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【社説】

週のはじめに考える ペルシャ湾の教え

 安保法制審議でしばしば出てくるホルムズ海峡。掃海艇の派遣とは果たして現実的な選択なのでしょうか。二十八年前の出来事を振り返ってみよう。

 古い出来事を引っ張り出すのは、国会論戦を具体的に考えてみたいからです。

 当時は、イラン・イラク戦争の最中。実際にペルシャ湾に機雷がまかれ、タンカー攻撃も起き、アメリカは欧州の同盟国とともに、ホルムズ海峡経由で石油を輸入している日本にも安全航行のための貢献を求めてきました。

◆アメリカの派遣要請

 最初はこうでした。

 <日本は憲法の規定によりペルシャ湾での船舶護衛活動への参加は規制されている。その代わり資金面での支援は可能だろう>(一九八七年六月、ワインバーガー国防長官の議会報告)

 憲法の制約はもちろん理解されています。公にはそうです。

 しかし触雷事故が増えてくると、非公式に掃海艇の派遣を求めてきたのです。

 事態を整理してみましょう。

 まず一九七九年にイラン革命が起きる。アメリカの支援を受けていた国王シャー・パーレビは巨額の石油収入を使って上からの改革を進めていたが、富むのは上ばかりだと民衆が不満を爆発させたのでした。

 イランからアメリカが出て行くと、それを弱体化とみて戦争を仕掛けたのが隣国イラクのフセイン大統領でした。

 アメリカも、そしてペルシャ湾をはさんでイランとにらみあうサウジアラビアもイラクの側につきました。

 戦線は一進一退し、米ソをはじめ中国、欧州諸国は両国へ武器輸出は行えど、停戦調停の努力はあまり見られませんでした。

◆軍民の区別はつかず

 タンカー攻撃の始まりは八四年春。

 イラク機がイランの石油積み出し港の船を攻撃したのです。戦争の膠着(こうちゃく)に対し、フセイン大統領が世界の目を向けさせようとしたともいわれ、やがて機雷がばらまかれます。八七年までに航行の二百隻以上が被害を受け、死者は百人を超えました。

 戦場とはそういうものです。軍民の区別はつかない。危険の範囲などわかるものではありません。

 アメリカは自国の出動はもちろん、西側同盟諸国に掃海活動の協力を要請。米ソ、英仏、イタリア、オランダ、ベルギーから二十隻を超す掃海舟艇が出動。

 あわてたのは日本政府でした。政府内では自衛隊は出せないが、代わりに海上保安庁の巡視船派遣案が浮上します。前例がないわけではありません(一九五〇年、朝鮮戦争でアメリカの要請により海保・掃海隊を派遣。触雷沈没で一人死亡)。しかしながら戦闘機もミサイルも飛び交うペルシャ湾ではもとより稚拙な案です。

 戦争を知る世代の官房長官後藤田正晴氏がぴしゃり、はねつけたといいます。もし派遣なら内閣が倒れるどころか、何より戦闘に巻き込まれていたでしょう。

 世界を驚かせる事件も起きていました。米フリゲート艦スタークがイラク機のミサイル誤爆を受け三十七人が死亡。公海上では自動迎撃用スイッチを切っていたためとされ、その方針変更後には今度は米イージス艦がイランの二百九十人乗り旅客機を誤って撃墜してしまいます。

 まさに戦場では何が起こるかわからない。

 今だって精密爆撃を誇る無人機が多数の住民を誤って、また巻き込んで殺しているではありませんか。元米国防長官は「民間人に対しこれほど配慮した戦争はない」と述べたそうだが、この言葉は戦争の不道徳を如実に示しているでしょう。

 話を戻しますと、二十八年前に日本の行った貢献とは、機雷を避けて航行する高度電波支援施設の構築と米軍への資金拠出でした。できることをしたのです。

 国会のホルムズ海峡論議は到底実際的とは思われません。それが南シナ海警戒への布石かもしれないなどと想像はされても、実際の戦場が想定されなければ真実の議論とはいえないでしょう。

◆掃海持ち出す狙いは

 ホルムズ海峡の機雷封鎖の可能性は、中東専門家に聞けば大半がないと言うでしょう。またないようにせねばなりません。

 自衛隊の派遣を、また集団的自衛権の行使を国民に受け入れやすくするために機雷掃海を持ち出したとするならば、大きな過ちであり、危険でもあります。

 今、私たちが考えるべきは戦争の参加可能性ではなく、戦争の回避可能性なのです。そのためには過去の戦争をよく振り返る必要があるのです。危険かもしれない未来は過去を通して見るしかないのです。

 

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