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◆◇◆ 京都乃鬼新聞 ◆◇◆
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1
:
ジョン万次郎
:2015/01/31(土) 08:47:10
関西同志が発行する破邪顕正新聞
「京都乃鬼新聞」
購読無料 ! コピー可
※不定期便
2
:
ジョン万次郎
:2015/01/31(土) 08:47:58
京都乃鬼新聞
2015-1-30
「会則の教義条項改正に関する解説」に対する意見
京都乃鬼新聞社
紙上座談会①
編集長:2015年1月29日に聖教新聞4面に掲載された内容が「創価学会教学部」となっているが?
赤鬼:今の教学部のメンバーには書けない様な内容も含まれているな(鬼笑)
黄鬼:そう言えば、今月、T事務総長が教学部総主事になったと発表された。
今回の件と何か関係ありそうだな。
青鬼:このT事務総長が、東大の先輩でもある創大教授のM田氏やK野氏に今回の教学部解説を書かせたとの、もっぱらのウワサだ(鬼笑)
白鬼:なんだ。だからM教学部長の名前で発表されていないんだ。
赤鬼:このM教学部長は、今回の教義変更には前総合教学部長のE氏同様に慎重の姿勢であった。ところが、原田会長やT事務総長の説得に応じてしまった。
青鬼:最後まで慎重な姿勢を崩さなかったE氏やM氏は教学室から外された。しかし、創価学会教学部の根幹を成す教学室にこの二人に変わる人材がいなかった。
赤鬼:仕方なく、執行部御用達、御用聞き教学の学者らに今回の解説を書かせたというのが実情のようだな。
緑鬼:しかし、それにしても教学部の解説は酷い内容になっているな。
白鬼:「はじめに」の解説なんて噴飯ものだ(鬼笑)
「教義の変更ではなく、教義の解釈の変更」としているのが学者らしい言い草だ。
黄鬼:「解釈の変更」で、何故わざわざ「創価学会会則第1章第2条の教義条項」を改正する必要があったんだ?
紫鬼:そんな必要はない。
過去にも教義の解釈変更はあった。
その事例として教学部は、池田先生の「国立戒壇の件」や「私の釈尊観」「私の仏教観」を挙げているが、それは全て池田先生が当時会長時代のものであり、それこそ「世界広布新時代」に向けて、池田先生お一人がその教義解釈変更の責任を一身に被り、宗門から我々を護って下さったのだ!
青鬼:そうだ!
池田先生が会長時代は、今回の様な教義の解釈変更する場合、会長の責任上に置いて為されており、教義会則の変更までされなかったではないか!
橙鬼:原田会長は今回の教義解釈の変更をするんやったら、自分の責任上に置いて発言し、それに伴う宗門やその他日蓮系各宗派からの疑難に堂々と答えてもろたらエエねん。
それが出来ひんから、わざわざ会則変更したんとちゃうか?(鬼笑)
青鬼:しかし、今回の教義変更の解釈についても、はたまた創価学会会則の教義条項変更についても、池田先生のご発言が一切無いじゃないか!
白鬼:事情が分からない学会員が読めば、今回の教義変更も池田先生のご判断だとか、お認めになられたとかと勘違いしてしまう。
赤鬼:ある幹部などは「聖教新聞に掲載されているのだから先生もご存知のはずだ!」と強弁する者もいる。
青鬼:しかし、聖教新聞に掲載された記事全てを池田先生が「ご存知」だというのはおかしいし、「掲載されたから」=「認めた」と言うのも全く違う。
黄鬼:この際ハッキリしておこうじゃないか。
今回の教義変更は、原田会長の下、現執行部が行ったものだということを!
白鬼:それならば教義変更は我々学会員にとって無関心でいられない事だ!
然も教学上の解釈の事。
例え原田会長と言えど、先生の下では我々も同じ弟子同士だ。
対等に自分の意見を言っても幹部批判でも無ければ、学会批判には当たらないのは当然だな。
青鬼:そうだ!教学を純粋に、そして真剣に取り組む学会伝統の姿勢、即ち「剣豪の修行」が如く、どんどんとお互い意見を述べ会おうじゃないか!
続く
3
:
新宿小町
:2015/01/31(土) 17:17:29
京都乃鬼新聞
紙上座談会②-1
2015-1-31
「三大秘法について」
編集長:教学部は「日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊はすべて(中略)等しく『本門の本尊』である。」と言っているが?
青鬼:教学部が言う日蓮大聖人の御図顕の御本尊とはどの範囲までを言うのかハッキリしない。
虹鬼:創価学会教学部は本格的に大聖人の御真筆の御本尊を調査研究した事があるのか?また、それを判断出来る眼力があるのか?
白鬼:眼力は全くない。山中喜八氏らの作った御本尊集によるしかない。今だって中尾氏やら寺尾氏やら立正大学系の学者に頼るほかない。どこまでいっても「他門流の日蓮研究家たちによって御真筆であると認定された御本尊」でしかないんだ。単なる追従でしかない。
青鬼:創価学会独自の判断として大聖人の御真筆と認めた御本尊が無い場合、「創価学会とは無関係の日蓮研究家たちによって御真筆であると認められた御本尊」が「創価学会の本門の本尊」になってしまうな(鬼笑)
赤鬼:そもそも権威ある日蓮研究家、学者たちは大石寺にある「弘安2年の板御本尊」を真筆とはしていない。しかし、教学部は「『本門の本尊』としては『弘安2年の御本尊』も含まれる」と言っているが、この矛盾にどう答えるのか?
紅鬼:今回の改正で創価学会は、書写した本尊も「本門の本尊」というが、書写形式というのも、門流によってもまちまちなんだ。日興門流の中でも、細かいところでは、必ずしも一致していない。どんな書写形式でも「本門の本尊」なんだろうか。まさか、大石寺門流の書写しか認めないとか(鬼笑)。
犬鬼:学者が関わっているんやから、そこらへんもハッキリ出来ひんのかと言いたいで!中途半端やで!
猿鬼:そんなん教学部にはムリやろ。
だいたいやがな、創価学会教学部及び執行部御用聞き学者達は、日寛教学を否定したしな!
編集長:それについて皆さんのご意見を頂きたい。
教学部は「今回の改正は、『魂の独立』から23年、世界広布の進展の時代的要請に応えるため」「(創価学会は)日寛教学を見直していく立場」との事だが?
紫鬼:創価学会教学部は「日寛教学の見直し」と言いながら、日寛教学否定の解説になっているのだが、これ自体、別に最新の仏教学の成果でもなく、創価学会教学部が新たに構築した「時代的要請に応える」ことでもなんでもないんだ。実は昭和30年代に日蓮系各派が散々、学会に言ってきた内容と全く同じなんだ。
白鬼:えっ?今の教学部は、昭和30年代に日蓮系各宗派の坊主、学者が学会批判の為に使った事と同じ事を言っているのか?
黄鬼:そうだ。実際、それを焼き直したと思えるほど古びた内容。古本屋で昭和の学会批判本を買って見てみれば、ほぼ同じ内容が書いてあるよ(鬼笑)
4
:
新宿小町
:2015/01/31(土) 17:18:09
京都乃鬼新聞
紙上座談会②-2
2015-1-31
紫鬼:創価学会は、小樽問答などでこうした批判に徹底して反論してきた。池田先生ご自身がその先頭に立ってこられた。
今になって日寛教学に基づいた教義を変えるのは、牧口先生、戸田先生、池田先生の否定に繋がることではないか?
虹鬼:御用聞き学者達は元々池田先生を師匠と仰いでいるのか?三代との歴史の断絶が底意にあるのでは無いか?と疑いたくなる。
編集長:教学部解説では、会則変更以前における三代会長の発言についてこう言ってるが?
「僧俗和合時代の歴史的文脈で言われた発言も、その本質は大聖人の教え、精神と私たちを結びつけるためである。その真意を正しく捉えていくのは弟子の責務である」
虹鬼:では、教学部が言うその「弟子の責務」とやらの今回の教義変更は、三代会長の真意を正しく捉えていると言えるのか?
橙鬼:そや。原田会長はんの執行部及び御用聞き学者達とその教学部いう弟子がした今回の改正について、ワシらの先生はな、全く反応されてへんで!
お認めになる発言も全く無いんやで!
虹鬼:私の情報では、昨年(2014年)8月、原田会長が会則改正の方針を池田先生に説明した際、先生から「大御本尊は否定しないんだよな」と念押しされてる。
桃鬼:しかし、今回の改正は、いわゆる大御本尊が「御本尊であること」は否定しないまでも「大御本尊であること」は否定している。しかも、そのうえで受持の対象から除外している。つまり「大御本尊は否定しないんだよな」との池田先生のご発言に対する否定となっているのだ!
白鬼:教学部が言う「弟子の責務での教義変更」ならば、その弟子の責任に置いて、教学部は全てについて答える必要があるな。
緑鬼:当然だ。執行部や教学部は一体何時、池田先生に指導を受けたのか?
どう報告したのだ?
また、先生から今回の教義変更についてのご発言が何故、聖教新聞に出ないんだ?
紫鬼:日寛上人は「弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既にこれ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり」(観心本尊抄文段上)
戸田先生は「われわれの貧乏と苦悩を救わんがために、日蓮大聖人様は大御本尊様を建立し、遺されてある。これは、弘安二年の十月十二日の大御本尊様のただ一幅なのです。そこから、分身散体の方程式によりまして、ずうっと出てくるのです。それから、ほかの本尊、どこのを拝んでも絶対にだめなのです。弘安二年の十月十二日の大御本尊様から出発したものでなければ、法脈が切れてますから、絶対だめなのです」(昭和30年8月24日、講演会「宗教と人生」)
池田先生は(日寛上人書写の御本尊授与が始まった際の指導)「大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない」(平成5年9月16日)と言われた。
黄鬼:明確な指導だな。
橙鬼:この師匠のご指導から20年。しかし、池田先生はご健在なんや。
ご健在の師匠の文言を「歴史的文脈」として終わらせようとする御用聞き学者達とその教学部と執行部諸君。
犬鬼:何故今、会則変更を含む教義変更が必要なんや?
師匠の文言を依文として説明して欲しいもんやで。
続く。
5
:
ジョン万次郎
:2015/02/01(日) 13:56:46
2015-2-1
京都乃鬼新聞
紙上座談会③1-1
「創価学会に御本尊を認定する権能」について
編集長:今回の教学部解説では、今迄の創価学会の実績、即ち具体的に世界に御本尊を広めてきたのは日蓮正宗ではなく創価学会であった歴史的事実を示し、その正当性を主張しているが?
青鬼:そもそも創価学会が世界192ヶ国-地域に世界広布の道を開いてこられたのは、三代会長の師弟不二の闘いがあったればこそである。
赤鬼:この世界広布の実績は、全て日寛教学に基づいた教義の下、牧口、戸田、池田先生の三代会長に渡る構想、指導性に起因していることは疑いようが無い。
白鬼:今迄の教義の継続性に置いて、御本尊の認定の権能を論ずるのならば実績が伴ってきているので、まだ分かる。
虹鬼:しかし、世界広布をしてきた従来の創価学会教学の一体、何処が、今後の世界広布の妨げになるというのだ?
橙鬼:そうや!なんで今、急に、変更せなアカンのんや?
青鬼:そうだ!その具体的説明が無いではないか!逆に言えば、今迄は世界広布の妨げになる教えを世界192ケ国-地域に流布してしまったということになるぞ!
白鬼:たかが教学部の分際で、事実の上で世界広宣流布してこられた創価三代に渡る教義を勝手に変更するのは、大増上慢である!
橙鬼:執行部や教学部は、池田先生から詳細なご指導を頂いたのか!ハッキリしろと言いたい!
紫鬼:また、一大秘法、六大秘法という日寛上人の解釈が御書に無い事を理由に「今後は用いない」としているが、それを言うならば、御書には、「日蓮大聖人御自身が本仏である」などという一文もない。
白鬼:その通りだ。この教学部の解釈論で行くと、何れは日蓮大聖人が御本仏であることも否定することになる。事実、身延派はそうやって学会を批判してきたんだ。これにどう答えるんだ!
紫鬼:「曽谷入道殿許御書」の「一大秘法」についての教学部の解釈は浅すぎる。本当に、これが教学部か。どこぞの素人が書いているのではないか?
紅鬼:「六大秘法という用語は、今後用いない」というのも深刻だ。六大秘法とは、本尊に人・法、戒壇に義・事、題目に信・行に立てることだ。これを「今後用いない」ということは、人本尊、すなわち日蓮大聖人が御本仏であることを否定するのではないか。
紫鬼:ありうるな。今回、「事の戒壇」は完全否定した。「義の戒壇」だけが「本門の戒壇」だと決めつけた。「事の戒壇」である正本堂を造ったことは、全く無意味だったと決めつけたも同然だ。あの時の御供養も無駄金だったということか?
紅鬼:師匠である池田先生が教義変更に関するご発言が無い中、弟子である原田会長、執行部、教学部が勝手に言い出したんだ。
6
:
ジョン万次郎
:2015/02/01(日) 13:57:20
2015-2-1
京都乃鬼新聞
紙上座談会③1-2
橙鬼:そんな教団による「認定」だけで御本尊の正当性を決めるのはおかしいやん!今後は原田会長が書いた御本尊でも、教団として「認定」すれば「本門の本尊」になってしまうぞ!
編集長:まとめて見よう。
後世に語り継ぐ為、少し専門的になるが、ご容赦願いたい。
まず、教学部解説では、日寛教学(六巻抄)の主要部分を否定した。特に今回は、六巻抄の「依義判文抄」や「文底秘沈抄」の三大秘法論への全否定だった。
紫鬼:その通りだ。またその上、教学部は日寛教学を、要法寺云々を理由に立て分けるとしているが、日寛上人の六巻抄全体の何処をどう立て分け否定する気なのか?
虹鬼:「当家三衣抄」は当然、否定するだろうな。
紫鬼:「当流行事抄」や「末法相応抄」も否定するのか?「三重秘伝抄」だけは残すのか?「種脱相対」はやめるのか?残すのか?どこに線引きをするのか?
藍鬼:特に「末法相応抄」は、久遠実成釈尊を本仏とする要法寺の広蔵院日辰の教学を破折した書。つまりこの書を教学部が否定することは、日蓮大聖人が御本仏であることを否定する事になるが。
紫鬼:その通りだ。「末法相応抄」の否定は、曼荼羅本尊の否定、釈迦仏像の肯定になるな。
紫鬼:先程も引用したが、御書には、「日蓮大聖人御自身が本仏である」などと一文もない。今後、学会は「日蓮が本仏である」と何を根拠に、どんな論理に基づいて言うのか?
紅鬼:日寛上人は要法寺の日辰教学を破折したんだ。だが、その実は、要法寺出身の大石寺17世日精への破折にもなっているのだ。しかし、教学部は日寛教学を否定する立場だから、今後、学会は日精の造仏を認めるのか?(鬼笑)
紫鬼:「三大秘法抄」を除けば、三大秘法について一番詳しいのは「報恩抄」だ。そこに「本門の本尊」について「一には日本・乃至一閻浮提・一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし」とある。教学部に、この御文を通解してほしい。教学部解説では、これを巧妙に省いて引用しているな(鬼笑)
藍鬼:とにかく教学部は、釈尊本仏なのか、日蓮本仏なのか、御書のみに基づいて、はっきりさせてほしい。日蓮本仏論は、今後も注目したい。谷川事務総長の教学の師匠である宮田教授は、学会がずっと言ってきた日蓮本仏論を捨てたいらしいしな。
紫鬼:一方、教義は単なる論理ではない!歴史を背負っているのだ!自分たちが過去の歴史においてやってきたことには落とし前を付けないといけない!
黒鬼:今回の教義変更では、まず、原田会長や谷川教学部総主事は、身延の貫首のところに行って「邪宗と呼んですみませんでした」と謝らねばならないのではないか?(鬼笑)
白鬼:「小樽での問答も貴方達が正しかった。第2代の戸田先生と第3代の池田先生は、日蓮正宗の宗門の言うことを真に受けていたんです。でも第6代に至って、ようやく日蓮大聖人の仏法の本義に立ち返りました。ごめんなさい」と詫びねばならないのではないか?(鬼笑)
黄鬼:早速宗教学者の島田裕巳氏からこう言われているぞ!
「今日の聖教新聞に、教学部の見解として、大石寺の板曼荼羅だけが「本門の本尊」ではなく、日蓮自筆のすべての本尊はそれにあたるということが示されている。昔の会員なら激怒するところだが、ということは、創価学会の教義と一般の日蓮宗の教義のあいだに差がなくなったことを意味する。」
「創価学会は、大石寺の本尊の価値を否定したんだから、一度、大挙して身延山に参詣に行ったらどうだろうか。そこは、日蓮が隠棲していた場所だし、墓所もあるし。大石寺に行けないんだから、身延へ行けば、また聖地ができるはず。」
赤鬼:創価学会教学も、ここまでバカにされるとはな。呆れてしまうよ。
編集長:そうだ。「身延になら真筆本尊も沢山あるぞ。いっそ、どんどん『認定』してしまえばいいんだ。そうすれば、『大聖人の仏法に違背する』と教学部が解説する『独善的な本尊観』を開いた日寛上人の写し本尊など拝まなくていい。」と言われているのと同じではないか!
このままでいいのか?
創価学会教学部様からの返答をお待ちしております。
完
京都乃鬼新聞社
編集長:京都乃鬼
7
:
マックスむちゃい
:2015/02/10(火) 12:17:05
京都乃鬼新聞 紙上座談会④ 投稿者:京都乃鬼 投稿日:2015年 2月 9日(月)00時16分5秒
京都乃鬼新聞
④紙上座談会
2015-2-9
赤鬼:男子部教学部諸君が創価学会会則改定についての日顕宗のアホビラ対策として、研鑽してQ& A を出すそうじゃないか。
青鬼:それは是非、期待したい。それはそれとして、私の近所の男子部員は教学が無くて困っているんだ。
編集長:具体的にどの様な事ですか?
青鬼:その男子部員は、日顕宗からの難癖に対して「御書根本で、大聖人の御精神からすべてを判断する」と言うのだが、その後がいけない。
赤鬼:「大石寺の歴代法主の言葉は、所詮は『人師・論師』の言であり、御書の『解釈』でしかないから、創価学会とは関係無い」 と言うのだろ?
青鬼:赤鬼さんの所もそうなのか!
笑ってしまうよな?
真面に敵との言論戦を戦った事が無いから仕方がないんだろう。
だから彼に言ってあげたんだ。
編集長:流石は百戦錬磨の青鬼、赤鬼さんですね!
どの様に注意されたんですか?
青鬼:法論は常に敵からの反論を想定しなければならない。だから敵の立場になって考える事も大事だよとね。
赤鬼:その通りだ!我々が男子部時代は日顕宗との言論戦の攻防が毎日だった。
青鬼:想定問答として
「では、創価学会は、三代に渡る会長の指導も『人師・論師』の言であり、三代の指導は単なる御書の解釈論でしかないんだな?」と敵から言われたらどうするんだね?と。
赤鬼:その上に「創価学会では、『誰が、御書のどの部分を、大聖人の精神だ』と判断するんだ?」とも言われたらどうするんだ?(鬼笑)
紫鬼:まさか、男子部教学部が判断するのでは無いだろうw
青鬼:そしたら、その男子部員は、その切り返しとして、「日顕宗から『創価学会は大御本尊否定した!』などと言われても、別の教団なんだから、会則 改正を『説明する必要は全くない!』と言い切ります!」だってさ(鬼笑)
赤鬼:そうそう、「別教団である。堂々と学会の正義を主張してまいりたい」だってさ(鬼笑)
赤鬼:「別教団だから関係無い」と言うことが「堂々と学会の正義を主張した事になるのか?情け無い!
編集長:まぁまぁ皆様、現場の男子部員だから仕方がありませんよ。
これから創価学会男子部教学部の立派な幹部から、その男子部員にちゃんとした説明があるでしょう。
(編集長:注)これは、あくまでも登場人物が感じた事であり、個人の感想です。
男子部員とは、特定の方を指すのではありません。
つづく
8
:
鬼好き
:2015/02/16(月) 09:33:08
京都乃鬼新聞⑤ 投稿者:京都乃鬼 投稿日:2015年 2月10日(火)22時37分59秒 通報
京都乃鬼新聞
紙上座談会⑤
2015-2-10
編集長:前回の宗門との仮想問答は大変好評で反応が凄くありました。その中のご意見で「男子部を育成する為にも、黄金柱の壮年部がドンドンと鍛えて欲しい」とありました。
赤鬼:そうだな。我々壮年部も「生涯青春」で仏敵日顕宗との戦いに全力で取り組んでいく決意だ。
青鬼:教学の研鑽は日々の積み重ねだ。男子部より法論の経験も豊富な我々壮年部が男子部に為に、ひとつ人肌脱ごうじゃないか!
編集長:ここでは、敢えて仮想問答の敵側の論陣を張って男子部を鍛えてまいりましょう。
赤鬼:そうだな。我々が初めから「答え」を言えば簡単だが、ここは敢えて男子部諸君に考えて欲しいからな。
橙鬼:そら、エエコトやで。
創価学会の教学は「剣豪の修業が如く」やから、お互い真剣に考えていこうや!
編集長:では、早速始めましょうか。私の手元に男子部が作成したペーパーがあります。これを「教材」にしていきたいと思います。
『聖人御難事には「余は二十七年なり」(御書1189㌻)と、出世の本懐を遂げられたと仰せになっている。しかしながら、出世の本懐の内容そのものは、全く示されていない。
また他のどの御書にも、弘安2年の御本尊が出世の本懐であるとは述べられていない。 』
『したがって、「出世の本懐」=「弘安2年の御本尊」=「根本の本尊」とはいえない』と男子部は述べています。
紅鬼:でも、今迄創価学会は、この聖人御難事にある「大聖人の出世の本懐」が、この弘安2年の御本尊としてきた。
紫鬼:そうだ。何度も教学試験にも出ていたな。それを根拠に弘安2年の御本尊は大聖人御図顕の御本尊で真筆であるとしてきた。
紅鬼:しかし「どの御書にも、弘安2年の御本尊が出世の本懐であるとは述べられていない。 」との男子部の主張は、嘗て小樽問答などで身延派が言っていた事と同じになってる(鬼笑)
藍鬼:池田先生が先頭となって戦ってきた小樽問答に対し、現在の男子部は、どう歴史的整合性を合わせるんだ?
紫鬼:教義は単なる論理ではない!歴史を背負っているのだ!自分たちが過去の歴史においてやってきたことには落とし前を付けないといけない!
編集長:話を先に進めますが、そもそも日蓮大聖人御図顕の御本尊は一体何体あるでしょうか?
青鬼:そうだな、山中喜八氏の研究では123体あるとなっている。
編集長:「御本尊集目録」ですね。創価学会はこれを踏襲しているのでしょうか?
青鬼:いや、この山中喜八氏の「御本尊集目録」には大石寺にある弘安2年の御本尊は入っていないんだ。
橙鬼:ほな、山中喜八はんの研究では、弘安2年の御本尊は大聖人の真筆となってへんのんやね?
青鬼:そうだ。
赤鬼:しかし男子部は、「末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、すべて根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたものであり、等しく『本門の本尊』である。」とも書いてる。
橙鬼:ほな、創価学会が言う「日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅」とはどの範囲なんや?
虹鬼:そこがハッキリしていないんだ。
橙鬼:それともうひとつ。
男子部には荷が重い質問かもしれんけど、これも剣豪の修業や。頑張れ!
ワシからは、「それを書写した本尊は、すべて根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたものであり、等しく『本門の本尊』である。」の中の「それを書写した」とあるけど、「誰が書写した本尊」までが等しく本門の本尊になるんや?
青鬼:まさか大石寺の歴代住職の書写は全て「本門の本尊」と言うのか?
橙鬼:どうやろな?
ま、創価学会が認定するんやし、創価学会にとって都合がエエ大石寺の住職の書写本尊と限定するんかな?(鬼笑)
編集長:その答えも良いですが、その場合、また違う想定問答が待っていますよね(笑)
橙鬼:極端な例えやけど(笑)会長が書写した御本尊さえ創価学会に認定されれば「本門の本尊」なんかなぁ?(鬼笑)
紅鬼:何れにせよ、大聖人御図顕の御本尊の範囲さえ創価学会として決まっていないのに、どうして、その真筆御本尊を、「誰が書写」した本尊も「等しく本門の本尊」と言えるのか、全くわからないな。
編集長:今日はここまでにしましょうか。
橙鬼:まだまだ男子部を鍛えなアカンし、ワシら、すぐには答えを言わへんけど、男子部が真摯に教えを請うて来たら、教えたってもエエけどな(鬼笑)
つづく
9
:
鬼好き
:2015/02/16(月) 09:34:26
鬼のクビとったどぉ! 投稿者:鬼たいじ 投稿日:2015年 2月15日(日)12時45分41秒 通報
こんなん落ちてました(塊笑)
************************
今回は配信配信限定です。
勝手に配信しないようにしてください。
京都乃鬼新聞
2015-2-14
紙上座談会⑥
編集長:どうやら、他紙の紙上座談会では「会則改正は歴史的壮挙!」とかいう内容で掲載されると、登場人物と思われる匿名の方から情報頂きましたが?
青鬼:何処が「歴史的快挙」と言うんだ?
紫鬼:全くだ。会則改定では、御本尊に関する三代会長の御指導を「僧俗和合時代の指導」であると言って、いとも簡単に切り捨てているじゃないか!
藍鬼:要するに「三代会長など過去の人師・論師に過ぎない。今は俺たちの時代だ」と思いあがっているんだ。偉くなったもんだな。
紅鬼:彼らは、化法と化儀の区別すら知らないんじゃないか?
時代や状況が変わっても不変なのが化法だ。しかし化儀は、実際の化導の方法だから時代や状況に応じて変化する。
紫鬼:その通りだ。法主の地位や僧俗の関係は化儀。
戒壇が国立か民衆立かといった論議も化儀だ。学会の会則だって化儀だ。
紅鬼:しかし、御本尊は化法だ。今回の教義条項の改定は、不変の化法を勝手に変更したということだ。
黄鬼:実はこの会則、正信会のパクリじゃないかと内心疑っているんだ。日顕から擯斥された正信会は、結成29周年を迎えた平成21年に包括宗教法人を設立した。
赤鬼:まだ正信会というのはあるのか?
黄鬼:しぶとい。その時の会則が「宗祖日蓮大聖人所顕十界互具の大曼荼羅を本尊とし、法華経及び宗祖遺文を所依の教典として、三大秘宝の教義を広め」となっている。
橙鬼:えっ~!マジでっか?
これでは教義上、創価学会と正信会は同じということになるで!
赤鬼:十界曼荼羅、御書根本、三大秘法……。
これはひどいな、何から何まで同じじゃないか!
正信会がお手本だったのか?どこが歴史的壮挙だ!
黄鬼:通称「教学部レポート」にあるように、急な教義変更は現場の学会員を迷わせ、苦しませるので慎重に進めるようにと進言した教学部の二人は学会執行部から左遷され、教学部からも追い出されましたね。
藍鬼:その斬られた遠藤元総合教学部長が書いたと噂されている「遠藤文書」なるものが出回っているようだが。
編集長:弊社には匿名の方から、2通ある「遠藤文書」その全文を送って頂きました。弊社は不定期ながら、長らく継続して発行している新聞です。今後は「報道の自由」の原則の上からドンドンと「学会員が知る権利」を行使できる様に努めて参ります。
黄鬼:この遠藤さんは、SGI教学部長、総合教学部長、副会長、全ての地位を剥ぎ取られた。来月には、職場の聖教新聞社からも、体良く追い出されるらしいな。
青鬼:なんて酷い事をするんだ!池田先生のご了承も無しに、勝手に会則変更、教義変更をした学会執行部の罪はどうなるんだ!
紫鬼:師匠の御指導に基づけば、あの連中の師敵対は歴然だ。
編集長:繰り返しになるが、もう一度、見ておきましょう。
まず、一昨年(2013)の10月、原田会長による会則改定の報告書を、池田先生は「そこまでする必要があるのか!」と一喝された。
次に、昨年(2014)の8月、原田会長が会則改正の説明をした時も池田先生より「大御本尊は否定しないように」と念押しされた。
藍鬼:ところがだ。「大御本尊は否定していません。今までと何も変わりません」と巧妙に誤魔化して、「実質の大御本尊否定」に踏み切った。
紫鬼:これは「実質の三代会長否定」だな。「僧俗和合時代の指導」は「嘘も方便」の「方便」だったと切り捨てるんだから。
編集長:では、次回は「僧俗決別時代」の池田先生のご指導を見てみてみましょう。
つづく
提供は敵からは恐れられる、新たな敵からは疎まれる京都乃鬼新聞社でした。
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10
:
鬼好き
:2015/02/17(火) 17:04:46
鬼さんこちら 投稿者:鬼たいじ 投稿日:2015年 2月16日(月)12時50分48秒 通報
またまたこんなん落ちてましたけど(塊努笑)
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配信範囲限定
勝手な配信、ネットなどにアップしないでください。
京都乃鬼新聞
2015-2-16
紙上座談会⑦
編集長:今回は紫鬼さんからご指摘があった「(教学部は)御本尊に関する三代会長の御指導を『僧俗和合時代の指導』であると言って、いとも簡単に切り捨てている!」との問題提起について皆さんで語って頂きます。
赤鬼:宗門からの「解散勧告」「破門」は、平成3年の11月だったな。
編集長:ですが、前年の12月に、池田先生は正当な理由も無く、今回の急な会則変更と全く同じく(笑)、日顕宗側の「急な宗規改正」により総講頭罷免されました。
赤鬼:では事実上、池田先生の「僧俗和合時代の指導」とは平成2年12月までだな。
青鬼:その嵐の中で、池田先生はこう言われている。
「世界的宗教学者(ウイルンソ教授)も『本山なら本山といった特定の場所に行かなければならないというような宗教は、世界宗教とはなりえない』と断言している。この点、学会員は各家庭において御本尊を受持しており、世界宗教にふさわしい態勢の基盤がすでに出来上がっている。また受持していない人も御本尊まします会館や拠点に行くことができる。各家庭、各会館等の御本尊は、大御本尊の『分身散体』の意義で、まったく同じ無量の功徳を具えておられる」(平成3年11月9日)
赤鬼:今回の会則の説明では、この「大御本尊の『分身散体』の教義」を「大聖人の仏法に違背するもの」と断じているぞ。「池田先生が大聖人の仏法に違背」しているとでも言うのか?
黄鬼:大御本尊を巡っては、いろいろな研究がある。それはそれで大いにやればいい。だが、学会の大方針は、こうした池田先生の御指導で確定している。今になって云々する必要もない。
橙鬼:いやそれどころか、今の今でもやな、池田先生から会則変更に関して肯定する明確なご発言、ご指導はないで!
おかしなハナシやろ?
紅鬼:話を戻し進めるが、この年の同じ月には、一閻浮提総与の大御本尊こそ「出世の本懐」と言われているぞ。
「全世界の人々が信じて平等に成仏できるからこそ、『一閻浮提総与』の大御本尊であられる。また、この大御本尊を世界へと広めてこそ、一閻浮提広宣流布である。(中略)どこまでも大御本尊こそ、大聖人の『出世の本懐』であられる。そして、私どもが日々拝している各会館、家庭の御本尊は、大御本尊とまったく同じ仏力・法力を具えておられる」(平成3年11月18日)
藍鬼:会則では、この池田先生のご指導に反し、「出世の本懐」の内容も簡単に変えてたな。
11
:
鬼好き
:2015/02/17(火) 17:06:09
紫鬼:また、一閻浮提総与の大御本尊を「受持の対象にしない」と言うなら、こういう御指導も間違いだったと言いたいのか?
「『一閻浮提広宣流布』に進んでいるのは学会である。ゆえに、学会の『信心』こそが『一閻浮提総与の大御本尊』に深く通じ、大功徳を頂戴してきた。その『信心』ある限り、だれ人も大御本尊と私共の間を『切る』ことなど出来るはずがない。電波は宇宙を駆ける。月とも交信できる現代である。いわんや信心の『一念』は『法界に遍し』で全宇宙に通じていく。(中略)ともあれ、わが創価学会、SGIの同志の皆様こそ、永遠に大御本尊をお護りしゆく『使命の仏使』であられる。その皆様に、大御本尊の加護は絶対と確信していただきたい。信心とは、道理の上に立った『確信』であり、その確信が一生成仏の因となる」(平成3年12月8日)
紅鬼:そうだな。これも平成3年11月、宗門から破門された以降の御指導だ。教学部が言う「僧俗和合時代」ではないんだ!
藍鬼:しかも池田先生は「誰れ人も大御本尊と私共の間を『切る』ことなど出来るはずがない。電波は宇宙を駆ける。月とも交信できる現代である。いわんや信心の『一念』は『法界に遍し』で全宇宙に通じていく」との御指導。
紫鬼:それに対して原田会長は、「あたかも『電源と端子』の関係であるかのような本尊観は、(中略)かえって世界広布を阻害するもの」と言いっている。
赤鬼:原田会長は、池田先生の御指導とは真逆の事を言っているのではないか?
赤鬼:これ以外にもあるぞ!
学会が日寛上人書写の御本尊を授与すると発表した時期にも御指導されている。
「大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない。(中略)世界のいずこの場所であれ、御本尊を信じて、純真な『信心』の一念で唱えた題目は、即座に大御本尊に通じていく。『登山しなければ功徳がない』などというのは、先師の指南に背いた大邪義である」(平成5年9月16日)
紅鬼:「謗法の地にあるから受持の対象にしない」という論理も、すでに次のこの御指導で決着済みだ。何も付け加えることはない。
「大御本尊は、全人類に与えられた御本尊なのである。ところが日顕は、自分を崇拝させ、自分の言うことを聞かなければ拝ませない、と大御本尊を完全に私物化している。それだけでも御本仏の大慈大悲を踏みにじり、大御本尊の『一閻浮提総与』の意義を否定し、広布を妨害する『悪魔』等の行為である。
しかも日顕は、仏意仏勅の創価学会を破門し『広宣流布を断絶させよう』とした。仏敵日顕が支配している大石寺は、大聖人の魂が住まわれていない身延の如く『謗法の地』と化してしまった。
今、大石寺に参詣すれば、功徳があるどころか、大聖人のお叱りを受けて、罰を受けるだけである。
一閻浮提総与の大御本尊が、信仰の根本であることは、少しも変わりはない。しかし、大御本尊に御目通りするために日顕に供養することは、日顕の謗法を容認することになる。謗法の僧を支えれば、同じ罪を得てしまう。『与同罪』といって、いわば共犯者になるのである。
謗法に与同して、大御本尊に御目通りしても、『仏敵と戦わず、かえって供養するとは何ごとか』と、大聖人から厳しく叱責されることであろう」(平成5年11月7日)
青鬼:明確だな。まとめてみると、池田先生は教学部がいう「僧俗和合時代」以降でも、こう御指導されている。
①大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない。
②だからと言って、大御本尊に御目通りするために、謗法の地と化してしまった大石寺に参詣すれば日顕に供養することになり、日顕の謗法を容認することになる。つまり『与同罪』になる。
紫鬼:全く明確な御指導だ。心から納得出来る。
しかし、学会執行部は何故、急にこれらの池田先生の御指導を否定してまで会則(教義)変更しなければならないんだ?
12
:
鬼好き
:2015/02/17(火) 17:06:48
藍鬼:全くないはずだ。
紅鬼:会則に
「第3条 牧口常三郎初代会長、戸田城聖第二代会長、池田大作第三代会長の『三代会長』は、広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の永遠の指導者である。」とある。
紫鬼:行き詰まったら原点に帰れの御指導通り(平成10年8月28日)、時の会長よりも、永遠の指導者である池田先生の御指導に従うのが創価学会員ではないか!
編集長:ありがとうございました。次回は「遠藤文書」について検証してみましょう。
つづく
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13
:
新宿小町
:2015/02/28(土) 10:26:11
2014-11-8 投稿者:京都乃鬼 投稿日:2015年 2月28日(土)09時46分18秒
2014-11-8 聖教新聞
=同志のために率先垂範=
新副会長23名を紹介
馬場喜久氏(学術部参与、61歳)
清水信次氏(副教学部長、55歳)
石黒正司氏(未来本部長、55歳)
松山満信氏(壮年部書記長、52歳)
山口浩二氏(目黒総区長、51歳)
竹内一彦氏(足立総区長、49歳)
井出賢一郎氏(総神奈川書記長、56歳)
山崎一久氏(総神奈川長、53歳)
小倉賢三氏(西横浜総県長、53歳)
前原 暁 氏(南横浜総県長、52歳)
佐野文彦氏(総静岡長、52歳)
高木義介氏(総千葉長、48歳)
岡本利明氏(総大阪長、56歳)
北吉 清氏(副総大阪長、56歳)
鷹觜猛男氏(総岩手長、56歳)
高山良一氏(総秋田長、56歳)
葛西仁弟氏(総宮城長、53歳)
鈴木邦和氏(岐阜総県長、52歳)
松井保範氏(三重総県長、51歳)
田中淳司氏(鳥取総県長、61歳)
井出鬼四郎氏(総愛媛長、57歳)
園田清貴氏(北九州総県長、55歳)
安田 進 氏(沖縄総県長、54歳)
新副会長23名の皆様方は、
率先垂範の方々ですので、
新会則について質問がある方には、
特に丁寧にご説明下さることでしょう。
14
:
マックスむちゃい
:2015/03/08(日) 12:05:15
渡る世間に鬼はなし 投稿者:鬼たいじ 投稿日:2015年 3月 5日(木)00時09分40秒
ちょっと、鬼ぃさん!
落し物ですよwww塊塊www
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京都乃鬼新聞
2015-2-16
紙上座談会⑧
編集長:「遠藤文書」について論議して頂く前に、緊急に皆さんに確認して頂きたい件があります。
2月14日の聖教新聞で、新・人間革命「大道」④が掲載されましたが、それについて四国の読者から弊社に連絡がありました。
青鬼:どんな内容なんだ?
編集長:驚いた事に、その方が言われるには「私はその会合に参加したが、先生は阿仏房御書の講義はされていない!」という内容でした。
橙鬼:当時の四国幹部会に参加されてるんやったら、今ではもう相当なご年配の方やな。
その方の勘違いとチャウんか?
編集長:それで調べてみたんですが、やはり、新・人間革命の大道(4)に書かれているような阿仏房御書のご指導は、されていませんでした。
橙鬼:ヒョェ~!そら、どエライこちゃ!ビックリやな!そんなことがあるんかいな?
青鬼:確認してみよう。
今年(2015)2月14日付の聖教新聞の新・人間革命では、昭和53年7月25日、四国支部結成22周年を迎える記念幹部会が四国研修道場で開催され、そこで池田先生は「阿仏房御書」を通してご指導されたとなっている。
白鬼:聖教新聞に掲載されている、ご指導されたとされたとなっている箇所は
御書P1304
「末法に入って、法華経を持つ男女の姿よりほかには宝塔はないのである。(中略)南無妙法蓮華経を唱える人は、その人自身が宝塔であり、また、その人自身が多宝如来なのである」(通解)
黒鬼:有名な御書の一節だ。
編集長:ですが、この昭和53年7月25日の四国記念幹部会の先生のご指導は、池田大作全集には未収録だったんです。
黄鬼:それで私が調べてみると「広布第二章の指針第14集」(昭和54年4月2日発行)に載ってる事が分かりました。
編集長:黄鬼記者に「広布第二章の指針第14集」を持っている学会員さんを見つけて頂き、早速その方の家まで訪ねて見せて貰うと
「編集長!まさに、あのようなご指導は載っていませんでした!」との報告がありました。
黄鬼:イヤぁ~、私も驚きましたよ。参考に全文を紹介します。
15
:
マックスむちゃい
:2015/03/08(日) 12:06:36
【四国記念幹部会】
(昭和53年7月25日香川・四国研修道場)
=人材になろう、人材にさせよう=
「仏法で説く生死不二の原理にもとづく永遠の生命観のうえに立ち、この世の人生において、人間生命の根源的な蘇生の方途を教え、懸命になって面倒をみ、生活指導に奔走しゆくことが、いかに崇高な労作業であるか。
永遠の生命観に立ったとき、死とは、新たな人生への出発にほかならない。その連続しゆく生命の幸せの、この世における総決算の実証のためにも、後輩を心から慈しみ育て?あの人がいたから私の幸せの今日がある″といわれるような実践で、見事に一生涯をかざっていただきたい。
日蓮大聖人の御指南を拝するにつけ、われわれの仏道修行の肝要も、しょせん強盛な信心を貫き通すことに尽きる。信行学という一生成仏への実践を「月月・日日につより給へ」(御書1190㌻)の御聖訓のままに、持続していくために組織があり、日々の活動があることを忘れないで、信心だけは強く、また勇敢に、水の流れのごとく絶え間なく進めていってほしい。
ともあれ、信心は安心しきった境涯で、自信に満ちみちて励んでいただきたい。
「信を道の元・功徳の母と為す」(御書790㌻)とあるごとく、強き信心が功徳を生み出すことを確信されたい。
信心こそいっさいの根本であり「仏法の根本は信を以て源とす」(同侭、)の御聖訓をともどもに銘記したい。
さらに「所謂南無妙法蓮華経は精進行なり」(御書790㌻)と仰せのごとく、事の仏法の真髄は精進行のなかにあることを深く信じ、あとはわが地域を本有常住の広布の大地と定めて、明るく朗らかに二十一世紀をめざして四国広布を担っていってほしい。
これからの四国は「人材になろう」「人材にさせよう」を合言葉に前進していってはどうかと提案し、私の話としたい。」
赤鬼:御書P1190「月月・日日につより給へ」の有名な一節は「聖人御難事」だし、P790は「御義口伝(下)」の箇所だ。
藍鬼:阿仏房御書なんて一節も出てこないじゃないか!
青鬼:一体どれを信用すればいいんだ?
白鬼:当時の聖教新聞を見れば分かるんじゃないか?
黄鬼:杉並区にある立正佼成会の図書館に行けば誰でも過去の聖教新聞を閲覧出来るので行ってみたんだ。
青鬼:どうだった。
黄鬼:当時の聖教新聞にも阿仏房御書を拝されての御指導は掲載されていないんだ。
編集長:では次回、何故この様な事が起こったのか、皆さんで検討してみましょう。どうか、皆さんの人脈を総当たりして、情報収集をお願いします。
つづく
提供は敵からは恐れられ新たな敵からは疎まれる京都乃鬼新聞社でした
16
:
マックスむちゃい
:2015/03/08(日) 12:23:34
鬼の居ぬ間に洗濯 投稿者:鬼たいじ 投稿日:2015年 3月 8日(日)00時09分34秒
かあちゃん、洗濯鬼から水漏れてるよっ!!(慌塊笑)
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京都乃鬼新聞
2015-2-17
紙上座談会⑨
編集長:新・人間革命「大道」?に記載されている四国支部結成22周年記念幹部会において、池田先生は阿仏房御書を拝されて講義をされていないのではないかと、この会合に参加された方からの情報を基に、弊社は当時の聖教新聞やこの会合の先生のスピーチをまとめた「広布第二章の指針第14集」を調べました。
そして正しくこの参加者が言われるように、その記載が無いという事実を確認しました。
赤鬼:驚くべき事実だ。本当に驚いた。
青鬼:と言うことはだな、
当然池田先生が「私たち自身が宝塔であり、大御本尊なんです。」というご指導も無かったと考えるべきなんじゃないか?
橙鬼:当然そうなりますわな。だいたいがやな、このヤヤコシイ時期にやで、先生がこう言う発言される道理はないと思うで。
編集長:では、橙鬼さんが言われる「ヤヤコシイ時期」(笑)、この当時の創価学会や池田先生が置かれた立場や時代背景から考えてみましょう。
黄鬼:この四国の会合は昭和53年7月25日だ。この約一ヶ月前の昭和53年の6月30日には「教学上の基本問題」が聖教新聞に掲載されているな。
紅鬼:この「教学上の基本問題」というのはなんですか?我々男子部にはピンとこないんです。
赤鬼:そういう時代になったんだな(笑)
よし、歴史を風化させない為にも少し見てみよう。
青鬼:池田先生の発願で、創価学会員の多大な寄付により昭和47年、正本堂が完成したが、この仏法史上偉大な事業をされた池田先生に、宗門の坊主や法華講の信者どもがヤキモチを焼いて所謂「昭和52年路線問題」という言い掛かりの様な難癖を付けてきた背景があるんだ。
黄鬼:これが世に言う「第一次宗門問題」の始まりだ。
紫鬼:今でこそ何でも無い池田先生のスピーチの内容を殊更取り上げ、日蓮正宗の坊主達や壇徒どもが「謗法だ!謗法だ!」と大いに騒いだ。
藍鬼:これに乗じて、学会を我が物にしようと暗躍したのが山崎正友だ。
紅鬼:坊主らはどういう池田先生のスピーチを問題にしたんですか?
紫鬼:例えば、池田会長講演(仏教史観を語る)から
「維摩詰は、在家の身ではありながら供養を受けた事実が『維摩詰経』に記されております。(中略)つまり、供養とは、あくまで仏法のためになすのであります。その供養が仏法流布に生かされるならば、在家の身であっても供養を受けられるという思想があります。」(大白蓮華s52年3月号)
17
:
マックスむちゃい
:2015/03/08(日) 12:24:33
橙鬼:こんなの、何の問題もあらへんがな!先生が言われる通りや!
黄鬼:これに宗門はこう言って来た。「(略)在家はどこまでも資生産業にはげみ、仏に供養するべきであります」
赤鬼:要は、在家は黙って坊主に金を持って来いという事だな。それを独占したいだけの単なる言い掛かり(笑)
黄鬼:これに対し学会の答えが「『教学上の基本問題』について」の中で、宗門に詫びているんだ。内容はこうだ。
「維摩詰が供養を受けたことは法華経で観世音菩薩が受けたのと同じく仏に捧げる意味であります。ことに維摩詰は在家であり、供養を受ける資格があるとはいえません。経文に応供とあるのは仏のことで供養を受ける資格かあるのは仏以外はないのであります。したがって、在家が供養を受ける資格があるという記述は改めます。」
青鬼:情け無い!袈裟を着た坊主の言いなりだな。何故堂々と仏法の道理、師匠の正義を貫けないんだ?この時の会長は誰だ?
紫鬼:北条会長の時代だ。また、宗門からこう言う言い掛かりもあった。
(池田会長「昭和52年元旦勤行あいさつ」)「信心の血脈こそ大事なんです。われわれの次元に於いてはそれでいいんです。生死一大血脈抄、その他の御書を拝読をすれば全部それは明快である。形式は必要ない。」
紅鬼:えっ?これの何処がいけないのですか?
黄鬼:宗門の難癖はこうだ。「『形式は必要ない』といわれているが世間の言葉でも形式は必要であります。結婚式でも葬式でもそれがなければ、人間生活における秩序が立ちません。従って寺院における各種法要、授戒、結婚式等の儀式が形式だから必要ないという考えは成立しません」
橙鬼:日蓮正宗はマジ、子供じみた無茶振りの言い掛かりやな!先生は仏法の事、然も「信心の血脈が大事」と言うたはるだけやのに、「世法の儀式は~、人間生活に~」と、ナニを眠いコト言うとんねん!それは世法の形式の事やろ。アホくさ!
紅鬼:本当ですよね!論点が全く違いますよね!で、でもまさか!これを学会が謝る事はしてないでしょ?!
青鬼:残念ながらしているんだ。
18
:
マックスむちゃい
:2015/03/08(日) 12:25:11
黄鬼:紙面の関係で全部は載せないが、「寺院がそうでないかのような表現は、明らかに言い過ぎであります。」「形式は必要ないと述べている点については(中略)言葉が足りませんでした。」とあるんだ。
紅鬼:悔しいです!何故、学会執行部はこんなに弱腰だったんですか!
赤鬼:まだある(池田会長著「指導メモ」)「私は戸田前会長と十年間、師弟の道を歩んできた。たとえ師匠が地獄に落ちようと、師匠のそばへ行くと決めていた。それを自分の人生と決め、だまされても、師匠と一緒なら、それでいい。これが師匠相対だと決めていた。」これに日蓮正宗はこう言ったんだ。
「師が地獄へおちるなら私も地獄でよいというのは本宗でいう師匠相対ではありません」
橙鬼:これも化法の問題ではないやん。それはそれで勝手に日蓮正宗で解釈したらエエ。でも、ここでの話は、池田先生と戸田先生との師弟関係、池田先生のお覚悟のお話や。
そら、日蓮正宗はやな、鈴木日恭のように、火炎地獄で死んだ法主とは一緒には地獄へ行きたくないんやろ(鬼笑)それはそれでエエがな。誰も止めへんがな。
でも、こっちは創価学会の師弟論、池田先生のお覚悟についてワシら創価学会員に向けてお話されてるだけや。戸田先生はキミら宗門の師匠ではないんやろ?では、日蓮正宗とは関係あらへんやろ!ワシら創価学会の師匠相対とはこれや!と突っぱねたらエエねん!
黄鬼:本当だな。だが、当時の創価学会執行部は「(中略)誤解を招きやすいので、今後使わないことにします。」と回答している。
赤鬼:本当に情け無い!こんな創価学会執行部だったから昭和54年4月24日に、師匠である池田先生を裏切り、切ったんだ!
編集長:まとめますと、時代背景的には、誰も師匠を護らない時期に、然も「教学上の基本問題」で学会執行部は宗門に謝罪して僅か一ヶ月後の四国の記念幹部会で、それこそ誤解を招きやすい「本来、私たち自身が宝塔であり、大御本尊なんです。」と池田先生が本当にご指導されたのか、という疑問は残ります。
いずれにせよ、当時の聖教新聞や広布第二章の指針第14集には、このように阿仏房御書を拝されてご指導があったとは記録されていません。
またその後、創価学会が第一次、第二次と宗門問題を乗り越えた後、先生が何の制約もなく自由自在にご指導出来る時代になった時の阿仏房御書講義でさえ、(2011年大白蓮華)このようなご指導はありませんでした。
紅鬼:今回の新・人間革命の内容「私たち自身が宝塔であり、大御本尊なんです。」は余りにも唐突のような気がしますね。
編集長:誤解を恐れず言うならば、大聖人の御書でも偽作、後世の作と言うのもありますし、今後は過去の先生のご指導内容について、そのご精神を踏まえて、我々弟子が依義判文しなくてはならないのではと思います。
学会執行部や学会教学部に任せっきりではなく、先生と共に戦ってきた我々弟子一人一人の「如是我聞」が大事だと感じますね。
これが先生が我々に求めておられる「発迹顕本」かも知れません。
つづく
提供は敵からは恐れられる新たな敵からは疎まれる京都乃鬼新聞社でした。
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19
:
マックスむちゃい
:2015/03/08(日) 12:28:36
鬼わ外 投稿者:鬼たいじ 投稿日:2015年 3月 1日(日)20時40分8秒
ほらほらちょっと落ちすぎぃ(暴塊笑)
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京都乃鬼新聞
2015-2-18
紙上座談会(10)
赤鬼:本日、編集長は取材の為に不在なので、我々だけで進めよう。
橙鬼:前回、あのオッちゃん(編集長)も、たまにはエエ事言うとりましたなぁ。
青鬼:その座談会の最後で、鬼新聞編集長はこう言っていたな。
「今後は過去の先生のご指導内容について、そのご精神を踏まえて、我々弟子が依義判文しなくてはならないのではと思います。
学会執行部や学会教学部に任せっきりではなく、先生と共に戦ってきた我々弟子一人一人の『如是我聞』が大事だと感じますね。」
赤鬼:確かにそうだな。
当然、勉学は一生するものだが、我々弟子は、師匠の在世だからと言って、もっと力を付けようとか、訓練を受けようとか言う、もうそんな甘い時ではない。広布流布を具体的に進める指標は先生から完全に示されているんだ。
紫鬼:そうだな。これからは、あくまでも池田先生の精神、思想性を基準に判断して我々弟子は行動するべきだな。
赤鬼:その上で、前回から2回に渡り議論してきた新・人間革命、大道の章?で池田先生が書かれた「本来、私たち自身が宝塔であり、大御本尊なんです。」について、その意味を考えてみたい。
藍鬼:この四国の会合では、ここに書かれている通りのご指導があったかどうかという事については前々回⑧と前回⑨のこの座談会で議論尽くした。
橙鬼:そうや、ちょっと驚いたけど、だからと言って、ナンボ何でもやな、池田先生の原稿を誰かが意図的に汚すようなコトは出来ひんやろ。
赤鬼:そうだな。でも、もし仮に、当時、その通りのご指導が無かったとしても「されば八箇年の経は四十余年の経経には相違せりというとも先判・後判の中には後判につくべし」(御書P199)とあるように、「先判・後判の義」により、師匠が後年に書かれた内容に深い意味があると捉えたい。
青鬼:そうだな。「小説・新人間革命」なのだから、当時の状況を全て、精密且つ正確に書く必要はない。
先生の自由自在のご境涯、ご発想で書かれたんだから、きっと何か意味があるはずだ。
20
:
マックスむちゃい
:2015/03/08(日) 12:29:14
紫鬼:少し調べたんですが、この「本来、私たち自身が宝塔であり、大御本尊なんです。」とよく似た表現は、あの宗門とのヤヤコシイ時代(笑)、昭和52年にも先生はされていたんです!
橙鬼:えっ!そらビックリやな!でも、日蓮正宗の坊主どもがコレで大騒ぎしたという記憶はないなぁ。
青鬼:そうだな。当時は池田先生が生死一大事血脈抄講義の時、「戸田先生の地涌の菩薩としての自覚」と言っただけで、日蓮正宗から「地涌の菩薩の眷属と言え!」と言われる始末だった。
紫鬼:そうです。でもこれは同じ生死一大事血脈抄講義の中で言われていたんです。紹介します。
「ただ唱題という方程式によって、大御本尊の生命を我が生命に移すのです。というよりも、我が生命の中にある、大聖人のご生命、仏界の生命を涌現させる以外にないのです。」
藍鬼:本当だ。ここでは「我が生命の中にある、大聖人のご生命」との表現だが、今回の「本来、私たち自身が宝塔であり、大御本尊なんです。」と同じ意味、内容だな。
紫鬼:当然、宗門も揚げ足取りをしたかったのでしょう。
その証拠に「教学上の基本問題について」(6・30)に、日蓮正宗側がイチャモン付ける為に示した資料としてこの講義部分を引用してます。
しかも、この箇所の前後まで引用しているので、そのために長文の引用になってしまっているのにも関わらず、結局はこの文言にイチャモンを付ける事が出来なかったんです。
青鬼:この「6・30」は酷かったな。当時の学会執行部が弱腰だったため、池田先生の生死一大事血脈抄講義の「改訂版」を聖教新聞社から出版せざるを得なくなったぐらいだったからな。
紫鬼:ですが、その改訂版である「御法主 日達上人猊下御監修」(笑)の「『生死一大事血脈抄』の会長講義」のP63には、改訂されずに(笑)、そのまま載っているんですよ。(鬼笑)
藍鬼:一体何故なんだ?
紫鬼:これは日寛教学に基づいているからなんです。
「『正直に方便を捨て但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱うる人』とは本門の題目なり。『煩悩・業・苦乃至即一心に顕われ』とは、本尊を証得するなり。中に於て『三道即三徳』とは人の本尊を証得して、我が身全く蓮祖大聖人と顕るるなり。『三観・三諦即一心に顕われ』とは法の本尊を証得して、我が身全く本門戒壇の本尊と顕るるなり。『其の人の所住の処』等とは戒壇を証得して、寂光当体の妙理を顕わすなり」(日寛上人文段)
簡単に通解すれば、
「人の本尊」を証得すれば、我が身は「蓮祖大聖人」とあらわれる。
「法の本尊」を証得すれば、我が身は「本門戒壇の本尊」とあらわれる。
青鬼:まさに日寛教学の真髄を先生はおっしゃっていたんだな。これでは宗門も何も出来ない(笑)
赤鬼:池田先生のご発想は徹頭徹尾、日寛教学が基礎になっているのは間違いないな。昔も今も、全く同じ立場でいらっしゃる。
橙鬼:なるほど。今回の学会の会則(教義)変更なんて、完全に日寛教学の否定の上に成り立っているんやから、この為に先生は、わざわざ新・人間革命に書かれて、警鐘を鳴らされているという考え方も出来るな!
青鬼:何れにせよ、先生のご精神は会員第一だ。会員が困らないよう、苦しまないように、いつも考えておられる。
黄鬼:そうだ!「一人を大切に!」とは、口ぐせの様におっしゃってる。
赤鬼:逆に会則変更して「多少の退転はやむを得ない、9割は付いてこれる」なんてことを言う奴は、先生の弟子では絶対に無い!
黄鬼:そうだな。会則変更について質問する会員がいたのならば、学会幹部は誤魔化さずに、誠意を持って丁寧に説明する義務があるはずだ。それが弟子の姿だろう。
つづく
提供は敵からは恐れられる、新たな敵からは疎まれる京都乃鬼新聞社でした。
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21
:
マックスむちゃい
:2015/04/01(水) 14:21:57
統一地方選後 投稿者:京都乃鬼 投稿日:2015年 3月31日(火)21時26分21秒 通報
長い方か、短い方の谷か知らへんけど、
○谷川は統一地方選後、悪の身内から切られるんとちゃうか?
八の字は統一地方選の負けの責任を
○谷川に取らせようとしとるらしいな(鬼笑)
まぁ、ワシには関係あらへんけどな(鬼々笑)
原田はん、今日は、ようこそ、京都におこしやす~。
でも、長い方も短い方も、8の字と結託して
原田はんに責任を押し付けるかカモね~(鬼々笑々)
22
:
マックスむちゃい
:2015/04/27(月) 19:19:14
新時代を駆ける 投稿者:京都乃鬼 投稿日:2015年 4月25日(土)09時16分34秒
これはワシらの師匠が、
自らの手で書かれたものやろうね~。
しかし、敢えて、4月24日と明記された上で、
本年も牧口先生、戸田先生の両師匠に「御報告申し上げた」とされている。
一方で、昨日の4月24日付聖教新聞では、
「弟子(当時の最高幹部)が、池田先生を裏切った日」の事について、な~んも記事にして無い!
本来はやな、3.16 や5.3や11.18 と同じく創価学会にとっては、いや、我々弟子側からすればやな、一番重要な日や!
「今後はナニがあっても師匠を裏切りません」と最高幹部から末端の会員まで、池田先生の弟子を名乗る者全てが、三代に渡る会長に対して誓う日にせなアカン日やろが!
その日に聖教新聞には一行も、弟子側の決意を載せられへんのは、おかしいと思うで!
「私は戸田前会長と十年間、師弟の道を歩んできた。たとえ師匠が地獄に落ちようと、師匠のそばへ行くと決めていた。それを自分の人生と決め、だまされても、師匠と一緒なら、それでいい。これが師弟相対だと決めていた。」
(池田会長著 指導メモ)
誰が何と言うおうと、ワシはこれで行く。
23
:
マックスむちゃい
:2015/04/27(月) 19:36:20
周利槃特 投稿者:京都乃鬼 投稿日:2015年 4月26日(日)18時02分39秒
ホンマの意味での「すりはんどく」とは、
師匠に愚直な事を言うんやと思いまっせ。
創価学会という組織の打ち出しに愚直になるか?
ワシらの師匠、池田先生の指導に愚直になるか?
それは、あんさんが決めなはれ。
今まで、ワシらの師匠がお元気な時は、
組織の打ち出しもワシらの師匠の指導性を
同じ方向やったんだす。
今はどうか?
ホンマの周利槃特はんなら、直ぐに分かるわな~w
24
:
マックスむちゃい
:2015/04/27(月) 19:37:48
組織と思想性の狭間にあって 投稿者:京都乃鬼 投稿日:2015年 4月26日(日)18時41分31秒
近世の歴史だけでエエ。
少し振り返ってみよう。
第二次大戦後の自由経済の中で、眩いばかりに富の蓄積をしていく資本家が、その強烈な光線も光らせば光せる程、その影の部分も濃くなって行く、、、
マル経は、その矛盾に焦点を当てる「革命的な」発想やった。
しかし、その大本山である「ソ連」は崩壊した。
なんでや?
いろんな意見はあるやろうけどな、
影の部分の庶民を守るはずの「組織」の幹部が「特別意識」を持ったからとチャウか?
一方、創価学会の幹部、特に、職業幹部が、ワシら庶民に対して、偉そうにしたらアカンわな~(鬼笑)
職業幹部はやな、ワシら創価学会員に対して「奉仕」せなアカン立場や。
その事は、ワシらの師匠が職業幹部に対して、口を酸っぱくして言うてきた事や。
職業幹部は、それだけで偉いわけでは無い。
如何なる人も、その振る舞いで決まるんや。
酒は己のゼニで呑め!
学会の経費や議員に集っては、
エエ酒は呑めん。
選挙も終わり、恒例の幹部と議員による「打ち上げ」も盛んにされるやろ。
創価学会職業幹部及びそのコバンザメ幹部に告ぐ。
絶対に「政治活動費」で呑んではいけない!
ワリカンで呑め!
全国の京都乃鬼新聞各特派員に告ぐ。
各地の高級飲み屋を監視せよ!
25
:
マックスむちゃい
:2015/04/27(月) 19:38:47
何も知らない子供達 投稿者:京都乃鬼 投稿日:2015年 4月26日(日)18時56分39秒
組織に従順な人々の歴史は
「法華講の檀徒」をみれば良く分かるわな。
彼らは、先祖代々、親がたまたま法華講やったから「家の宗教」として日蓮正宗を採用しているだけ。
振り返って、あんさんのお子さんには、
創価学会、就中、三代に渡る会長のその思想性
を教えているかどうか?
同じ御本尊を拝んでいても、歴然として「結果の違い」は現れるのではないでせうか?
何れにせよ、枠組みで信心するか?、
その思想性で信心するか?
大きな違いが出てくるんやおまへんか?
26
:
マックスむちゃい
:2015/04/27(月) 19:40:14
すりはんどく(2) 投稿者:京都乃鬼 投稿日:2015年 4月26日(日)19時12分18秒
自分だけが成仏しようと思えば、それ程難しくは無いかもしれまへんな。
ワシらの師匠は、己だけが救われるような信心は教えてまへんねん。
かと言って、大人数を苦労も無しに
いっぺんに救おうという思想でもおまへん。
あくまでも、自分の目の前の一人一人に焦点を当て、
その一人一人の人間革命無しに、
世界の宿命転換は無いんだ!という強い一念で
日蓮仏法を展開したはります~。
法華講の檀徒はんのように、
お気楽に自分のムラだけの安泰を考えてるのと
スケールが違いまんねん。
ま、ここで、ムラのテラの住職、
日顕や日如の思想性とは違いますわな~(鬼笑)
日蓮仏法に基づく世界の広宣流布をマジで考えてるなら、創価三代に渡る会長の思想性、
即ち、イケディアンにならなければ分かりまへんな。
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