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ufo版『Fate』に見る「今のFate」とアーチャー像の変化について

『ニンニンジャー』。今回の戦隊は浦沢一門の下山健人がメイン脚本家を務めていて、その影響かコメディタッチの話が非常に多い。それ自体はどうということもないのだが、今週の怪人だったヤマビコの「声色をシロニンジャーに変えてアカニンジャーに電話し、他の三人の変身アイテムを回収。代理人を派遣して変身アイテムを奪う」という作戦の「振り込め詐欺」感はちょっと凄いものがあった。ヤマビコのやったことそのものは家族の絆を利用しているだけなんだけど、振り込め詐欺自体もそういう家族の絆を逆手に取った詐欺なわけで。その辺も含めたネタ作りは上手いものがあったなーと思う。
ただ「ラストニンジャの弟子になるために、ニンニンジャー達に襲いかかるスターニンジャーのせいで、家が散らかる」というネタは実写だと「迷惑なやつだなー」という印象しか残らないのが辛いなぁ。元々スターニンジャー自体、「アメリカ帰りの忍者」「妖怪大好き」「日本語は落語で覚えた」で設定が過積載気味なので、過積載過ぎるがゆえにキャラクターの出来る事の幅がかえって狭いように見える。。ロデオマル自体は面白いんで勿体無いなぁ。
『ドライブ』はまあ最強フォーム登場前の落とす展開というところなのだが、「変身する泊の方を殺す」というのはさすがに驚いた。ベルトさんの方かと思ってたのに!



TYPE-MOONが2004年に発表した『Fate/stay night』は各界に衝撃を与え、一大ムーブメントを巻き起こした。スタジオディーンにより2006年にはTVアニメ化、2010年には劇場版アニメ化を果たし、2006年から2007年末にかけて発表された虚淵玄による公式外伝『Fate/Zero』も2011年にufotableによってアニメ化。このアニメ版『Fate/Zero』は原典が発表されてから7年、『Fate/Zero』自体は発表されてから四年の月日が流れているにも関わらず好評を持って迎え入れられ、『Fate』そのものに触れたことがない新たなファンを獲得している。
2014年に発表から十周年を迎えた『Fate』シリーズ。そんな「Fate生誕十周年」を記念した「Project Fate/stay night」の一つとして制作された作品が本作『Fate/stay night [Unlimited Blade Works]』だ。そのタイトル通り、本作は『Fate』の中でもとりわけ人気の高い遠坂凛をヒロインとするシナリオ「Unlimited Blade Works」のアニメ化作品で、本作の主人公を務める衛宮士郎と遠坂凛のパートナーとなるアーチャーに焦点を当てた物語となっている。
この「Unlimited Blade Works」そのもののアニメ化は今回が初というわけではない。2010年にスタジオディーンにより制作された劇場版アニメ化されているからだ。とはいえ、この劇場版は「普通にプレイすれば、一ルートで20時間近くかかる」と言われるほど長大な原作を90分という時間の中に収めるために衛宮士郎とアーチャーの物語に特化したアニメ化となっているため、「Unlimited Blade Works」のシナリオの特徴となっている「めまぐるしく変わっていく勢力図」に関してはあまり触れられていなかった。そういう意味では今回のTVシリーズは「Unlimited Blade Works」と言うシナリオの持つ特徴をフル投入しており様々な新事実も含めてスタジオディーン版とも原作とも違う全く新しい『Fate』として仕上げられている。

今回の『Fate』の最大の特徴は何と言っても「今のFate」になっているということだ。
キャスターの元マスターやギルガメッシュとアインツベルン陣営のやりとりなど、前述したような様々な新事実に新要素が投入されている事から原作ファンにとっても未知の情報に溢れており実に楽しい作品となっているのだが、今回の『Fate』で特に大切なのはアーチャーの描写が原作ともディーン版とも異なっていることだろう。
原作におけるアーチャーは「正義の味方」という理想を傷つきながらも貫き通した末に「全体を活かすために一部の人間を虐殺する」という使命を与えられ、その虐殺の果てに精神的に摩耗してしまった「衛宮士郎」で、「正義の味方」と言う信念を貫き通そうとする主人公、衛宮士郎の未来そのものなのだ。
そのため、クライマックスの一つとなっている衛宮士郎対アーチャーは「未来で後悔した自分の心を、今の自分がどのような形で救うのか」という自分自身の戦いとなっており、士郎は「「借り物にすぎない理想」でもその理想は間違いではない」としてアーチャーを越えていく。
スタジオディーンが制作した劇場版ではそんな「自分自身の戦い」という要素を強調するような描き方をしており、同じくディーンが制作したTVシリーズでアーチャーが使用した技を士郎も使用することで、衛宮士郎のアーチャー超えを印象づける演出が用いられている。
それに対してufotableが制作した今回のTVシリーズはアーチャーを「衛宮士郎が理想を貫き通した果ての姿」として描いていない。「理想を貫き通した衛宮士郎が辿る一つの可能性」である「正義の味方という矛盾した思想の体現者」として描いており、原作や劇場版では「自分自身との戦い」として演出されていた衛宮士郎対アーチャーも「自分自身」というより「正義の味方志願者と正義の味方と言う矛盾の体現者」という方向で演出されている。原作にも劇場版にもある展開なのに全く異なる印象を受けるのはそのためだ。アーチャー自体が「未来の衛宮士郎」として描写されていないのだから、原作とも劇場版とも異なった印象になるのは当然の帰結なのだ。
また衛宮士郎をアーチャーが認める展開もufo版は「アーチャーの展開した固有結界を士郎が書き換えていく」という少し変わった演出の仕方をしているのも面白い。固有結界は使用者の心象風景を表したものだが、それを書き換えていく士郎はアーチャーとは違う心象風景を手にしているということでもある。つまり「アーチャーにはならない未来」をあの戦いの中で士郎は掴みとっているのだ。だからアーチャーも敗北とともに士郎の理想を認めたからなのだろう。。
またこの士郎とアーチャーの戦いを見守っていたセイバーが「選定の儀式をやり直したい」という自身の願いに向き合っているのもufo版だからだろう。原作でもトゥルールートにおいて凛に救済されているが、「自分で気づく」という方向で調整されているのはアーチャーとセイバーが重ねられているからなのではないだろうか。

いずれにしても今回の『Fate』は随所で「今やることの意味」ということを考えた上で制作されている事だけは間違いない。映像の品質だけでなく、上記のアーチャーのような物語そのもの「今のFate」として再構築している点は評価すべき点だろう。まもなく最終決戦へとさしかかろうとしているが、原作で多くのファンがやられたアーチャーの笑顔にどのような意味が宿るのだろうか。
既に制作が決定されている桜ルート「Heaven's feel」と共に楽しみにしていきたい。

 


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