新潟水俣病:公式確認50年 救済求め相次ぐ訴訟

毎日新聞 2015年05月31日 08時16分(最終更新 05月31日 10時59分)

記者会見で思いを語る特措法異議申し立てを認められた女性(右)=県庁で2015年5月28日午前11時51分、真野敏幸撮影
記者会見で思いを語る特措法異議申し立てを認められた女性(右)=県庁で2015年5月28日午前11時51分、真野敏幸撮影

 新潟県北部の阿賀野川流域で発生した新潟水俣病が公式確認されて、31日で50年になる。熊本の水俣病に続く「第2水俣病」とも呼ばれ、患者たちが原因企業に損害賠償を求めて提訴し、補償を勝ち取った新潟水俣病1次訴訟は「公害訴訟の原点」とされる。だが、厳格な国の患者認定基準にはじかれ、司法に救済を求めざるを得ない被害者たちの訴訟が今も続く。新潟市では同日、国、県、患者団体などによる記念式典が開かれる。【真野敏幸、笠井光俊】

 「やられっぱなしのまま終わりたくない。患者を切り捨て幕引きを図ってきた国や昭和電工を許せない」。新潟水俣病5次訴訟の原告団長を務める皆川栄一さん(71)=新潟県阿賀町=は昨年5月、法廷で、訴訟に踏み切った胸の内を打ち明けた。

 父が船頭で、阿賀野川の魚を食べて育った皆川さんは、20歳の頃から手足のしびれや耳鳴りに悩まされた。だが、当時、集落では「患者の家には嫁にやるな」とささやかれていた。「子供たちが結婚や就職で差別される。家族を守るため、水俣病の診察を受けるという考えは捨てて生きてきた」。加齢とともに悪化する症状に耐えかね、子供たちの自立を見届けて水俣病の診断を受けたのは2013年3月だった。

 だが、医師から水俣病と診断されても「公害健康被害補償法」に基づき補償が受けられる認定患者になれるわけではない。国が1977年に定めた基準では、患者と認定されるにはしびれなどの感覚障害に加え、視野狭さくや歩行障害など複数の症状が必要だからだ。これにより、認定申請した人は2518人(4月末現在)に上るのに対し、認定患者は702人にとどまる。

 このため、未認定患者が賠償を求める裁判は繰り返され、政府はこれまで2度にわたって「一時金」支給を柱とする政治決着を図ってきた。村山政権下の95年、原告らに認定患者が受給する補償金の4分の1以下の260万円を昭電が支払う仕組みを作った。2度目の政治決着は09年。感覚障害など一定の症状が確認されれば210万円を支払うなどとした「水俣病被害者救済特別措置法(特措法)」を制定し、これによって新潟水俣病2次、4次訴訟はそれぞれ和解が成立した。

 だが、特措法による申請は12年7月までで締め切られたため、皆川さんのように申請に間に合わなかった人や、特措法の救済対象にならなかった人たちによる5次訴訟、あくまで国の行政責任を追及する3次訴訟など、新潟水俣病を巡っては現在、三つの訴訟で40〜80代の約90人が争っている。

 ◇国の認定基準厳しく

 こうした中、国の認定基準に対する司法の判断が注目された。13年4月、最高裁が熊本の水俣病患者の認定を巡る裁判で、感覚障害だけでも水俣病と認める判決を出し、従来の国の基準を事実上否定した。だが、判決を受けて環境省が14年3月に出した新通知では、感覚障害だけでも患者と認める一方で、魚介類を食べた時期や入手経路などを患者自らが客観的な資料で証明しなければならないと定めた。患者側は「かえって認定のハードルが高くなった」と反発している。

 熊本の水俣病も状況は同じだ。認定申請者は熊本・鹿児島両県で1万9214人(今年3月末)に対し、認定患者は2277人。被害の賠償を求める二つの訴訟の原告は計1000人を超え、環境省が出した新通知の取り消しを求める訴訟も起こされている。

 「年齢を重ねて症状がひどくなった」。患者団体「新潟水俣病阿賀野患者会」には、今もこうした相談が寄せられる。患者会が公式確認50年の節目を前に、昨年10月から阿賀野川流域の世帯を中心に約4万枚のチラシを配って受診を呼びかけたところ、これまでに70人余が新たな患者として名乗り出た。患者会の山崎昭正会長(73)は「さまざまな事情から名乗り出ることができない患者はまだまだいる。国は場当たり的な対応をやめ、被害の全容を調べ、救済の仕組みを作るべきだ。そうしないといつまでも問題は解決しない」と訴えている。

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