細胞は外部からの力学的刺激に様々な応答を示します.例えば,平滑筋細胞を弾性膜上に貼り付けて培養し膜に繰返引張を加えると,引張りと直交する方向に配向します(下写真).これは,細胞が自分に加わる変形をできるだけ小さくしようとしたためだとも考えられています.このような細胞の応答を利用して,ある力学条件を細胞に与え,それに対する最適の構造物を細胞に創らせたり,生体内を模擬したさまざまな力学的刺激によって細胞の分化をコンロトールしようというのが私たちの研究の最終的な目的です.
細胞は力学的な刺激に対して形態変化を初めとする様々な応答を示すことが知られています.例えば血管平滑筋細胞や血管内皮細胞を弾性膜の上で培養して,弾性膜を引張ることで繰返引張刺激を負荷すると,引張方向と直交する方向に細長く配向することが知られています.これは自らが受ける繰返し変形を小さくして,膜から剥離しないようにしようとする応答とも考えられます.一方,マクロファージ(組織内を動き回り,異物や細菌を食べて掃除する)由来細胞であるU-937は引張方向と平行な方向に配向することが報告されています(図1‐1).以上の細胞は血管などの生体軟組織内に存在する細胞で,比較的大きな変形を日常的に受けていると考えられます.これに対し,骨内に存在し,大きな変形を受けていない細胞に関してはこのような研究は殆ど行われていません.そこで本研究では,骨芽細胞様細胞であるMC3T3-E1細胞に繰返引張刺激を負荷し,その応答を観察しました.なお,細胞の存在密度の違いにより同じ力学的刺激に対しても応答が違う可能性も指摘されていますので,培養時の細胞数の違いも考慮して観察を行いました.
細胞の配向角とShape indexの平均値を図1‐3に示します.高密度培養群では,配向角,Shape indexともに,Stretchの方で値が有意に減少していることから,細胞が引張方向に伸張・配向していることがわかります.低密度培養群でも同様の変化を示しましたが,配向角に関しては,StretchとStaticに統計的有意差は認められませんでした.これは,密度の差による細胞の応答の違いではないかと考えられますが,現時点では詳細は不明です. 培養平滑筋細胞や内皮細胞が引張方向と直交方向に配向するのは,ひずみの変動幅が最小の方向に配向するためであると考えられています.一方,MC3T3-E1細胞は引張方向と平行な方向に配向しました.現時点では詳細は分かりませんが,MC3T3-E1細胞は力学的刺激に対する配向応答に関し,培養平滑筋細胞や内皮細胞とは異なるメカニズムを有しているようです. また,配向角には高密度培養群と低密度培養群で差が見られましたが,Shape indexに関しては,培養時の細胞密度の影響は見られませんでした.伸長と配向は従来,分離して分析されることが多くありませんでしたが,互いに異なるメカニズムで生じているのかも知れません.
骨髄細胞の主な働きは赤血球や白血球を始めとした血球細胞を生成することです.最近,骨髄中には自己増殖し,様々な種類の細胞に分化する能力を持つ「間葉系幹細胞」と呼ばれる特殊な細胞の存在が明らかになってきています(図2‐1).この細胞を患者から取り出し,必要な細胞に変化させ(分化誘導),治療に活かす再生医療の研究が行われています.また細胞は力学刺激に対して応答し,形態や機能が変化することが知られています.以上のことに注目し,骨髄細胞に力学刺激を加えながら培養することで特定の細胞に分化誘導させることができるのではないかと考えられています. 本研究では,生体外で培養した骨髄細胞の分化状態に対して,繰返引張刺激を負荷した際の影響を検討しています.
マウスの大腿骨から骨髄細胞を単離した後,細胞用繰返引張負荷試験装置を用いて繰返引張刺激を負荷しながら培養し,骨髄細胞の分化状態を評価しています.分化状態をタンパク質レベルで評価方法するため,血管平滑筋細胞,骨芽細胞,神経細胞など,細胞は種類ごとに特有のタンパク質 (分化マーカタンパク質)を持っています.それらの分化マーカタンパク質蛍光染色し,細胞毎の平均蛍光強度を評価しています(図2‐2). 現在までに,ひずみ10%の繰返引張刺激負荷培養によって,血管平滑筋細胞への分化は促進され,骨芽細胞への分化は抑制されました.血管平滑筋細胞は生体内では比較的大きなひずみ (約10%) を受けています.一方,骨形成を担う骨芽細胞は,骨内にて1%以下の微小なひずみ環境に存在すると考えられています.このことから,繰返引張刺激負荷による骨髄細胞の分化状態と生体内での力学環境には密接な関係がある可能性が考えられます.
細胞は力学的刺激に対して応答することが知られています.例えば,弾性膜上に培養した血管内皮細胞や血管平滑筋細胞を一定方向に繰返引張を負荷することで細胞が引張方向に対して垂直な方向に配向し,細胞骨格の1つであるアクチンフィラメントも同様に配向することが知られています.しかし,細胞の配向状態の違いが力学応答に与える影響は十分に知られていません.そこで,本研究は,形状および配向を制御した細胞に力学的刺激を与え,力学応答に及ぼす配向状態の影響を調べることが目的です.
本研究では,細胞を培養する弾性膜としてシリコーンシートを用いています.シリコーンシートは透過性が良く,細胞観察などに適していますが,細胞親和性が低いため,そのままでは細胞が付着することができません.そこで,シリコーン膜に窒素や酸素などのイオンビームを照射することで,シリコーンシートの細胞親和性を向上させます.微細な孔が加工されたマスクをあてた状態でイオンビームを照射すると,シリコーン膜にマスクの孔の形状と同じ細胞接着パターンを作ることができます. イオンビームを全面に照射したシリコーン膜およびシートメッシュを用いてマイクロパターニングしたシリコーン膜上でそれぞれ培養した細胞の画像を示します (図3‐2).パターニングされていない細胞は様々な方向に伸長しています(左).一方,パターニング処理を施したシリコーン膜上の細胞は,照射領域に沿った長方形となりました(右). 現在,この方法を用いて,形状および配向を制御した細胞にさまざまな力学的刺激を与えたときの細胞の形態変化や内部構造の変化,さらにはさまざまなタンパク質の発現状態を調べています.将来的には細胞の形状や配列を制御しながら力学刺激を負荷し,特定の遺伝子の発現量なども調整できるような技術に発展させたいと考えています.
血管内皮細胞は血管内腔を一層に覆っており,血流に直接曝されています.この血流に応じて内皮細胞は,血管を弛緩させる物質や血管内で血液が固まるのを防ぐ物質を分泌したり,その血液の流れ方向に伸長・配向する (図4-1) ことが知られています.このように血管内皮細胞は血管の健康を保つ上で極めて重要な働きをしていると考えられています.
では,内皮細胞はその血流の感知をどのように行っているのでしょうか?最近では,内皮細胞の表面上に存在する長さ数百nm程度の糖鎖 (図4-2) と呼ばれるものものが,流れに受けて毛のようにたなびくことで,流れせん断刺激の情報が細胞内部に伝わるのではないかという説が有力となってきました.また,この糖鎖は細胞の内部にある様々なタンパク質に結合しており,その機能に影響を与えていると考えられています.そこで,本研究ではその糖鎖が血管内皮細胞の力学的挙動にどのような影響を与えているのか調査しています.
本研究では血管内皮細胞に一定の流れせん断応力を負荷することができる装置を作製しました (図4-3).この装置により,顕微鏡下で細胞の動きや形の変化を逐次観察しながら流れ負荷試験を行うことができます.糖鎖の一部を薬品処理によって除去したときに起こる細胞の挙動の変化を,静置培養下と,図4-3の装置を用いた流れ負荷培養下で詳細に調べています.さらに,今後は流れをかけたときの糖鎖のたなびき具合を観察する予定です.
細胞は基質と,焦点接着斑と呼ばれる点状の接着部位で接着し,
その焦点接着斑を構成しているタンパク質と細胞骨格の一つであるアクチンフィラメントが結合しており,
これにより外部の力学刺激を細胞内に伝達していると考えられています (図5−1).
また,アクチンフィラメントの張力により,焦点接着斑では数十nNオーダの牽引力が発生していると報告されています.
このような牽引力の変化が,細胞の機能調整と密接に関わっている可能性があると考えられてきており,
焦点接着部位で発生する牽引力の測定を目指した研究が進められています.
例えば,直径数μmほどのシリコーンゴム製の柱 (マイクロピラー) が多数並んだ基板上で細胞を培養し,
ピラー先端の変位量から細胞が発する牽引力を見積もるという方法が提案されています (図5−2).
しかし,細胞の牽引力測定は可能となってきたものの,より重要だと考えられる,焦点接着斑への独立した力学刺激技術,
すなわち,個々のマイクロピラーの先端位置を,独立して能動的に変形させ,それに伴う細胞の力学応答を調査するという技術はほとんどなく,
細胞が焦点接着斑でどのように力学刺激を感知しているのかということはまだはっきりとしていません.
当研究室では,焦点接着部位に力学刺激を負荷するために, 図5−2のようなシリコーンゴム製のマイクロピラー内に磁性粒子を埋込み, 外部から磁場を印加することでピラーを変形させることができる,磁気駆動式マイクロピラーデバイスを開発しました. 画像右方向からのネオジム永久磁石の接近による磁場印加により,多数のピラーが右方向に撓みます (動画5−1). 現在は,開発した磁気駆動式マイクロピラーデバイス上で細胞を培養し,実際に焦点接着部位に力学刺激を負荷した際の細胞の応答を調査しようと試みています.
細胞は,様々な力学刺激に影響を受け,機能や形態,運動能などを変化させることが知られています. 最近,細胞培養基板の弾性率も細胞挙動へ影響を与えることが明らかになってきています.例えば,未分化な間葉系幹細胞は軟らかい 基板上では神経系の細胞に分化するのに対し,硬い基板上では骨系の細胞,中間の硬さの基板上では筋系の細胞に優先的に分化する (図6−1) ことが 報告されています.ところで,生体内において細胞は周囲の弾性率が場所によって変化するような環境に存在することが考えられます. そこで,本研究では基板弾性率の変化が細胞挙動へ与える影響に着目し,弾性率が徐々に変化するような弾性率勾配を有する基板を作製し, この基板上の細胞の挙動を観察・解析することとしました.
弾性率勾配を有する基板を利用した研究として,線維芽細胞や平滑筋細胞が基板の高弾性率方向へ移動することが 報告されています.しかし,線維芽細胞や平滑筋細胞は結合組織細胞であり,生体内において3次元環境に存在することが考えられます. そのため,基板に付着するという2次元環境では生理的な応答を発揮できていない可能性があります.そこで本研究では,生体内において血管内壁に 1層になって存在する血管内皮細胞を実験試料として主に使用することとしました.
本研究では,弾性率勾配を有する基板上の血管内皮細胞の挙動を明らかにすることを目的とし,滑らかに弾性率が 変化する培養基板の作製,および作製した基板上での細胞挙動観察を行いました.また,細胞挙動を移動方向ごとの移動速度と移動頻度の2点に注目して解析しました.
弾性率勾配を有する細胞培養基板はポリアクリルアミドゲル (以下,PAゲル) を紫外線照射により重合させる光重合法を用いて作製しました. PAゲルの弾性率は照射する紫外線が強いほど硬くなります.重合させるゲルの上にさまざまな透過強度を持つ光減衰フィルタを載せることで弾性率を変化させました. 光透過率の組合せで6種類の弾性率勾配 (表6−1) を作製しました.作製したPAゲルの表面に細胞接着性向上のためにコラーゲンをコートしてから細胞を播種し, 弾性率勾配付近の細胞の挙動を24時間,15分間隔で連続撮影しました.実験試料として,マウス血管内皮腫様細胞株 (F-2) を使用し, 対照としてラット胸大動脈由来培養血管平滑筋細胞 (RASM) を使用しました.
撮影した画像から1時間ごとの細胞重心座標を解析し,この重心座標から移動方向ごとの移動量と弾性率勾配に対する移動方向を算出しました. そして,これらのデータを30?間隔で整理し,移動方向ごとの移動速度を算出しました.また,移動方向を1)高弾性率方向,2)低弾性率方向,3)弾性率勾配に垂直な方向の 3方向に分類し,これらの3方向間で比較を行いました (図6−2).
解析結果から,220 kPa/mmの弾性率勾配を有する基板上では,内皮細胞は弾性率勾配に対して垂直方向へ移動する傾向 (図6−3 (a)) を示し, 平滑筋細胞は高弾性率方向へ移動する傾向 (図6−3 (b)) を示しました.内皮細胞が弾性率勾配に対して垂直方向へ移動する傾向を示したことから, 内皮細胞は基板弾性率の大きな変化を避けながら移動している可能性が考えられました.また,内皮細胞と平滑筋細胞で弾性率勾配に対する応答が異なることから, 細胞の種類によって,弾性率勾配に対する応答が異なる可能性が示されました.