目標は達成できるのでしょうか。
「原油価格が下がった影響もあるので、近く2%に達するのは難しいだろう。だが、そもそも2%の物価上昇率は何のために達成する必要があるのか。本来、日銀に課された任務は、物価の安定のもとで景気を拡大させることだ」
「日銀はみんなのデフレマインド(思考)が景気を悪化させているという論法なので、インフレマインドに変えて景気がよくしようとしている。ただインフレマインドに転換していなくても、景気が良くなれば最終目的は達成されるはずだ。だから、物価目標にこだわらなくてよいだろう」
――物価上昇は景気回復に必ずしも必要ないと。
「果たして不景気にデフレマインドがどこまで影響していたのだろうか。大事なのは、むしろ景気拡大期待だったのではないだろうか。物価下落率が数十%まで深くなれば、確かにものを買わない方が得だから消費は落ち込む。でも、日銀が大規模な金融緩和をする前からデフレだったが、下落率はほぼゼロ近傍だった。ものを買わなくなって景気が悪くなるという影響がどこまであったか疑問だ」
「逆に言うと日銀が目指す2%くらいの物価上昇で早くものを買おうと思うのだろうか。私はブラジルにいたことがあるが、当時ブラジルはハイパーインフレだった。そのくらいだと、確かにみんな実際すぐにものを買いに行った。だが、それでは景気は良くならなかった」
――金融政策で人々のマインドを変えられるのかという問題もあります。
「そこは意見が分かれて論争になっている。経済学者でも心理学者でもなかなか答えられない難しい問題だ。明らかなのはある程度過去の実績が影響することだ。実際の物価上昇率で2%が続けば予想も2%になる。0%の実績が続けば0%になるとみんなが予想する。最大のポイントは日銀が物価上昇率を2%にすると強く言い続け、そのために必要な政策をやり続ければ、物価上昇率が現状0%でもやがて2%になるかどうかだ。ただ、これはなかなか難しいのではないか」
――2%が難しいとすれば、金融政策はどう調整していくべきでしょうか。
「2%の旗を降ろしてしまうと、せっかく形成されかけたインフレマインドがつぶれると言う人がいる。半分はそういう面もあると思うので、物価がある程度上がってくるまでは緩和を続けざるを得ないだろう。今の日銀の政策は、事実上そうなってきているが」
――ただ、期限を区切らないと国債などの購入量が増えます。こうしたリスクはどう見ていますか。
「根本には財政リスクがある。今、日銀は相当な量の国債を買っている。経済学者はそれが財政の穴埋めととられて、金利が上がると警告してきた。今のところ上がっていないので『オオカミ少年』と言われるかも知れないが、財政赤字額の高止まりで政策の選択肢が少なくなっているのは事実。楽観はできない」
「また、2%を実現すると約束をして、相当なコストやリスクを負いながら、インフレマインドを作ることがどれほど必要なのか。物価が上がらなければ市場からさらなる緩和を求める声が上がり、次から次へ派手な花火を打ち上げなければならなくなる。株など資産価格を上げたり、先高感を演出したりできるが、極めて短期的な政策で長期的な成長率を上げる政策にはなり得ない。金融政策でできることには限界があると考えるべきだ」
――それでは日本経済の成長力を上げるにはどんなことが必要でしょうか。
「いずれも反対が多い議論だが、労働市場の流動性を高める改革やグローバル化への対応などを実行して、実体経済をよくする政策が不可欠だ。私は、40歳で新たなことに挑戦する『40歳定年』を提唱している。その一番の理由は、技術の進歩とテクノロジーの発達、新興国のスキル向上のスピードがすごく速くなり、それに対応する人材の開発がすごく重要だと思ったからだ」
――具体的にはどういった対応が必要ですか。
「まず対応を考えるべきなのは国だ。時代に対応したスキルを身につける社会人教育の充実と起業を積極的に後押しする政策が必要だ。また、人材を流動化させる政策も必要だ。仮に50歳で世の中が変わってしまえば、それに対応するしかないのだから、スキルは何歳になっても獲得し続ける必要がある。スキルを高めて、大きな変化が生じても生産性の高い仕事ができるようにしておくことが大切だ」
――仕事を辞めて有望な業界に移るのは魅力的ですが、リスクもあります。
「いきなり会社を辞めて学校に入り直したり、起業したりするのはリスクが高い。できるなら企業にいながら別の仕事をして、兼業の方が伸びてきたら軸足を移せばいい。企業も柔軟な思考が必要で、そうした社員を処遇する必要がある。社員が自分でやりたいことを探して来た場合、有望なら出資する社内ベンチャーにすれば、いずれ本業を助けてくれるかもしれない」
――それには様々な主体が努力することが大切でしょう。
「国・企業・個人。この三つの意識がそれぞれ変わらないと難しい。政府が音頭を取るだけではだめだ。企業も働き方への対応を変えないといけない。政府や企業がスキルアップしやすい環境を用意しても、何よりも個人が今のままでいいと思えば、変わらない」
「金融政策といったマクロ政策は中央銀行や政策当局が何かするだけで、急に自分の生活が良くなったり悪くなったりする。だから、個人はどうしても政策に頼りがちになってしまう。でも、少し考えてみればわかるはずだ。人々の行動が変わらないのに、全体が良くなり続けることはあり得ない、と」
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やながわ・のりゆき 1963年生まれ。慶大経卒、東大院経済学研究科博士課程修了。慶大経専任講師などを経て、2011年12月から東大院経済学研究科・経済学部教授。
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