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「ミドルメディア」で日本の言論界が変わる(1)

『Voice』2012年5月号より・一部改定》

茂木健一郎 プロフィール  
上杉 隆 プロフィール

“卑怯な”原発事故報道検証

 茂木 上杉さんが3月に出した『新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか』(PHP新書) を読んで驚きました。よくここまでメディアの内実を書いたね。

 上杉 かなり気合を入れた本です。3・11以降マスメディアは、真実を追求するという本来の機能とは真逆の機能を果たしてしまった。今回はなぜそうなったのかという原因やメディア界の腐敗構造を明らかにしたつもりです。

 茂木 原発事故に際して、上杉さんはツイッターを中心に情報を流し続けたわけだけれど、いま振り返ってみれば、その情報はほとんど正しかった。でも世間に「上杉隆はウソつきだ」という意見が多いでしょう? これはどうして?

 上杉 もちろん私にも間違いはあります。でも、それよりも根本的な間違いを犯した人びと、つまりマスメディアが、「自分たちが間違っていた」と決していわないからでしょう。原発事故における政府や東京電力の対応の不備が、年末年始あたりから続々と明らかにされていますよね。たとえば、昨年12月に行なわれた国会事故調査委員会で文部科学省の担当者が、事故直後にSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)のデータを米軍に提供していたことを明かしました。国内でSPEEDIの情報がすべて公開されたのは、事故から2カ月後ですよ。政府による情報隠蔽があったということが証明されたのです。アメリカ政府が3月17日に自国民に対して80㎞圏外への避難勧告を出したのは、この情報に基づいてのことだった。今年2月に出されたNRC(米国原子力規制委員会)による報告書で、それは明らかにされています。しかし、こうした事実が公になっても、政府やメディアからの訂正はありません。

 一方で、私は事故当時、ラジオやインターネット、あるいは記者会見などで「アメリカ政府は80㎞の避難勧告を出した」「放射性物質は拡散している」「メルトダウンの可能性がある」などと発信したのですが、それに対して「デマをいうな!」といわれたまま。いま考えればこれらの点は正しかったわけですが、その「デマ」というレッテルが独り歩きして、いまだにそう呼ばれているということです。

 茂木 海外には「上杉隆」みたいなジャーナリストはゴマンといるよね。でも日本だと、政府に楯突くジャーナリストは上杉さんくらいで、目立つから攻撃されるんじゃない? ある意味、日本の空気を読んでいない人物ということだ。(笑)

 上杉 最近になって新聞やテレビでは、原発事故問題についての検証をさまざまに始めていますね。僕は1年前にインターネット動画の生放送で「いまメディアは政府発表を信じてそのまま報じていますが、時が経てば自らのことは棚に上げて、政府を攻撃し始める」といいましたが、まさにそのとおりになっています。

 日本のメディアの検証は、海外メディアのそれとはまったく違うんです。海外では、仮にテレビの報道が間違いで、フリージャーナリストの情報が正しかったとわかると、その人物を番組に呼び、「当時、あなたはなぜ正しい報道ができたのですか」と探るわけです。そうして、そのジャーナリストの名誉も回復される。一方、日本では、原発報道についてはフリーランス記者たちによる情報が正しかったにもかかわらず、メディアは彼らについていっさい触れません。そして、自分たちが間違った報道をしたことも、なかったことにしている。しきりに「政府が隠していた」といっているでしょう?

 茂木 卑怯だよね。

 上杉 政治もそうですが、報道も結果責任です。マスメディアは結果として間違えたのだから、訂正の一つや第三者か他者を招いての検証、あるいは誰か処分される人間が一人くらいいてもいい。しかし、いませんね。全員がウソをつけば、そのウソが真実としてまかり通るのです。そして時に、本当のことをいう人間が現われれば無視、排除、あるいは「あいつのほうがウソつきだ」といって抑え込む。

 茂木 卑怯な手法を使うほうが、世間では生き残るようになっているんだね。でも俺は上杉隆を支持するよ。

 上杉 ありがとうございます。茂木さんも日本の空気を読まないですね(笑)。これは私の造語で、ずっといってきたことですが、日本には霞が関と記者クラブによる「官報複合体」が存在しています。その詳細は、ぜひ『新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか』をお読みいただきたいのですが、こういったシステムが日本の言論界を不健全にしているのです。

 茂木 記者クラブなんていうシステムはやめてしまえばいいのに。なぜやめられないの?

 上杉 できるかできないかではなく、やるかやらないかです。ところが、やらない。メディアの人間は、記者クラブというぬるま湯にずっと浸かってきたので、このシステムなくしてはやっていけないんです。

 茂木 先日、アメリカに行ったのだけれど、日本のメディアは全然ダメだと再認識しました。アメリカの人たちは、震災後の日本人の行動に対しては賞賛を惜しまない。あれほどの大津波に襲われたにもかかわらず、強靭さを保っているのはすごい、と涙して言うんです。しかし、日本のメディアを褒める人は誰一人いませんね。

「いままで記者はツイッター禁止だったの?」

 茂木 日本のメディアがダメなところは、「個が立っていない」ところです。大手メディアでジャーナリストとして活動している人間は、「これは○○新聞の方針です」と、社の後ろに隠れて自分の意見をいわない。取材しているのは個々の記者であり、そこに必ず記者の判断があるわけでしょう。僕にいわせれば、個人としてどう考えるかをいわないで、なんの意味があるのか。日本のメディアは、自分の責任において報じるという構造になっていないんですよ。

 上杉 海外では、ジャーナリストが自分の意見を自由に述べます。これは、社会は多様な価値観をもった人間で構成されており、報道が多様になるのも当然だ、という考え方がベースにあるからです。しかし日本のマスメディアは、正しい情報は一つしかないと思っている。それを「客観報道」「公正中立」といっているんです。

 茂木 「客観報道」なんてあるわけないじゃないか。
 アメリカから帰国する機内でNHK「ニュースウオッチ9」をみていたのだけれど、「野田首相と自民党の谷垣総裁が密かに会談した」というニュースのときに、大越健介キャスターが「僕は彼らが会ってもいいと思いますよ」とNHKの番組にしては珍しく、個人の意見を述べたんです。NHKのほかのニュースは、文部科学省の検定済み教科書みたいでつまらないよ。それまで、僕はアメリカで大統領選挙に向けた共和党の候補者争いのニュースをさんざみてきたし、キャスターや記者が自分の意見をいうことは当たり前だと思います。ツイッターに関しても、『朝日新聞』が積極的に活用する方針に転換したね。

 上杉 先日、ある海外特派員に会ったとき、その話題になりました。朝日新聞社が記者14人について実名利用でのツイッターを解禁した、と『朝日』自身がニュースにしたんです。彼らはそれをみて、「いままでツイッターは禁止だったのか?」と笑っていましたよ。記者はツイッターをしてはいけないという言論封殺を、天下の『朝日新聞』ですらしていたのです。

 茂木 仮に、ある会社の方針としてツイッターが禁止になるようなことがあったとしたら、それに黙って従うなんて、ジャーナリストとはいえないよ。

 上杉 私は、「日本のメディア記者はジャーナリストではない」といっています。今年1月、フランス人ジャーナリストが福島原発から20km圏内の警戒区域に入って逮捕されたのですが、日本のメディアは批判的に報じていましたね。

 茂木 なんで!? ジャーナリストだったら、逆に逮捕した側を批判するはずでしょ?

 上杉 原発事故が起こったときも、フリーランス記者や海外メディアはみな取材のためにと避難・警戒区域に入りました。しかし日本のメディアには、放射能事故が起きたときに「この圏内には入ってはいけない」という内規があります。朝日新聞や民放各局は50km、NHKは40kmといった具合に。記者たちは、「会社の規則だから仕方がない」と従いました。しかし、ジャーナリストが「仕方がない」という台詞を吐くべきではない。クビを覚悟で現地に入ってしかるべきです。避難するなら、少なくとも「私はジャーナリストをやめます」といわなくてはいけない。でも、誰もそれをしません。

 茂木 メディアの実態を知ると、どんなロジックを使っても、このシステムは正当化できないと思えてくる。僕は大手新聞の人と付き合いがあるから話す機会もあるのだけれど、記者クラブの存在意義について聞くと、みんなゴニョゴニョと口を濁しますね。これだけ多くの記者がいれば、「社は記者クラブに所属しているけれど、個人的にはおかしいと思う」という意見を表明する人が、一人くらいは出てきてもおかしくないでしょう?

 上杉 逆に「記者クラブは正しい」と思う人がいてもいいんですよ。それをきちんと表明すればいい。ですが、記者クラブ批判をやってきた12年のあいだ、それを表明したのは、僕の知るかぎりたった一人ですね。昨年亡くなられたのですが、『産経新聞』論説副委員長を務められた花岡信昭さんです。彼は1998年に記者クラブの新綱領をつくったので、この仕組みをもっともよく知っていました。花岡さんとは対談もしたし、教えてもらうことが多くありましたよ。花岡さん以外はみなウラで悪口を言い続けているだけ。はっきりいって卑怯者ですね。

 メディアの人間より政治家のほうがよっぽどフェアですよ。先日、枝野大臣と食事をしました。僕は、昨年3月に政府が80km圏外まで避難勧告を出さなかったということで、枝野さんを「犯罪者」とまでいった。先方も僕を批判しています。でも、言論の場での争いと人間関係は別の次元の話です。メディアの人間ほど、一つ論を批判しただけですぐ「あいつは敵だ!」となりますね。

 茂木 幼稚だよね。そもそも反論もしないでしょう。意見すると目立ってしまうので、「黙っているのがいちばん得だ」と思っている。こういった日本の特徴をみるにつけても、海外メディアの「オプ=エド(正反対の論説を述べること)」というシステムは面白いね。

 上杉 オプ=エドはたしか『ワシントン・ポスト』が最初に始めたのですが、いまでは新聞のみならず、『アルジャジーラ』などの放送でもやっていますよ。先進国の主たるメディアでやっていないのは日本くらいではないでしょうか。

 たとえば『NYタイムズ』であれば、『NYタイムズ』に批判的な意見をもつ人間を雇って、『NYタイムズ』批判を書かせるんです。「先週の〇〇記者の記事は、ここがおかしい」という具合に。さらに、「〇〇記者の記事に異論があったけれど、私はそれに反論する」という、オプ=エドに対するオプ=エドも掲載します。すると、『NYタイムズ』を読むだけで読者は、「一つの問題でも見方はいろいろある」ことを理解します。毎日、新聞1ページくらいは、オプ=エド欄がありますよ。

 茂木 ちなみに、上杉さんが『NYタイムズ』を例に挙げることが多いのは、やっぱりかつて『NYタイムズ』にいた経験があって、よく知っているから?

 上杉 ええ。本当はもっと多くのメディアとの比較を行ないたいのですが、働いたこともなく、無責任になる可能性があります。しかし『NYタイムズ』であれば、いざというときは当時のボスや知人の記者に確認できますから。また、アメリカのジャーナリズムの原則は『NYタイムズ』のルールに基づいていることが多いんです。ピュリツァー賞を運営しているコロンビアのジャーナリズム大学院も、その他の新聞社も、『NYタイムズ』のルールを参考にしている。ただし、これが正しいというわけではなく、あくまで比較するときの基準です。『NYタイムズ』よりも健全なメディアはたくさんあると思いますよ。

 茂木 上杉さんは、メディアに都合の悪いことを発言していろいろな番組を降ろされてきたらしいけど(笑)、自社に批判的な発言をする人は登場させないというのは、オプ=エドの精神とは逆だよね。

 上杉 それは独裁国家のメディアがやることです。日本のメディアが海外で相手にされないのは、こういった性質のためですね。

 <(2)につづく>

 

Voice

 

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