第3回 国籍条項 と国際的圧力(1)

安壇泰

 最高裁判所が在日朝鮮人、金敬得氏を「特例」として外国人初の司法修習生として、採用したのは1977年である。その後も外国人採用は「特例」として扱われてきた。
 内閣法制局が1953年から維持している見解「公権力の行使や、国家意思の形成に携わる公務員は日本国籍が必要であるのは当然の法理である」を最高裁が覆した?ことになる。法律上、明文化されてない見解を、最高裁は準用してきたが、11月始め新聞各紙は司法修習生の選考要項から、「国籍条項を削除」と一斉に報道した。

 金敬得氏は大学時代、朝日新聞や日本企業への就職を希望していたが果たせなかった。その過程で様々な朝鮮人差別や、国籍の壁を感じたという。
 その差別体験が司法試験に向かわせたが、日本国籍を取得しなければ、司法研修所に入れないことを知り、弁護士資格の国籍条項撤廃に立ち向かったのである。

 在日外国人弁護士の先駆者だった、金敬得弁護士は既に故人である。(2006年逝去)
 
 この程の国籍条項部分撤廃の背景には、在日朝鮮人以外の外国人留学生による司法試験の取り組みや、何人かの合格者の存在が大きいようである。2009年現在の外国人弁護士は43人である。(在日朝鮮人が40名)
 外国人の弁護士登録を規制していた稀有な国家も、司法修習生採用の決定を下した背景は見えざる国際的圧力にあったようだ。
 1990年までは、外国人修習生にだけ「憲法と法律を遵守します」という誓約書を強要していた。今回の措置は外見を取り繕ったにすぎない。家庭裁判所や地方裁判所の司法委員や調停委員の選任については、変わらず国籍条項を維持していくそうだ。留保である。なんと往生際が悪いことか。自国民なみに処遇することが、罪であるが如く振舞う最高裁判所の人権感覚に、失望を禁じえない。
 国籍撤廃の報道に接したとき名状しがたい気分になった。やはり留保部分があったからだ。表層的には一歩前進なのかも知れない。しかし猛烈に怒りがこみ上げてきた。「特例」から、人権侵害である国籍条項「廃止」?まで32年の歳月が必要だった訳だ。
 外国人の人権に関する国際条約に、日本国は批准段階で、一部の条項を留保する場合がある。留保は日本国では常態化している。この国のあらゆる国籍条項を削除するには、忍耐と時間、更に国際的圧力が不可欠である。
 市民運動レベル運動や訴訟では簡単に跳ね返されてしまう。日本国が自発的に外国人の人権状況を改善しようとか、自国人なみの処遇を採るという発想は皆無である。
 
 最高裁の判断が示された今月初めから、私は国籍条項の呪縛から脱することができずにいた。錯雑とした気持ちが少し落ち着いたのは数日前である。
 多くの日本人には理解されないかもしれないが、この国に住むことの意味を含め「国籍条項」から逃れられず、ふとしたことで考えこんだり、時間の切れ目や移動中、重要な会議中にも意識が集中せず、はっと我に返ったりする。考えているのに、何を考えているのかわからない。一歩も前に踏みだせない。思考が停止している状態だった。
 国籍条項の存在は排外主義そのものである。しかもその国籍条項が日本社会の隅々、草の根のレベルにまで、いき渡っている。自暴自棄にもなれず、日本から永久に遠ざかることもできず、今も虚無感に苛まされている。
 多分他人には、もがいている私の姿は見えないだろう。この国の国籍条項の現状を、考えれば考えるほど無気力が襲ってくる。

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 30年ほど前になるが、川崎の繁華街で居酒屋を経営していた頃、店で働いていた人(A君)が、窃盗で逮捕されたことがあった。A君の弁護士に頼まれ、証人として出廷した。
 法廷で裁判長に証言前に姓名を確認されたので、本名を名乗ったところ「日本名」を名乗るように強要された。「日本名はありません」と答えたところ、裁判長は私に対し「証言に及ばず」の判断で拒否されたことがある。不甲斐ないことであったが、あまりの咄嗟のことで反論できなかったことが今更悔しい。
 当時の私は「外国人登録証」からも、私生活においても「通名」を封印していた。日本の殖民地時代の残滓から逃れたかったからである。
 その後、私はフランチャイズ・ビジネスに関わるようになり、悩んだ末に「通名」を使用した。本名の弊害?が多く事業上の不具合があったためだ。恥ずかしいかぎりだが、今でもフランチャイズ契約者の中には、私を日本人と思っている人がいると思う。

 過日、元在日朝鮮人(梁田・仮名)の帰化した、日本人の友人と話をしていた時、彼の裁判所での差別体験を聞かされ唖然とした。彼はかって金融業を営んでいた。(現在は飲食店経営)返済を拒否する被告に債務の返済を求め、債権者、原告の立場で裁判に臨んだのである。
 何回かの審理過程で、被告側弁護人が「ところで梁田さんはOO年に、日本に帰化していますね」と脈絡のない唐突な反論をしてきたが、やはり咄嗟のことで相手側の黒い意図に、有効に反駁できなかった悔しさを語っていた。推量するに相手側は、裁判官も持っているであろう朝鮮人に対する差別と偏見に働きかけ、裁判を有利に進めようとしたのである。
 裁判所で国籍を意識させられたことは、他にもある。数年前になるが、私の旧知の弁護士が刑事事件の被告になった裁判があった。
 知人弁護士の顧問先である、中国人社長の企業に関わる事件で不当逮捕された。どの角度からみてもでっち上げ、冤罪事件であった。一審の判決は無罪。
 その後、東京高裁で審理が進められた。公判日に傍聴に出かけた私の眼前で、信じられないことが起った。
 知人の弁護士が拘置所の中で書いた「獄中ノート」が、証拠として裁判所に提出されたのである。書かれていた内容は「華僑はこわい、彼らには真実が存在しない」「中国人はこわい、金で人を売る」等と書かれている部分を、被告人の弁護士が読み上げ本人尋問をしたのである。
 何を期待し恥さらしな、排外主義につながる、差別意識を披瀝したのか、真意は上記の梁田氏の裁判でのことと類似すると思う。

 多分欧米の裁判所であれば、裁判長から厳しく叱責されたと思う。裁判も不利に作用するはずだ。ところが裁判所で被告人弁護士が、日本人の「暗黙の共通項」に訴えかけたのである。 目的(勝訴)のために手段を選ばない狡猾さ、時代錯誤の稚拙さには、今でも怒りを感じている。大弁護団を組織し被告側が望んだ裁判であったが、神妙な面持ち且つ、舌鋒鋭く弁論を展開する弁護士の振る舞いは差別者集団そのものであった。
 弁護士法には次のようにある。
 第一章 弁護士の使命及び職務 (弁護士の使命)
 第一条  弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。
 2  弁護士は、前項の使命に基き、誠実にその職務を行い、社会秩序の維持及び法律制度の 改善に努力しなければならない。

 今年7月3日、東京新聞に掲載された、こちら特報部「ここがおかしい!裁判員制度」サブタイトル「アジア系に根強い偏見」「永住者にも国籍の壁」に大貫憲介弁護士が「本質的にアジア系外国人を差別する構造は変わっていない」「司法修習生時代、法廷から戻ってきた裁判長が法廷で証言した在日コリアンの証人を指して外国人はうそつきだからねと言い放ったのを聞いておどろいた。法曹界は偏見に満ちている。一般市民が入った方が改善されるかもしれない」と語っている。
 同日の新聞には大妻女子大の鄭暎恵教授の体験も、紹介されている。傍聴に訪れた際、裁判所に掲示されている外国人被告名に傍聴人が「ああ、やっぱり」とつぶやく光景をなんども目撃したという。
 この国では広範に差別、偏見、国籍条項が存在する。あたかも文化遺産のように伝承される、日常の光景がある。多くの人がその異様な景色に気づかない。意識しない。
 気づいても差別者を咎めようともしない。しかし、そのことが助長、加担そのものなのである。

 日本国は1979年国際人権規約加盟、1982年難民条約、1996年にはあらゆる人種差別の差別を定めた「人種差別撤廃条約」を批准している。このときも留保条件を設けている。
 指紋押捺撤廃運動でも、指紋押捺は撤廃されたが外国人登録証の携帯は、排除されず留保された。しかも、この時も韓国政府の圧力が大きく影響した。
 条約批准後、関連法の整備が進んでいない国際条約が、ほとんどである。批准したにも拘わらず、実質的に留保している条項があまりに多い。
 
日本国憲法98条2項 「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」とある。
                                                   次回に続く