企画競作
星降る夜のマイナ
夕方のニュースで聞いた話によると、今晩は流星群が見られるかもしれないらしい。
流星群というのは平たく言えば空いっぱいの流れ星のことだ。そのビジュアルのわかりやすさから普段夜空なんて気にもかけない層にも人気がある天体現象である。
ぼくは人並み程度には天文に興味を持っている。いつも夜空に構っている余裕などはないが、ごく稀に眺めたくなるほどのささやかな興味を。
そしてそのような層の半数以上がそうであるように、ぼくはこれまで流星群というものを見たことがなかった。
一時間当たり千個以上もの流星が観測できたという有名な2001年のしし座流星群の時は、僕はまだ八歳で、なおかつよい子だったため、夜の一時過ぎには星ではなく夢を見ていた。
他の諸流星群もなんだかんだ理由があって見る機会がなかった。というのもそこまで熱烈に見たいわけでもなかったため流星群の情報になど目もくれなかったのだ。
さて、今はもうぼくも18歳だし、明日は休日だ。いくらぼくが受験生で星なんか見ている場合ではないとはいえ息抜きは大切だ。それに現実の俗っぽいことばかり考えているような大人にはなりたくない。たまには宇宙の塵に思いを馳せるのもいいだろうと思う。なのでぼくは今日の夜、そのりゅう座流星群とやらを見に行くことにした。少なくともそこでは参考書と睨めっこしないですむ。
家の窓からだと首が疲れるし、庭に寝転ぶのも恥ずかしいので、近くの高台にある展望台でお洒落に天体観測をしたいと思う。
一人で行くのもなんなので(怖いので)女の子と行く事にする。彼女は名前をマイナちゃんという。とてもかわいい子だけれど残念ながらぼくとは種族が違うので今のところそういう関係になるつもりはない。
マイナちゃんが「わん!」と吠えた。腹が減ったと訴えている。ぼくはドッグフードをザラザラとマイナちゃん専用のお皿に注いだ。
「待て」とも「よし」とも言わないのにひとりでに食べ始めるマイナちゃん。可愛い。ぼくは薄茶色の毛並みをなでる。キレて唸るマイナちゃん。安い女ではないらしい。
十二時過ぎにぼくたちは家を出る。夜間外出を咎められそうなので、親に黙ったままそろそろと準備をする。
庭でマイナちゃんの首輪にリードをつけ替えていると、興奮したマイナちゃんは息を荒くする。今にも騒ぎ出しそうだ。ぼくはマイナちゃんの頭をムツゴロウさんみたいになでながら玄関の門から出る。
山の上にある展望台へは長い坂を登っていかないといけない。長袖Tシャツの上にパーカーを羽織っているとはいえ薄ら寒い。それらの理由からぼくはジョギングを始める。
ほっほっとリズムよく息を弾ませていたのは最初の五分だけ。その後は日ごろの運動不足がたたってとぼとぼ歩くことになる。マイナちゃんはそんな僕を引っ張る。小柄な体なのになんて力だろう。それに一応飼い主である僕を気遣う気はないのだろうか。
今日は雲が少ない。後二、三日したら満月になるであろう大きな月の明かりが地上を照らす。星座もそれなりに見える。これは期待できるかもしれない。
坂を歩きながら夜空の様子に没入していると、突然マイナちゃんが激しく吠えた。
「ワン! ワン! バウゥゥゥ!」
「マイナちゃんどうしたの」僕は辺りを確認する。マイナちゃんが吠えている対象は近くの家で飼われている犬だった。犬種はトイプードル。これはまずい。
マイナちゃんは頑迷と言っていい程に物事にこだわるきらいがある。マイナちゃんはメジャーなものを忌み嫌う。ドックフードならCMで宣伝されているようなものは食わないし、犬ならばトイプードルやミニチュアダックスフンドとは絶対に仲良くしない。親の敵か、という程に吠えまくるし機嫌が悪ければ体当たりをくらわす。マイナちゃん自身は雑種で、雑種っていうのは滅茶苦茶メジャーなんじゃないかと思うのだが、おそらく一匹一匹オリジナリティがあるみたいな理屈があるのだろう。
「ほら、マイナちゃん。もう成犬でしょ。大人になろうね」僕はリードを強く引っ張る。マイナちゃんは全ての足の爪をアスファルトに引っかけて踏ん張る。何がマイナちゃんをそうまでさせるのだろうか。じりじりと何メートルか引きずった末、やっとあきらめたのかマイナちゃんはスタスタ歩き始める。家の人が出てくるまでにあきらめてくれてよかった、とぼくは安心する。
さて山の上の住宅団地に到着した。僕とマイナちゃんはあの後何回戦か繰り広げた為お互いに息が荒い。この団地の人々が犬を飼っていない事を祈りながら展望台の方へ向かって歩く。
展望台は森のすぐ前にある。その森は長く緩やかな斜面にあって、その斜面のふもとにはまた町がある。森は黒く深い。
ぼくたちは展望台の階段を登り、てっぺんの広い円状のスペースに辿り着く。円状のスペースの中心にはまた円状の芯があり、要するにドーナツのような形になっていて人が歩ける場所はドーナツの可食部だけだ。
ぼくたちの他には誰もいないようなので、階段の真反対の奥の位置に陣取る。寝袋を敷いてその中に入り込む。マイナちゃんも入れてやる。マイナちゃんの身体はとても暖かい。これが人間の女の子だったらなあ、と思わずにはいられないが、それはマイナちゃんも逆を考えていることだろう。贅沢は言わないでおく。
風もなく静かな夜だった。ぼくは黙って星空を見上げる。綺麗だな、とぼくは思う。横になっていると眠ってしまいそうだ。
しかしながら流星は一つも見えない。もう十分も星空は平穏を保っている。これは一杯食わされたかな、と夕方のニュースキャスターをいぶかり始める。マイナちゃんはすやすや眠っている。
ぼくは坂本九の「見上げてごらん夜の星を」を歌う。雰囲気にマッチして惚れ惚れしてしまう。フルコーラス達成するかもしれない。
ぼくが完全に自分酔っていると、急に階段を誰かが登ってくる音が聞こえた。ぼくはピタと歌うのをやめる。耳を澄ます。
「今変な声聞こえなかった?」女の声がする。
「なんか下手な歌ぽかったよな」男の声だ。
ぼくは確信する。展望台へ来る仲のよさそうな男女の二人組といえば……。間違いない、こいつらカップルだ。夜景につられてやってきた馬鹿なカップルだ!
しかもぼくの歌をそしりやがった!
ぼくは怒りを感じると同時に恐怖する。これは顔を合わせたらすごく気まずいぞ。
「町の明かり綺麗だね」女が甘い声で言う。
二人は反対側で手すりにもたれてでもいるのだろう。
「うん、それに今日は流星群が見られるらしいぜ。まあ月が明るすぎるし、あまりいい環境じゃないらしいけど」男が答える。
え、そうなの!? ぼくは動揺する。カップルに出くわした上に星も見られないの?
「んー、そっかぁ。カズヤ好きだよ」カップルの浮かれた愛の囁きが聞こえる。「ちゅーっ」しかもいきなりキスらしき行為を始めたみたいだ。
なに破廉恥なことやってんだよ、こいつら。公序良俗は守れよ! ぼくは急に道徳的怒りを感じ始める。みんなが使う場所なんだぞ!
なによりぼくには彼女がいたことがないのだ。よくわからないけど何だか許せない!
「ミキ、可愛いよ」男の砂糖みたいに甘い声音。ひどく気持ちが悪い。「いい?」
「あん、だめだって、人が来るよ」と言いながらも女の方もまんざらでもなさそうだ。
その間もぼくは必死に、以前友達から聞いた情報を思い返していた。「あの展望台、青姦スポットらしいよ」……
青姦とは外でセックスすること。スポットとはそういうことがよくある場所ってことだ。
つまり反対側にいるこいつらは人の前で一発おっぱじめる予定らしいということである。
ぼくにとって覗く覗かないの選択肢はなかった。ぼくのような善良な童貞が目の前で生々しいセックスを目撃しそうになったらどうなるか。逃げるのだ。何故なら怖いから。ぼくはパニくっていた。
どうしよう、この人たち怖い。ぼくはただ星を見に来ただけなのに。
そんな時目に入ったのはすやすや眠りこけるマイナちゃんの姿。
ぼくは思いついた。マイナちゃんの身体を掴んで、カップルの方へ投げる。これだ!
ぼくはクズだった。
目が覚めたら投げられていたという前代未聞の状況に驚いたマイナちゃんは反対側でけたたましく吠える。あがるカップルの高い悲鳴。ぼくはその間に急いで階段を下りる。
森の入口に隠れられた所ではぁはぁと一息つく。そして広がる後悔。
犠牲になったマイナちゃんへの罪の意識と、やっぱり覗いておけばよかったという悔恨の念。
ぼくが顔を上げると遠くから走って来るマイナちゃんの姿。
「マイナちゃん!」よかった。ぼくは安堵する。
マイナちゃんはぼくのすねに体当たりした。そしてそのまま森の奥へ走っていく。
「マイナちゃん! どこ行くの!」ぼくは焦って追いかける。
マイナちゃんはわんわん叫び続けているので暗闇の中でも居場所はすぐわかる。どうやら未だに恐慌状態のなかにいるようだ。
ぼくは全速力で走る。途中、木の幹に足を取られ藪につっこむ。結構本当に痛くて泣きそうになる。しかしマイナちゃんを放っておくわけにはいかない。元はといえば全部ぼくのせいだけど、だからこそぼくが解決しなくてはならないんだ。
マイナちゃんの叫びが消えた。
ぼくは周囲をきょろきょろ見回す。やばい、どこだここ。
「マイナちゃーん!」ぼくはマイナちゃんを呼ぶ。
「わおーん」と近くでマイナちゃんの声がする。
木々の隙間を潜り抜けて、やっとマイナちゃんの後姿を見つける。ぼくは近くまで駆け寄る。
「……!」ぼくは絶句した。
そこにはとんでもないものがあった。形の崩れかかった人の死体だ。
そして小腹がすいたのか、マイナちゃんはその端っこ辺りをかじっていた。
「マイナちゃん、アウト、それはアウト!」ぼくはマイナちゃんを掴んで抱き寄せる。確かにカニバリズムはマイナーだけどそこまでしてマイナーにこだわらなくていいよ! どんだけマイナー思考なんだよこの子は!
マイナちゃんはぼくに抱かれて安心したのかぼくの唇を舐める。胃の中がざわつく。
――っていうか死体が目の前にある。ぼくは卒倒しそうになる。ふらふらと木々にもたれかかりながら開けたところに出て警察を呼ぶ。
十数分後パトカーが到着する。
「通報していただいたのはあなたですか?」刑事の一人が言った。
「はい」
「ここへは何をしに?」
「流星群を見に来たんです」しかし未だに流れ星は見えない。
「そうですか、じゃあ案内していただけますか」
ぼくは例の場所へ案内をする。死体は変わらずそこに寝そべっていた。
「おええええええ!」ぼくは嘔吐する。それを憐憫をたたえた視線で見守るマイナちゃん。
「大丈夫ですか? それじゃあ家まで送っていくんで住所と電話番号を教えてください」
優しい刑事さんに家まで送って貰う。ぼくは寝床に入る。マイナちゃんも犬小屋ですやすや眠る。
翌日、第一発見者ということで簡単な調書を取られる。これで半日潰れる。午後は勉強をする。微積の理解が深まる。マイナちゃんは変な鳴き声の特訓をしているようだった。そして一日が終わる。
ぼくは虚ろな目でこの日の夜空を眺める。流れ星が一瞬きらめく。ぼくは決心した。二度と流星群なんか見に行かない。
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