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現代の美学・分析美学を勉強しています。

素朴さとその整理―分析美学を特に

Twitterでdisられたので覚書を書くことにした。
僕がTwitterに(勿論面白半分で)こう書いた。


 

これはレトリックでもなんでもなく、僕はあんまり芸術作品の良し悪しがわからない。
どれぐらいわからないかというと、
ベラスケス、マーラーなど(完全に好み)
それ以外
駄作
これくらいの分類しかできないほど本当にわかっていない。
というよりも、これは美学の「び」すら知らなかった中学生くらいの頃からのことなのだけど、「いや良い作品てなんやねんてか作品てなんやねん」という曖昧な疑問があり、今も素朴にはそう思っている。
そもそも、僕が分析美学を、もとい美学、もとい藝術に関する学問を志したのも、「いやまず感性とかセンスとかって何やねん大体完成して展示されとる或る作品Xだって別にそれがその作品の価値として極大値を持ってるかどうかわからんやん」という素朴な価値論*1に興味があったからである。芸術学科に入ったのは若桑みどり先生の『イメージの歴史』読んだからだけど。

 

イメージの歴史 (ちくま学芸文庫)

イメージの歴史 (ちくま学芸文庫)

 

 


 

まぁそれはどうでもよくて、そのあとに分析美学に関するdisが見受けられました。
何故分析美学をdisられたのかは謎ですが、僕ごとdisられたので、心が痛みました。
disられるとすぐ落ち込んで寝込んでしまうので、その前に色々読み返してみた。

「分析美学は薄っぺらい」という意見について思ったいくつかのこと - 昆虫亀

哲学の初学者にありがちな間違い - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

ゲーム研究における美学の役割 - 9bit

僕は専門だと言えるほどに勉強していないので、「分析美学の価値」だったり「分析美学の有益さ」についてはそこまで強く言えない。
森さんのとかを読むとそれがよくわかる。
というか分析美学一般の立ち位置がなんとなくわかる。

 

僕は詳しくないので、「分析美学は楽しいかもしれないぞ〜」という記事を書くことにしました。

 
楽しいかもしれないところ1:だれでも議論ができる

分析美学に関してはだれでも議論ができます。
例えば、カントの「悟性」という言葉については、カントを知らない人でなければ議論しづらいか、前もっての説明が必要になる場合がほとんどだと思います。
カントはメジャーな哲学者なので良いですけど、例えばそれがプラトンの「ギュゲスの指輪」だとどうでしょうか、ライプニッツの「不可識別者同一の原理」だとどうでしょうか。「モリニュクス問題」とかだともっと事態は深刻です。
それに対して、分析美学の議論をしようと思ったときには、簡単なものであればだれでも議論をすることができます。
例を挙げると、「意図」に関する議論をするとします。
分析美学に「意図」に関しても、細かく見れば「現実意図主義」なり「仮説的意図主義」なりの様々な立場が語彙のようになっていますが、議論するのにその語用が必ずしも必要であるわけではありません。
例えば、「意図に関する立場はなんですか?」という問いは「あなたがある作品を解釈しているときに、作者の“意図”はどれだけ重視していますか?」という問いに置き換えて議論することが出来ます。
「僕は作者の意図に忠実に読んでいる、もしくは読むべきである」と言えば、「意図主義」を支持していると言えますし、「僕は作者の意図は知らない」と言えば、「反意図主義」を支持していると言えます。
もちろんそれで削ぎ落とされる細微な議論もありますが、自分の立場を表明して議論をするには、自分の(もしくは一般的だなぁと思う)日常感覚と、議論において論理の整合性を少し確認できるだけの思考をする余裕があれば十分だと思います。
これはステッカー本*2の中にも、「是非自分の立場を決めながら読んで欲しい(大意)」と書いてある通りだと思います。

 

楽しいかもしれないところ2:トピック毎の議論ができる

これは分析系ならではのよいところだと思います。
分析美学は初出は特定しえないまでも、1950年代以降に大きく発展してきた学問です。
そこでは、日常言語で言われている概念の整理が行われてきました。
なので、「哲学者Xの思想」とかそういった考え方ではなく、「意図」なり「表現」なりのトピックに関して議論を進めてきました。
僕自身、分析美学においてあんまり興味のないトピックもあるし、積極的にやっているトピックもあります。
前述の内容とも繋がりますが、そのおかげで背景知識の豊富さがそのままある議論に関する知識の深遠さにつながるという哲学の少し悪い面が薄まってはいるように思われます。
それ以上になにより、例えばカントの自然美に関する論考を「自然美」や「環境美学」のステージに引きずり下ろして、一つの意見として扱ったりもできるなど、あらゆる論者が対等なのも良いところだと思います。
僕はこの点が非常に楽しいです。カントだから偉いとか分析だから偉くないとかそういうことは本来ないと思うので。 

楽しいかもしれないところ3:議論が捗る

前述のように考えると、だれでも議論ができ論者が対等でかつ単一のトピックを扱える、というのが分析美学の良い点です。
分析美学が行ってきたのは概念の交通整備です(と僕は思っています)。
語彙が明確になると、議論しやすいですよね。よいと思います。

 

なんとなく、分析美学が強い特徴として持っている中でも楽しさに繋がりそうなところを取り上げました。

個人的には、固有の作品に関して語らなくてもよいところとか、あとは薄っぺらいところ、つまり「深遠さ」みたいな謎概念に関わらなくてすむのもよいところだと思っています。

別に藝術に従事していたり哲学に従事していることは働きたくないけどお給料のために働いているサラリーマンと何の違いもないと思います。

*1:今となってようやく、これが美的質の問題、価値・評価の問題、美的・芸術的経験の問題などを含み絡んだものだと少しはわかるようになった。

*2:たびたび宣伝していきます。

 

分析美学入門

分析美学入門