哲学の授業のレジュメに、はてなで有名な精神科医の本が引用してあった。
引用を読んだが、僕には「自分探し」という言葉がピンとこなかった。
探したところで、結局肉体や地位、身分は変わらないのになぜ探すのだろうか。
所詮は僕は容姿が醜く、病気持ちの、京都のロクでもない大学に通う学生なのだ。
自分の頭が悪いのだろう 「自分探し」についてよくわからなかった。
もしや、「自分探し」の意味がわからない僕は自分をよく理解しているがために死にたくなるのか。
衣笠で「自分が嫌い」とかノータリンなことをいう人間を二ヶ月間で二人も見た。
嫌いとか言う割にアニメに関して意識高くスッカラカンに話している。
もう一人は世界経済の授業で大講義の教室で、男と仲良く座っている容姿のいい女だった。
「自己PRができない 自分が好きじゃないからー」と教授がしゃべっている中、男に話していた。
そもそも自分が嫌いなら大教室の後ろの方に座り、男とだべらないだろと思った。
毎週のごとく最前列に座り、教授に質問する容姿の悪い男にはこの様子はどう見えるのだろうか。
僕もやはり自分が好きなのだけど、どうしても容姿と学生証と持病は気に食わない。
以前、母親が京都府警からの性犯罪に注意という、チラシをみて「あなたより、40インチのブラビアとか、GTX980を積んだパソコンとか、MacBook Proの方よねー」と言われた気がする。
これは父の「お前モテるぞ 家が金持ちだからな」と同じ意味だった。
自分の性的魅力が皆無なのだ。肉体への魅力は何やってもナッシングなのだ。女は金に欲情するのだ。正直、僕に価値などないのだ。
ブサイクと言われ続けて性格が歪むのは元スーパーIT高校生の醜男を見れば分かるだろう。僕もスーパーなんんちゃら高校生も能力は違えど、容姿が醜いのは事実だから救いがない。
今日も容姿のいい秋葉原のメンヘラたちは、持てる性的魅力で生きる気持ちよさを得ているのだろう。
僕は今日もゴミメイカンへ慶應ガールの高校時代の元同級生の写真を見て苛つきながら行く。
あぁ、僕は自分の存在を性的消費で感じるソウルの持ち主なのに、美のイデアを持たぬ醜男なのだ。
苦しいので死んじゃいたい。
探さないとわからない人用であって既にわかってる人には不要
わからないなら、探してこいよ
哲学の授業の問題かな?