殉職顕彰碑:掃海など79人 元司令、安保法制に「心配」

毎日新聞 2015年05月31日 09時05分(最終更新 05月31日 09時13分)

「掃海殉職者顕彰碑」の前で営まれる追悼式=香川県琴平町の金刀比羅宮で2015年5月30日午前10時46分、川平愛撮影
「掃海殉職者顕彰碑」の前で営まれる追悼式=香川県琴平町の金刀比羅宮で2015年5月30日午前10時46分、川平愛撮影

 太平洋戦争の終戦後、日本近海に残った機雷の除去(掃海)などで殉職した79人の顕彰碑が、海上安全にゆかりのある金刀比羅宮境内(香川県琴平町)に建っている。政府は安全保障関連法案の審議で、中東ホルムズ海峡での機雷掃海を集団的自衛権行使の事例に挙げる。時代が変わっても掃海作業は危険を伴う任務だ。安保論議を見守る遺族や海上自衛隊関係者は「二度と殉職者を出してはならない」と訴える。

 防衛省によると、米軍などは太平洋戦争中、日本近海に約6万7000個の機雷を仕掛けた。旧海軍省は1945年10月、掃海隊を編成して機雷の除去作業を開始。52年に全国の主要航路・港湾で安全宣言が出されたが、その間、作業中の爆発事故などで78人もの命が失われた。

 顕彰碑は全国の港湾都市の首長が発起人となって52年に建立された。縦約6メートル、横約2.4メートルの巨大な石碑で、碑文は吉田茂首相(当時)が揮毫(きごう)した。63年に掃海訓練中に事故死した海自隊員1人を含めて79人の名を刻み、毎年初夏に追悼式が催されている。

 毎年参列している櫛野弘さん(85)=広島県福山市=の兄勲さん(享年20)は45年10月、大分県沖の瀬戸内海で掃海作業中、船が機雷に触れて沈没し亡くなった。44年秋に徴兵され、終戦になって帰郷した翌月だった。

 安保関連法案の論議では機雷掃海が焦点になっているが、櫛野さんは「一般の人は機雷といわれてもピンとこないし、掃海の怖さを知らないと思う」と懸念する。「二度と人の命が奪われることがあってはならないが、上の人が決めたら行かなきゃいけないのは今も昔も同じ。国は残される人のことを考えてほしい」と訴えた。

 残存する機雷の掃海作業は、海自が引き継いだ。元掃海隊司令の松藤信清さん(67)=同県呉市=は「安倍首相がはっきり答弁しないので思惑がよく分からないが、法整備で自衛権の発動が明確化されるのはありがたい。できるだけしっかりした任務や目的を与えてほしい」と話す。

 掃海技術は時代を追って格段に向上し、安全性も高まった。91年には湾岸戦争後のペルシャ湾に海自の掃海部隊が派遣された実績もある。それでも松藤さんは「心配がないかというと、うそになる」と複雑な心境を語る。

 今年の追悼式は30日午前に営まれ、遺族や掃海部隊OBら約280人が参列。犠牲者の冥福を祈った。【伊藤遥】

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