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【書評】
評論家・三浦小太郎が読む『21世紀の「脱亜論」 中国・韓国との訣別』西村幸祐著
■蔑視でなく日本再発見の道
福澤諭吉の「脱亜論」が書かれたのは明治18年。それから130年後の今出版された本書を読むとき、歴史は繰り返される、しかし失敗を繰り返してはならないという著者のメッセージの重要性がひしひしと伝わってくる。
当時、福澤も支持していた金玉均ら朝鮮開明派のクーデターは清国の干渉によって失敗、朝鮮半島は清の冊封体制に組み込まれる。ロシアは膨張政策を続け極東に進出、日本は国家的危機を迎えていた。福澤の脱亜論はアジア蔑視ではなく、近代化に失敗し華夷秩序を脱し得ない朝鮮と清国との決別であり、同時にロシアに対する防衛論でもあったことを、著者は当時の国際情勢から読み込んでいく。
その上で、反日イデオロギーに自閉し事大主義から中国に依存する韓国、覇権主義と中華思想という華夷秩序の復活を目指し、国内ではナチス同様の民族浄化政策を展開する中国という現在の東アジア情勢に向けて、著者は再び「21世紀の脱亜論」を説くのだ。
福澤同様、著者の視点は決してアジア蔑視ではない。台湾との連携を始め、東南アジアからミャンマーを経てインドに到(いた)る、海洋国家日本の進むべき新たなアジア連帯の道が、本書では未来の「開かれたアジア」の夢として描かれる。これは安倍総理大臣が平成24年に発表した論文にも沿うものであり、安倍政権が新しい時代の脱亜論を提起していることが示唆される。
さらに著者は、柳田國男の「海上の道」における先駆的な視点を引用し、日本国とは「海人」こと、海洋の様々(さまざま)な潮流により人間も稲作文化も日本列島に漂着して形成された「海洋自然国家」であり、大陸とは全く異なる国家であることを、最新の遺伝子科学をも紹介して証明していく。
また、岡本太郎が沖縄の御影石に、日本古代の信仰の清らかさを観(み)た「芸術家の研ぎ澄まされた感性」を受けて、神道の源流を沖縄から南洋にたどる著者の記述は、先の天皇陛下のパラオ訪問の意味をさらに深く訴えかけてくる。
脱亜とは、日本を再発見する道でもあることを、本書は私たちに再確認させる。(祥伝社新書・780円+税)
評・三浦小太郎(評論家)