「ナッシュ均衡」を証明した米国人の天才数学者ジョン・ナッシュ氏が23日、交通事故で死去した。俳優ラッセル・クロウは、「美しい知性がこの世を去った」と哀悼の意を表したという。ナッシュ氏が統合失調症を克服する過程は、2001年に『ビューティフル・マインド』という映画で公開された。この映画でジョン・ナッシュ役を演じたのがラッセル・クロウだ。だからこうした哀悼の言葉が出たのかもしれない。だが、実際にはナッシュ氏が確立したゲーム理論は美しさとは程遠い。
だからと言って、醜いというわけでもない。美醜や善悪といった感情の判断を排除し、相手を客観的に把握する所からゲーム理論は出発する。そうして相手の戦略を知り、自分の戦略を知ることから、どんなに難しいゲームでも戦略や解決方法が生まれるというのが理論の核心ではないだろうか。ここで言うゲームとは、スポーツ・経済・政治・外交を含むあらゆる分野の競争と調整過程を指す。
複数のゲームで「ナッシュ均衡」を探してみると、たびたび感心させられる。激怒せず、相手に客観的に相対することにより、弱者が勝者になることがあるからだ。大きな豚にエサを奪わた小さな豚が、指1本動かすことなく大きな豚よりも多くのエサを取る戦略モデルがその代表例だ。大きな豚の立場からは「豚のジレンマ」、小さなブタの立場からは「合理的な豚」モデルとも呼ばれている。
もちろん、学問のために極端なケースを想定したモデルなので、現実に適用するのは難しい。それでも私たちがこうしたゲーム理論に感心するのは、理論に込められた哲学のためではないかと思う。委縮せずに論理的に対処すれば弱者も強者に勝てること、力ばかりを信じて相手を侮れば強者も弱者に負けるかもしれないことを教えてくれるからだ。何千年もの歴史を経て会得したような警句を、いくつかの数字で証明する過程を追いながら、ナッシュ氏のような天才の頭脳を間接的に経験することも、ゲーム理論の面白さだろう。ナッシュ氏をはじめとするゲーム理論研究者たちが多数ノーベル賞を受賞していることも、冷たい理論の底に深く温かい教訓があるからかもしれない。そうした意味では「美しい知性」というラッセル・クロウの表現は妥当なようだ。
ゲーム理論は「すべてのことには相手がいる」という事実を直視することから始まる。「ナッシュ均衡」を見いだす時に相手の戦略をまず見るのもこのためだ。相手を思いやれということではない。相手の戦略を知ってから戦略を立てなければ自分が危うくなる、つまり「彼を知り己を知れば百戦あやうからず」だ。これを「戦略的思考」という。このような考え方でゲームをしていると、「弱者の勝利法」のように「長くするほど利益が大きい」(フォーク定理)、「関係を断てば利益も途絶える」(しっぺ返し戦略)、「強い武器は隠すほど良い」(混合戦略)など、当為的な教訓こそ現実において実用的な原理であることが分かる。戦略的思考でなく感情的行動をもって対応すれば必ず負けるということもこの理論を通じて悟ることができる。