NNNドキュメント「あいつは、ミナだ 差別と闘い 新潟水俣病50年」
2015年5月31日(日) 24時55分~25時25分 の放送内容
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最終更新日:2015年5月25日(月) 17時30分
番組詳細説明(表題)
あいつは、ミナだ
差別と闘い 新潟水俣病50年
番組詳細説明(内容)
【内容】
四大公害病の一つ「新潟水俣病」。新潟・阿賀野川に工場から有機水銀が垂れ流され川魚が汚染された。それを食べた住民が、手足のしびれなど健康被害を訴えた。公式に確認されてから、
5月31日でちょうど50年となる。発生当初は、「タタリ」「伝染病」「遺伝する」という誤解が生まれ、原因がわかった後も結婚や就職の時に多くの人が差別された。「おい、ミナだ、ミナだ」これは患者を差別した呼び方だ。国の患者認定基準は厳しく、国に認められなかった人は、
「ニセ患者」と中傷されたため、多くの被害者が症状を抱えながらも名乗り出られなかった。
このため今も救済されない被害者がいて「体の痛み」だけでなく「心の苦しみ」を抱え続けている。発生から半世紀がたった今も問題が解決しない現状を伝える。
「50年近くたち子供も独立して被害を訴え出た」。こう話すのは新潟県阿賀町に住む皆川栄一さん(72)。
20歳頃から手足のしびれなど、水俣病の症状に悩まされたが「一族から水俣病患者を出すな」と身内から言われ続けた。発生当初から阿賀野川流域では「水俣病患者の家からは、嫁をもらえない」「水俣病患者の家に嫁を出すな」という差別と偏見が蔓延していた。
皆川さんはその差別と偏見を恐れ、結婚した妻にも、生まれた子供にも口をつぐんできた。
川は清流を取り戻したが水俣病は治らない。「このまま泣き寝入りしていいのか」。半世紀近くたってやっと名乗り出る決心をした。
皆川さんだけではなく、多くの新潟水俣病の被害者が差別と偏見に直面した。「水俣病を理解せず、あの家の血統だからと言われた」、「集まりに行くと『水俣病がきたぞ、おい、ミナだ、ミナだ』と言われた」、「魚を食ってもないのになんで水俣病になるのか」、「祖父が認定されたことが集落で知られて、娘がいじめられ不登校になった」など様々な差別、偏見、中傷が生まれた。そして半世紀がたった今もなお、被害を訴え出られない人たちがいる。
国の患者認定基準は厳しく、「認定患者」と、認定を棄却される「未認定患者」を生み出した。「未認定患者」は「金目当てのニセ患者」と中傷され、新たな差別を生む結果となった。
このため多くの被害者が水俣病と名乗り出られなかった。
50年間、水俣病患者を診察してきた斎藤恒医師は「国の認定基準は厳しすぎる。国の認定制度が、差別と偏見を助長してきた」と批判する。
皆川さんは「被害を認めてほしいと」と裁判に訴えるしかなかった。原告の数は、今70人以上に増えた。公式確認から50年がたった今も、終わらない闘いが続いている。
あいつは、ミナだ。四大公害病の一つ「新潟水俣病」の患者らをさす、差別の言葉。公式確認から5月31日でちょうど50年だが、今も続く、差別や偏見に怯える暮らしとは。
出演者
- ナレーター
- 中里雅子
番組内容
あいつはミナだ…。四大公害病の一つ「新潟水俣病」の患者らをさす差別の言葉。新潟水俣病の公式確認から5月31日でちょうど50年。発生当初はタタリ、伝染病という誤解が生まれ、原因判明後も、結婚や就職の時に多くの人が差別された。また患者認定されなかった人は、「金目当てのニセ患者」として中傷されたため多くの人が、症状を抱えながらも名乗り出ず沈黙した。そして今も体の痛みだけでなく心の苦しみを抱え続けている。
制作
テレビ新潟
その他
- 属性情報?
-
- ジャンル
- ドキュメンタリー/教養 - ドキュメンタリー全般 ニュース/報道 - 特集・ドキュメント
人物情報
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