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烏中零子

Author:烏中零子
うなか・れいこ。青二才のクラヲタ。バロックから前衛まで聴いてはいるものの、趣向はどこか偏っている。
プロフィール画像をご覧になれば分かるとおり、クラシック以外の趣味はもっぱらサブカル派。
※プロフ画像は『著作権フリー立ちキャラクター素材集vol.2』による(数ヶ月前にダウンロード購入したもの)。記事内での画像も、原則、フリー素材を使っております。

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【重要なお知らせ】ライブドアへ引越

悩みに悩んだ末、こちらのブログをライブドアブログへ引越することに決め、今朝、その作業が完了したところです。
URLはこちら↓
http://bow0alone.blog.jp/
5月19日、サブドメインをとったため、URLが変わりました。
お手数ですが、ブックマークなどの変更をしていただけると、とてもありがたいです。

そして、大変名残り惜しいですが、このブログは、五月末ごろに削除する予定なのでご注意を。
ただし、もちろん、もう一つのブログである『クラシック入門に「実は」最適な音楽たち』のほうは、これからもFC2のほうで続けていくつもりです。

今後ともどうぞ、よろしくお願いします_(._.)_

05/13のツイートまとめ

BlackCavalry0

そしてマーラー10番の不協和音はカタストロフ。シェーンベルクを理解できないと言いつつ、自分がこの世で最も凄絶な不協和音を生み出してしまったマーラー様。
05-13 23:11

シェーンベルクの不協和音は情熱的ベルクの不協和音はロマン的ヴェーベルンの不協和音は幾何学的
05-13 20:51

一世紀が経とうとしている今でも、確かに無調や一二音には新奇な印象がある……
05-13 20:50

RT @reracise1972: 「芸術の分野では、本当の意味で新しかったものは、バッハのように絶対に古くならない」(シェーンベルク)
05-13 20:49

RT @shirata_marr: なんだかんだで当日券とれました。ベルクの抒情組曲とシェーンベルクの浄夜。
05-13 20:48

フルトヴェングラーのすごさ、か。例を挙げればキリがないけれど、・時おり、立ち止まるようなテンポの遅さというか、旋律への構え方で、曲の内面性をあぶりだす。これが、ひとつの特徴かなと。まあ、これはメンゲルベルクもたまにやりますけどね。
05-13 20:46

RT @claotas_bot: お兄ちゃん。いつもフルトヴェングラー凄い凄い言ってるけど、何がどう凄いのか具体的に教えてよ。聴けば分かる、言葉に収まり切らない、って誤魔化さないでね。
05-13 20:42

RT @claotas_bot: お兄ちゃんは対象がクラシックなだけで、本質的にはキモオタと変わりないよ。
05-13 20:42

ランドフスカ様の名前を出してくれるなんて(感涙)ご説、ごもっともです!グールドだけがゴルドベルクじゃないと思う。最近では塚谷水無子さんの、ポジティフ・オルガンによる演奏が素晴らしい出来。
05-13 20:41

RT @claotas_bot: お兄ちゃん。ろくに聴いてもいないのにバッハといえばグレン・グールドだとか思い込んでない? とりあえずゴルトベルクをランドフスカからシュタイアーまで聴いてみようよ♪
05-13 20:39


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05/12のツイートまとめ

BlackCavalry0

ちなみにドビュッシーは、チェロ・ソナタに当初、「月と仲たがいしたピエロ」という題を付けることも考えていたとか!特に第2楽章はほとんど調が崩れていて、ほぼシェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」(ほぼ同時期の作品)の世界。
05-12 21:03

トルトゥリエのフランス音楽、とても芳醇で大好きです♪他には、ドビュッシーのチェロ・ソナタのセレナードにおける、ピチカートのイントネーションの良さが特筆もの! https://t.co/im4ZT6VPTx
05-12 20:50

ああいう解説を読むと血圧が上がる。実際さっき、出ってる出ってる出ってるリットルリットルリットルだったし。あと、くるみ割り人形の解説にチェレスタに関する記述がなかったりした場合も血圧上がるw
05-12 19:42

幻想について語るときにハープやコーラングレ、鐘に触れず、オルガン交響曲を語るときにピアノについて触れない。本当にこれらの曲が好きなら、こんな解説にはならないと思うわけよ。小さいスペースでの解説ならともかく、このCDに限っては、文字数もかなり余裕がある感じだし。
05-12 19:32

アンセルメのフランス三大交響曲が届いたけど、解説がひどい。・ベルリオーズの幻想の説明に、ハープや鐘に関する記述がない。・サン=サーンスのオルガン交響曲に、ピアノまで含まれていることについて、何も書かれていない。発売は2000年。ちょうど、CDの解説書が糞化し始めた時期だわ☠
05-12 19:28

美しい…… https://t.co/lsYu27mI7l
05-12 01:58

癒し系オムニバスへの警鐘? クレーメルの『アタージョ』

クレーメルと彼の率いるクレメラータ・バルティカが、2007年に発表した、
『アダージョ』
という題名のアルバム(UCCE-2061)。
ただしこれは日本盤のみのタイトルであり、原盤は『MAHLER/SHOSTAKOVICH』とシンプルに記されているようです。

しかし、曲目を見てみると、日本盤の『アダージョ』という題のほうが的を射ている気がしますね

マーラー:交響曲第10番~アダージョ(弦楽合奏版)
ショスタコーヴィチ:交響曲第14番 作品135

マーラーは言わずもがな。
ショスタコーヴィチのこの作品は、全11楽章(このいびつな楽章数が曲想にマッチしていて怖い)の内、四つもの楽章がアダージョと記されているのです。

このアルバムには、こちらの記事でちらりと触れた『アフター・モーツァルト』、あるいは『ハッピー・バースディ』といったCDに見られたような、皮肉なセンスや毒のある愉しみはありません。
ただただ、マーラーとショスタコーヴィチがそれぞれの晩年にみせた、死の臭いに満ち満ちた冥府の音が並べられているのみです
2015y05m11d_045536473.png
マーラーに、ほんの少しの安らぎや、諦観の微光を見いだせる程度。
ショスタコーヴィチに入ると、もう真っ黒な、死の絶望と悪魔の嘲笑だけが美しく聴こえてきます

このようなアルバムですから、タイトルを『アダージョ』とすることで、ふた昔前ごろから流行り出した、
~安らぎのアダージョ~
~愛のアダージョ100選~
~おやすみ前のアダージョ~
といった安易なオムニバスCDを出しがちな業界に対する、一種の警鐘としての効果も出てくると思うのです
そしてそれが、この上なくクレーメルらしくていいなと。

まず、マラ10のアダージョの、弦楽合奏版。
編曲は、H.シュタードルマイヤーとクレメラータ・バルティカが担当しています。

冒頭、たった一本のヴィオラが不気味な序奏主題を奏でるところは、なかなか的を射ているかなと。
この楽器の枯れたような渋い音が、調性を失くして無間を彷徨うような旋律に合っていると思うので。

ただ、嬰へ長調の第1主題……
これもヴァイオリン一本で演奏してしまうのは、どうかなと。
この大きな飛躍を含む、諦観の安らぎに満ちたメロディは、母性的な弦楽合奏をもってして初めて、美しく響くと思うわけです。

それ以降は、これが編曲ものであることを忘れて聴くことのできる部分が続きます。
クレメラータ・バルティカが、曲に強く共感しているためでしょう。
また、管楽器が含まれないことで、かえって曲の青白い美質が増幅されているようにも感じました。

クライマックスにおける、次の時代を予告するような不協和音も、弦楽合奏だとどこか神秘的に鳴り響きます。

が! この演奏、
ハープが入っていないのがとにかく痛い!
2015y05m11d_045147586.png
曲の所々に、透明な響きを添えているハープ。
ことに、この楽章の終結直前、弦の和音が下から上へと織り重なっていく、あの最高に美しい聴きどころが、ハープ抜きだととにかく虚しくて……

マーラーの音楽において、ハープがどれだけ大切な役割を演じているか、思い知らされる演奏でした。もう、
「ハーピストを調達できないならシンセサイザーでもなんでもいいからハープっぽい音を入れてYO
と駄々をこねたくなるほど。

さて、次のショスタコーヴィチはもう、文句なしの名演です。

死者の歌とも呼ばれるこの交響曲は、ソプラノ、バリトンと、弦楽合奏、および打楽器のための作品。
というわけで、通常この曲の演奏では、「オーケストラから管楽器を抜いたメンバー」で演奏されることがほとんどです。

しかしクレメラータ・バルティカは、
「弦楽器主体で打楽器奏者も含む」
という編成の楽団。
つまり彼らの場合、何も足さず、何も引かず、自然なスタイルで演奏できるというわけです。

そのせいか、
「大きな管弦楽団や交響楽団から、弦楽器と打楽器の団員だけが参加しての演奏」
とは一味違ったものになっています。


弦楽合奏が前へ前へと主張してくるというか、とにかくフレキシブルで小回りが利くんです、この演奏。
それは、「特別編成」ではないがゆえの、自然さなのでしょう。

また、打楽器が主役のように目立っているのも良い。
大オケの打楽器奏者の場合、バイプレーヤーとして成長してしまうせいか、このような打楽器大活躍の曲では、どうしても主張が弱くなってしまうわけです。
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しかしこの演奏では、ときに歌を押しのける勢いで、シロフォンが、トムトムが、強烈な自己主張をしているのが好ましいですね。

(私はバルトークの弦チェレやレスピーギの鳥なども、同じ理由から、大オケの団員によるものより、室内管弦楽団の演奏を好みます)

欲を言うならば、できれば、ショスタコの後にマーラーを収録してほしかったなと。
インバルが、ワーグナーの『前奏曲と愛の死』を、チャイコフスキーの『悲愴』の第5楽章のように扱ったアルバムを作っておりまして。
そうすればこのアルバムでも、ショスタコでの真っ黒な絶望が、マーラーの厭世的な彼岸の安らぎによって、いくらかの慰めを得てアルバムを閉められるような気がするのですが……。


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05/10のツイートまとめ

BlackCavalry0

RTしたはずみでブログの下書き全部消しちゃったけどどうでもいいやwツイッターやってて良かった(*´ω`*)満ち足りた気分のまま落ちようと思います。おやすみなさい(-ω-*)
05-10 00:27

@krista_yome 今、リアルにガッツポーズしましたp(^ω^)qもしかしたら誰かがそう言ってくれるんじゃないかなぁと期待してたので。
05-10 00:14

RT @krista_yome: @BlackCavalry0 鏡さんでしょうか、個人的には。
05-10 00:12

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