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世界はボタン一発では変わらない――ニール・ブロムカンプ『チャッピー』

 『第9地区』で有名になったニール・ブロムカンプの新作、『チャッピー』を見てきた。
 ストーリーの舞台となるのは、(『第9地区』と同じく)近未来のヨハネスブルグ。犯罪の発生率が高いことで知られている街ではあるが、兵器会社が開発した自律的なロボットを採用し人間の警官の代わりに配備することによって、治安は大幅に向上していた。
 当の兵器会社は、警察への供給を一手に引き受けることによって莫大な利益を得ていたのだが、その内部は一枚岩というわけでもなかった。警察に採用されたシステムのせいで自分の開発物がボツになったことに激しく怒るエンジニアがいる一方で、開発者であるディオンもまた、成功によって満たされているわけではなかった。ディオン自身が本当にやりたいことは、完全に自律的な知性、人間と同等の「意識」を持った人工知能を開発することだった。そして、遂にディオンはその開発に成功するのだが、それ自体は短期的な商業的成功を見込めるようなプロジェクトではないため、実験の継続は、会社からにべもなく却下されてしまう。どうしても諦めきれないディオンは、故障のため廃棄処分になった警察用のロボットに、独断で人工知能をインストールしてしまう……。


 さて、以上のような経緯から始まる映画を見てまず私が感じたこととしては……チャッピーの見た目ですね。これがもう、どう見ても、我らがロボバットマンを彷彿させます! これ、エルスものとかじゃなくて、ちゃんと正式なバットマンの本編に登場するんですよ!
 ……まあ、それはともかく……正直なところ、ニール・ブロムカンプもだいぶボロが出てきたなあ、と感じました。私の印象としては、ブロムカンプのダメな部分、それもストーリーテリングに関する部分で特に露わなことは、ボタン一発で世界は変わりうると思っていることにあるかと思います。
 例えば、前作の『エリジウム』は、貧しく抑圧された階級と、富を独占した階級との間での階級闘争を描いていました。それが最終的には、システムをハッキングして上書きしちゃうってだけのことで、諸々の問題が全部さくっと解決しちゃったんで、結構呆れかえったものではありました。でもまあ、かなり壮大な話をやって、映画一本ぶんの時間の中で最後に解決に持ち込むには、これくらい割り切ってやらないと話は畳めないかもなあ……などと思っておりました、とりあえずその時点では。
 それが、今回の『チャッピー』になると、弁護の余地がありません。ロボット警官を全域に配備することによって新しいシステムを構築し、治安を保っているのが作中世界でのヨハネスブルグであるわけですが……現場のエンジニアがちょっくらルールを破れば簡単に持ち出せるようなキーが一つあれば、システム開発の部外者であってもシステム全体を簡単に乗っ取り可能。都市の全域に渡るインフラとして機能しているシステムなんだけど、ボタン一発で崩壊させちゃうこともできる……。
 いやいやいや、ちょっと待てと。人間の警官を全部ロボットに置き換えるなんていうドラスティックな社会制度の変化を導入するなら、その過程で、うんざりするほど綿密な政治的折衝が積み重ねられるに決まってるでしょうに。だってこれ、巨大な暴力装置としてのロボットがふつうに街の中をうろうろすることになるわけですから、そもそもの導入の過程で、「もしロボットがエラーを起こして無実の人間を傷つけたらどうなるのか? そのリスクを回避する保証はシステムに組み込まれているのか?」とか、延々と第三者から疑念を突きつけられ続けることは間違いないわけです。一方、現場のエンジニアにしたって、些細なヒューマンエラー一つで社会全体が丸ごと崩壊しかねないようなシステムの構築なんて、そもそもやらないでしょ。ふつう、人は、そんなことが起きないように、いかにリスクを分散するかに気を配って普段の仕事をやっておるわけですよ。
 にもかかわらず、とりあえず「ロボット警官が配備されている社会」を仮構しちゃって、その上で、クライマックスに展開していくきっかけの部分で「ボタン一発で都市全体のインフラを崩壊」させちゃって、それ前提でストーリーテリングが続いてしまうんですから、これはイカンですよ。大量破壊兵器で根こそぎ消滅にかかる、などということでもない限り、ボタン一発で社会の構造が変わるなんてことはありえないわけです(……そういう意味では、最近ふと気づいたんですけど、人類文明が荒廃した状態を描くディストピアものって、実は、社会構造を描かなくていいだけに、作り手の側にとって凄く楽なわけですね……)。


 ……まあ、もちろん、映画に限らずフィクション全般において、そのあたりの社会設計の部分に関して無神経なものなんて、いくらでもあるわけです。にもかかわらず、私にとってはなぜ今回の『チャッピー』のそんな側面が非常に鼻についたかというと……これ、基本的には、『第9地区』とほぼ同じ話なんですな。
 人間とは異質な存在が当たり前のように人間と共存している社会が提示され、その上で、異質な存在を理解しようとする者が、様々な障害を乗り越えつつも、異質な存在の側に入り込んで人間の世界から脱却してしまう……と。
 しかし、題材がエイリアンであっても人工知能であってもそれほど違いのない同類のストーリーを展開できるということは、逆に言えば、題材それ自体は、ストーリーを構築するにあたっての装飾に過ぎず、ストーリーそのものには特に影響を与えていないことになります。……つまり、ブロムカンプにとっては、あくまでも自分の語りたいストーリーが先にあるのであって、その内容を埋めるのがエイリアンであっても人工知能であっても、特に違いがないんじゃないか? と、疑ってしまうわけです。
 で、エイリアンが地球上の都市で地球人と共存している……などという話であれば、もともとの設定が荒唐無稽であるゆえに、社会構造の描写のおかしさなどというものは気にならない。要は、一種の寓話になっているわけです。しかし、『チャッピー』の世界観は、現在の技術水準からして既に実現してもおかしくないような水準のことであるため、どうしても寓話にはならず、現在の社会状況との落差がどうしても目立ってしまう。
 ブロムカンプにとっては、ロボットが人間と共存している社会のヴィジョンなどというものは、自分のストーリーを飾る装飾に過ぎないのではないか、ゆえに、その世界観はぺらぺらの張りぼてのようなものでしかないのではないか……だからこそ、ボタン一発で社会構造を変革できるなどというような、安易な認識がまかり通ってしまっているのではないか、と思うわけです。
 実際、この『チャッピー』においては、細部の描写がスカスカです。『ロボコップ』とか、『アイアンマン』とか、先行する作品の中で見たことのあるような、どうにも既視感のある描写が頻出します。それも、先行作品に対するオマージュとか、現代の技術の観点からアップデートし直された描写などというものにもなっていません……そのため、単純に、ロボット映画にいかにもありがちなクリシェとなった描写を無神経に連発して寄せ集めることで、とりあえずの「ロボット映画らしさ」を担保しているだけに見えちゃうんですよねえ。


 この映画を見て私がどうにも受け入れがたいのは、ブロムカンプの「仕事」に対する認識が甘いのではないかという思いがあるからです。
 主人公のディオンにとって「本当にやりたいこと」は、完全な意識を持った人工知能を創造するということです。しかしそれは金にならないため、仕事の合間を縫って個人的な時間でやるしかない。もちろんそれはそれでいいんですが、しかし、ディオンが実質的に地位を得ているのは、そこから派生して基幹から開発することになった、ロボット警官のシステムです。
 『チャッピー』の作中では、ディオンが「積極的にやりたくはないけれどもやらなければならない仕事」のことをどう思っているのかについては、いっさい描写がありません。また、ディオンがプロジェクトの開発者である以上、その巨大なシステムの運営に携わる部下も大勢いるはずなのですが……彼らがディオンの仕事への姿勢をどう考えているのか……などという以前の段階で、そもそもその存在自体が描かれないのです。ディオンとチャッピーの交流だけに話が絞られていればそれでもいいんでしょうけど、ディオンが社内で巻き込まれる派閥争いがヨハネスブルグの社会全体の直接の原因になって、それが前提としてストーリーが進んでいるのに、さすがにそれはダメでしょう。そしてまた、まさにディオンが開発したシステムの致命的な欠陥によって街全体が大混乱に陥っているにもかかわらず、ディオン自身が事態の収束に向けて奔走する気配は微塵も見られず、むしろ、ここぞとばかりに「自分のやりたいこと」だけに集中することになります。
 仕事って、そういうもんじゃないと思うんですよねえ……。自分が積極的にやりたくはなかったことであっても、真面目にこなそうとするならば、その仕事の流儀を学び、その中で創意工夫をこらす必要にも迫られる。その過程で、もともとは自分の中になかったようなことに関して、思わぬ発見をすることもある。
 ロボット映画にはロボット映画なりの蓄積があるわけですから、「ロボット映画の内部でしか発達しなかったこと」といかに向き合うのかという問題意識があれば、作り手が他のジャンルで既にやったのと同じテーマがそのままの形で出てきてしまうようなことはありえないはずだと、私は思います。
 しかし、おそらくはブロムカンプには「自分がやりたいこと」への視点しかないゆえに、そういうことに気づき自分が変容する契機がないのではないか、と。その結果、ジャンルフィクションとしてのロボット映画は、単に「ブロムカンプの作家的作品」の装飾としてしか機能していないように思えるわけです。
 特にフィクションに関してですが、ほとんどの場合、一個人の「クリエイティヴ」な発想やアイディアが、なんらかのジャンルフィクションの全体としての集合知を越えることは、ほとんどないと思います。もちろん、ジャンルフィクションがジャンルフィクションであるゆえに持つ制約・限界点を突破してくる天才というのはどの世界にもいるものですが、そんなものは本当に一握りです。
 ……そうか、だから私は、天才ではない人の芸術ごっこが大嫌いなんですね~。たいていの凡人がなんとなくその場で思いついたオリジナリティよりも、無数の人々の繰り返し作業の中で蓄積し蓄えてきた成果の結晶の方が優れていることの方が、圧倒的に多いはずだと思います。
 そういう意味で、この『チャッピー』という映画は、いわゆる作家性というものが非常に悪い形で出ている作品だと思うのでした。……しっかし、題材がロボットとか人工知能だからいたって冷静に書いているけれども、これがアメコミヒーローとかの話だったら、盛大にブチキレまくってましたねえ……。






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