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矢野雅士 沼田誠 佐々木満男 秋山晶代 平山健 市村和夫 門谷�一 滝山博行 金山梨花 久世良三 濱田一雄 溝口修 金森一雄 堀ノ内菊三郎 広崎仁一 梅津善一 堀井洋二 岸本茂雄 早川須賀子 播 博 佐藤のりこ 右近勝吉 渋沢浩二 持田明広 林秀志 加藤誠彦 三谷康人 正野隆士 久田雄治 田原裕 小西孝蔵 |
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私は、在日韓国人として東京で生まれました。自分は何人なのか、長い間、アイデンティティの葛藤に苦しみました。そのような私が本当の自分のアイデンティティを見出したのは、留学先のアメリカのことでした。アメリカ人の友人は、日本出身の私を単純に日本人だと思っていましたので、ある日、その友人に私のバックグランドについて「告白」しました。そして、自分が日本人なのか韓国人なのか、実はよく分からない存在であることを話しました。そうするとその友人は、”So what?!”「だから、どうだっていうの? リカはリカじゃない」と答えました。私はこの時初めて、日本か韓国かという二者択一を迫る民族や国籍のナショナル・アイデンティティを超えて、個としてのアイデンティティがあることに気づかされたのです。そして、それから間もなくのことでした。それは丁度、井戸においてイエス・キリストがサマリアの女と一対一で出会ったように、私も生けるキリストに出会い、「私たちの国籍は天にある」というように、目に見えないが普遍的な、すべての人を包むスピリチュアル・アイデンティティを発見することができたのです。
それまでの私はナショナル・アイデンティティの基準を満たすことが出来なかった者でしたが、そうした集団の基準とは全く関係なく、イエス・キリストが私個人のためにすでに十字架で血を流して下さり、父なる神の子どもとしてアイデンティティを持って生きることができる者にされたのです。初めてこころの耳で聞いた聖霊の細い小さな声は、「わたしの血だけを崇めなさい」と囁きました。私たちのなすべき分は、もはや生まれながらの肉の血筋に頼るのでもなく、あるいは聖書のキリストを倫理的模範として得ようともがくのでもなく、日々信仰によって彼の肉を食べ、また彼の血を飲み、彼の蘇えりの永遠のいのち・スピリット受けて、イエスのアイデンティティにおいて生かされることです。そして、この地上において「わたしが生きるので、あなたがたも生きるのです」という御言葉が私たちにとって本当のものとなるのです。 国際基督教大学アジア文化研究所 金山梨花
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