谷杉写真館の歴史
 History of Photo Studio TANISUGI
tani1.jpg昭和14年(1939年)初代館主・谷杉正は
「田本研造写真場五稜郭支店」を受け継ぎ、
屋号を「谷杉寫眞館」と改めました。
平成17年(2005年)には市内美原に新スタジオ
「写楽館」をオープン。世代を重ね田本直系の
正統派写真館として今も函館に暮らす人々の
「幸福な時間」を撮影し続けています。

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tani2.jpg元町公園内 函館写真歴史館

初代館主 谷杉正
Photo Studio Tanisugi Founder:TADASHI TANISUGI
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大正6年(1917年)農家の五男として生まれる。
体が弱くて農業を手伝えなかったので写真術を学んだと云われる。
昭和初期、湯ノ川に写真店(現在でいうプリントショップ)を構え
旅館や料亭で豪商たちの宴の座敷に出張撮影するようになった。
酔客に「おいっ写真屋、暗箱にちゃんと種板(現在でいうフイルム)
入ってるのか?」と、からかわれるのが凄く嫌だったそうだ。
「いつか自分の写場を持ち、格調高い肖像写真を撮りたいっ!」
昭和14年(1939年)そんな願いが叶い、伝統ある「田本研造写真場」(五稜郭支店)を受け継ぎ、屋号を「谷杉寫眞館」と改める。
やがて太平洋戦争で満州に出征、戦後は平和の訪れを喜びながら、
家族写真を中心にハイカラな函館の人々の「晴れの日」を撮影した。
とても洒落っ気があり、宗家「田本写真場」の名に恥じないモダンな
ポートレイトを数多く残した創業者だった。

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二代目館主 谷杉晃一
Photo Studio Tanisugi Second Generation:KOICHI TANISUGI
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昭和17年(1942年)谷杉家の長男として生まれる。
とても温厚な性格で友誼に厚く、誠実な人柄から生涯写真館業界の発展に尽力した。幼い頃から田本研造の曽孫・田本利子氏に息子のようにかわいがられていたが写真にはあまり興味がなく、「新島襄」に憧れて同志社大学に進学する。昭和39年、初代 正が急逝し帰函。全く写真技術や経験の無い状態で亡父の跡を継ぐ。ちょうど写真はモノクロからカラーへ変わる時代だった。
持ち前の向上心と実践力で、当時最先端だったカラー写真技術を専門洋書などから学ぶ。努力が実り「谷杉のカラー写真は素晴らしい、まさに天然色だ」と評判になった。やがて昭和のベビーブームが訪れ、谷杉写真館は「百日記念」撮影のお客様で賑わった。「ここは産婦人科か?」と云われるくらい五稜郭の商店街でも噂になった。生来努力家だった晃一は黙々と技術を磨き、学んだ技術は惜しみなく同業者に提供した。だが、やはり晃一は写真やカメラには強い関心が持てなかった。というよりも、写真以上にレンズを挟んで対峙する被写体(人物)に愛情を注いでいた。小さな子供にもお年寄りにも、いつも優しく声をかけ、共有した時間を楽しむように撮影していた。そんな二代目 晃一が最も得意としていたのはロケ(屋外撮影)だった。北海道の写真館業界でロケを導入した先駆者でもあった。晩年は日本酒とゴルフと孫をこよなく愛した優雅な写真人生だった。たくさんの友人たちに惜しまれながら平成18年にこの世を去った。

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三代目館主 谷杉アキラ
Photo Studio Tanisugi Third Generation:AKIRA TANISUGI
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昭和43年(1968年)田本研造が最初の写真館を建てたちょうど100年後、函館に生まれる。
生まれながらにして写真とカメラに囲まれて育った。4歳くらいの頃「アンソニー」(当時の写真館のシンボル的な大型写真機)にぶら下がってよく遊んだ。
高校時代には「ヘビー・メタル」を聴き過ぎて、若干攻撃的な性格になる。日大芸術学部に進学するが、バンド活動中心のアナーキーな日々を過ごした。大学卒業後、父に薦められた写真館での修行を拒み、東京の某出版社写真部に入社。そこで「太陽賞」作家の小畑雄嗣氏に出会い、本格的に写真に目覚める。平成4年(1992年)函館に帰り、写真館の世界へ。
だが、ベースが雑誌カメラマンだったせいか、なかなか写真館の仕事に馴染めなかった。「自分にとって写真って何なんだろう?」カメラを抱え、世界中を彷徨い流離う旅が始まった。平成11年(1999年)、ノースウエスト航空社による「アメリカ写真飛行の旅」(審査委員長・浅井慎平氏)に企画が採用され、30日間に及ぶ北米大陸縦断の旅をした。函館、家族、仕事、生活、あらゆるものから開放され、カメラと己の映像感覚だけで毎日をサバイブした。この旅を契機に写真への向き合い方が大きく変わったように思う。自分の写真人生「Art of Life」というスタイルを見つけ、写真館の素晴らしさと記念写真の大切さに気づいた。平成17年(2005年)父との夢を結晶させた新スタジオ「写楽館」をオープン。そして今年、函館西部地区に現存する道内最古の写真館(建造物)「旧 小林写真館」を復元し、100年の時を超えて営業を再開する。From The Father To Son~ 開祖田本研造から「伝統」を学び、初代 谷杉正から「気概」を授かり、二代 谷杉晃一から「粋」を受け継ぐ。「写真館業界のラストサムライたらん!」土方歳三の「生き方」をリスペクトする写真師、そんな三代目です。

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