小ちゃなピアニスト兄妹。
我が家にはピアノを教えられる人は
誰ひとりいない
でも普段、先生が弾くのを見てるふたり。
今は教えられるより興味を持ち
自分の世界を表現してくれたら十分。
子どもたちを眺めてると
「今」どんな世界観があるのか
伝わってくるんだもん。
ユウタロウはね、
保育園の出席ノートを楽譜にして
ピアノを奏でてる(笑)
そしてハナは感じるまんま
ピアノを叩いてる(笑)
それぞれの個性が
そのまんま溢れ出しちゃってるよ。
やっちゃって~
やっちゃって~
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そこで最近、腑に落ちないこと。
「親のココロ子知らず」ってよく聴くけど
「子のココロ親知らず」な人、多い。
…と言うより親が子を
構い過ぎ、
枠に入れすぎ、
心配しすぎな親たち。
アンジェリークには
大きな大人から
小さな子供まで様々。
それ以外にも
そんな状況に触れること多々ある。
親子の声をそれぞれに聴いて
「ズレ」が多い。
「経験したい」子に
「経験させない」親。
その裏側には
「経験する必要がある」子に
「経験させられない」親がいる。
「いやいや、子どもに意見させてよ」って
突っ込みいれたい状況に
よく遭遇する。
それ親が発言すること、
決めることですか?…ってこと。
小ちゃな子どもの頃から
余計なお世話をするから
それが当たり前になってしまい
子は自分の意見が持てなくなる。
そして堂々と
意見する方法を知らずに育ってしまい
大人になっても
親が関わらないといけなくなる。
その度、
親はしっかりして欲しいと
子どもに向かって叱咤したり
まわりに愚痴ったり嘆いたりして
大人になっても
子どものことが心配で
ずっと構うことになる。
一度立ち止まって
その状況を作ったのは「誰」なのか
自分に胸当てて考えて欲しい。
関わり方はとても大事。
ココロは向けてても
手出ししない。
望んでるなら本人の口から
ちゃんと発信されるだろうし
本人が動けるように
サポートするだけで十分。
それが親の役目。
子から発信されてから動くので、十分。
それまでじっくり眺めて、待つ。
その時間が待てない人ほど
自分を信頼できてない人。
相手を信頼しようとしなくても
自分が自分のことを
かまって愛してあげる。
その姿を見せることが
子にとって良い見本であり
一人前に育ってゆく道標になるよ。
私は両親のことを
長い間ハチャメチャだと
否定し続けてきたけど
今はホントに感謝してる。
生きたいように
生きさせてくれたから。
それは私のしてることに
余計な口を挟んでも
私にもまわりにも
「手出し」しなかったこと。
私のこととして
放置してくれたことが
私が成長する上で
一番のサポートになった。
その見守りは適当なんかじゃなく、
自ら選択したり
自ら行動したり
自ら切り開いてゆくことを
手取り足取り
両親が手を加えずして教えてくれた。
母は中学のとき離婚して
私たちの元から去って行き
父とは高卒から離れても
その状況下に置いてくれたことで
今の私が生まれた。
そして「今」
どんなことも丸々引っくるめて
両親にココロから感謝してると
言える私に出逢えてること。
だから
良いことばっかり、
楽なことばっかりじゃなく、
寂しい、辛い、
悲しい、痛いなんて
諸々の“たいへん”な思いを
させてあげることは「親の愛」
だって子からすれば
その経験が生きる肥やしに
成長する糧になったりするんだから。
そもそも親が思う“たいへん”は
子からすれば“わくわく”だったりする。
親子だからってね、
自分を投影させちゃダメ。
この子なら大丈夫。
その信頼が子に伝わる。
その信頼を得るためには
自分を信頼しきること。
ホントにシンプルなことなんだよ。
子は親をそのまんま映し出す鏡。
子を信頼できたときの
自分から感じる&生まれる世界観を
感じてほしいな。
最近はユウタロウが
あーでもないこーでもないと言いながら
私たち4人のお家を作ってくれてるよ