中日スポーツ、東京中日スポーツのニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 中日スポーツ > 格闘技 > 紙面から一覧 > 記事

ここから本文

【格闘技】

WBOミニマム級王者に田中恒成 日本人最速の5戦目で到達

2015年5月31日 紙面から

フリアン・イエドラスに判定勝ちし、リングで笑顔を見せる田中恒成=愛知・パークアリーナ小牧で(小沢徹撮影)

写真

◇ボクシング WBO世界ミニマム級王座決定戦12回戦

 ▽30日▽愛知・パークアリーナ小牧▽観衆4500人▽中日スポーツ後援

 WBO世界ミニマム級2位の田中恒成(19)=畑中=が、同級1位のフリアン・イエドラス(27)=メキシコ=を3−0の判定で下し、日本選手最速のプロ5戦目で世界王座を奪取した。名古屋のジム所属選手では畑中清詞、薬師寺保栄、飯田覚士、戸高秀樹に続く5人目の世界王者。世界の頂から遠ざかっていた中部地区からニューヒーローが誕生した。 

 少し笑みを浮かべただけだった。「勝者、青コーナー…」。田中の名前が呼び上げられた。最速世界王者誕生。日本ボクシング界の歴史に名を刻む偉業に、本人はひょうひょうとしていた。

 「世界チャンピオンになってどんな景色が見えるのかと思ったけど、目が悪くて見えません」

 リングのインタビューで観衆を笑わせた。会見に場所を移しても、涼しい顔は変わらない。

 「ずっと目指してきた場所に自分が来た。実感はない。いつも通り試合をこなしたら、このベルトが手に入った」

 初めて12回をフルに戦い抜いた。「4、5回ぐらいから疲れが出てきてメンタル的にきつくなった」。そんな中盤、前に出てくるイエドラスの土俵にあえて乗り、接近戦を選択。苦戦を強いられたが、それ以外は上半身を柔らかく動かしながらパンチをかわし、左を中心に当てた。全体では主導権を渡さなかった。

 アマ時代からエリート街道を進み、世界すら、力でもぎ取った。輝かしい道のりの前、不運に見舞われた。小学校入学直前、田中に宣告されたのは「ペルテス病」。2万人に1人という珍しい病気にかかったのだ。原因不明。3〜6歳の男児が多く発症し、血行障害で大腿(だいたい)骨の一部が一時的に壊死(えし)する。多くの場合、1年半〜2年で元の骨に戻るが、田中は右足を1年間、地面につけられなかった。

 当時は空手を習っていた。練習は厳しく、つらかった。「空手も中断かな」。甘かった。父・斉(ひとし)さん(48)は装具を着けさせ、稽古を休ませなかった。

 「足は着けちゃダメだったけど、他のことは全部やった。『痛い』とか何も言わなかったし、言わないように。これでもやるのか、と思った」

 遊びたい盛り。原因不明の病気で、自由に動けない。なのに、つらい稽古は続く。理不尽さにも音を上げず、日々に立ち向かった。そんな原体験が田中の背景にある。

 地元ボクシング界の夢も背負っていた。中学3年のとき、あるプロジェクトに参加。畑中清詞会長、名古屋出身の飯田覚士さん、岐阜県各務原市で後進育成を目指す星野敬太郎さんの元世界王者3人が立ち上げた「SKB(ソウル・キッズ・ボクシング)」という日本初のキッズボクサー育成チームだ。中部地区から再び世界王者を、という目標のもと40〜50人の1期生が集まった。その一人が田中だった。畑中会長は「うれしさはあるね。第1号だからね」との悲願成就に笑顔を見せた。

 周囲の夢はどんどん膨らむ。IBF同級王者の高山との統一戦も取り沙汰される。「今はちょっと考えるのは…。休みたいです」。素顔はどこにでもいる19歳。偉業とのギャップが新時代を感じさせる。 (永井響太)

 

この記事を印刷する

PR情報





中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日新聞フォトサービス 東京中日スポーツ