【動画】自衛隊が口永良部島を撮影=陸上自衛隊提供
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 口永良部島の島民ら137人は、爆発的噴火から約6時間後に全員が島を離れ、避難先の屋久島に向かった。昨年8月にあった34年ぶりの噴火で、自主避難した経験が生きた。

 屋久島町の地域防災計画では、新岳噴火の際の1次避難先は島内各地にあるシェルターなど、2次避難先は町立金岳小学校などと定めていた。

 だが、8月の噴火では火砕流は発生しなかったものの、噴煙が島民の多くが集まる本村(ほんむら)地区に近い集落まで押し寄せた。そこで消防団は西に約1・5キロ離れた番屋ケ峰(標高291メートル)にあるNTTの旧中継局を避難先とし、島民が避難した。

 この経験から、町は1次避難先を、火口から約4キロ離れ、鉄筋で噴石にも耐えられる旧中継局に変更。150人が3日間暮らせる水や食料を備蓄し、夜も避難できるよう山道に誘導灯を設置した。

 昨年11月には防災訓練を実施。島民約90人が旧中継局まで避難し、船に乗り込む手順を確認した。高齢者をシェルターまで避難させる分担を集落ごとに決め、消防団が逃げ遅れの有無を確認する態勢もつくった。

 島では1933年12月~34年1月の大噴火で死者8人、負傷者26人が出る惨事が起きた。当時を記憶する高齢者もおり、島民の防災への意識は高いという。