43年前の代執行「解決」へ合意 千葉県が一定の結果責任を表明 成田空港建設

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成田空港用地の強制収用をめぐる故小泉よねさんへの補償問題について記者会見する養子の小泉英政さん(中央)、右は妻の美代さん=3日、県庁

 成田空港建設に伴って成田市内の自宅を強制収用された故小泉よねさんに対する未解決の補償について、よねさんの養子の小泉英政さん(66)夫妻と千葉県、成田国際空港会社(NAA)、国土交通省は3日、解決に向けた協議を進めることで合意した。県収用委員会の“特殊事情”などで43年間続く未解決の状況に対し、県が一定の結果責任を認める見解を表明。これによって夫妻がNAAとの本格的な協議を受け入れる事実上の「和解」となった。

 この問題は、空港建設反対運動が激化していた1971(昭和46)年6月、当時の空港公団(現NAA)・国からの申し立てを受けた県収用委員会が、空港用地内にあったよねさん宅の強制収用を認める行政代執行を、特別措置法に基づき緊急的に裁決したことに起因する。

 家屋や土地の対価は概算的な「仮補償」として示され、受け取りを拒否していたよねさんは2年後に死去した。

 特措法では、仮補償決定後も収用委が引き続き審理して速やかに本補償の裁決をする決まりだが、反対闘争で死者が出た後の71年10月以降、県収用委は成田空港問題の扱いを中止。88年には当時の委員会長が襲撃されて全委員が辞任し、機能が停止した。県収用委は2004年に再建されたが、成田問題は引き続き扱わないことが条件で、よねさんの「本補償」問題は棚上げが続いていた。

 今回の合意では、収用委の本補償裁決は求めず、代替的な措置をNAAが実施することになるもようだ。

 民家の強制収用は、よねさん宅が成田空港建設に絡む唯一のケース。よねさんに対する行政代執行について、県は1992年の成田空港問題シンポジウムで当時の副知事が事実上謝罪しているが、英政さんは参加していなかった。今回、県は「法で定める手続き(行政代執行)を進める中で、小泉よねさんに対して非常につらい思いをさせることになったことについて、まことに申し訳ない」とあらためて謝罪した。

 NAAと国は、01年に最高裁で和解した訴訟で、よねさんへの強制収用を急いだことなどについて、英政さんに謝罪している。

 合意を受けて県庁で記者会見した英政さんは「次の世代にまで問題を残すわけにはいかない。43年間もたってしまったが、43年たったからできる話し合い解決なのかとも思う」と話した。当時よねさんが失った「平穏な生活」の価値を最終合意で明確にしたいとの考えも示し、NAAから金銭補償を受ける場合は「社会に還元したい」とした。

 県は「引きずってはいけない問題と考えた」と今回の見解表明に至った背景を説明。NAAの夏目誠社長は「誠意をもって、納得いただける解決を図りたい」とのコメントを出した。




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