2015-05-27 みな様と私
胃ろうをめぐるエトセトラ
「胃ろう」という選択をすると、どういう問題が起きるのか?
現状、あまり評判のよくない治療法であるし、それはなぜなのか。というのを知りたくて、この本を手にとった。タイトルの付け方もおもしろいし、多方向からの意見が読めるんじゃないかと思ったんだが。
胃ろうとシュークリーム~本当に大事なのは何ですか? (ロハスメディカル叢書)
- 作者: 熊田梨恵
- 出版社/メーカー: ロハスメディア
- 発売日: 2013/10/01
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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読みつつ頭の中に浮かんだのは、「胃ろうのように、高齢者を安易に延命させる治療の是非」という問題は、そもそも存在するのだろうか。という大前提を崩すような疑問でw
モンスター介護者とか、社会的入院とか、医療資源の無駄遣いのように言われることも、当事者にとっての必要性はあり、個々に状況も違うから、是非を評価するのは難しい。
「日本人は死生観がないから、安易に延命を選ぶ」とよく言われるが、それは実態とはかなり違う。死生観のような主観でどうこうなる話ではない。あろうがなかろうが決断をいきなり迫られる。
むしろ、胃ろうにまつわる問題とされるものは、現状のシステム内で、インセンティブの置き方を考えることで、かなりが解決できる。しかし、それは同時に別の問題を生む。トレードオフってこった。
もやもやと読んでいた時に登場した、デイサービスの所長をしている若い人の言葉が、いちばん的確で、心に響いた。
「"通りすがり"の人は、見てみぬふりできないんですよね。だけど、僕たちのようにずっと見ている人は、見て見ぬふりができるんだと思うんです。
(中略)
僕たちとしては、"通りすがり"の人が決めるのではなくて、もっとそばにいる人たちが意思決定に関われるようにしてもらいたいと思います。短期間で決めないといけないのは酷です。やらざるを得ないとわかっていても、ものすごいスピードで決断を迫られるので、割り切れない思いが残ります。
僕たちはずっと本人に接しているから、いい意味で"いい加減"に接することもできるようになるし、それは人間としての生活の中では大事なことだと思っています。だけど、"通りすがり"の人たちのように、遠くから"正しさ"を持って迫ってくる人がいるわけです。彼らからすると、その"いい加減"はいけないことです。こうやって身近にいる人たちと、"通りすがり"に"正しさ"を振りかざしてくる人の間に、隙間があることが問題かなと思います」
"通りすがり"とは誰なのかねぇ。