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【サイパン戦跡】
「戦前も戦後も日本が開発した」 感謝を忘れないチャモロ人
戦後70年の歳月を経て、巨大な樹木が日本刑務所跡を侵食している。分厚いコンクリートで堅牢に造られているが、雨水を溜めやすいようトタン屋根だったという。熱帯地域にある米自治領・北マリアナ諸島のサイパン島。相当に暑かったことだろう。
「当時の現地人は委託統治に不満だったと思います。階級制度がありましたから」。戦跡巡りのガイドを務めるバルシーナス米子さんが話す。夫はミクロネシアの先住民であるチャモロ人。夫の父親から1920年に始まった日本の委任統治領だった頃の話をよく聞かされるそうだ。
「第1国民が日本人、第2国民が沖縄からの移住者、第3国民が現地のチャモロ人やカロリン人、第4国民が朝鮮人だった」と米子さん。当時、国際連盟が制定した委任統治条項で現地人に酒類を提供することが許されていなかった。隠れて酒を飲み、刑務所に入れられる現地人も多かったという。