いくよさん、最後の舞台で見せた気遣い
中西正男 | 芸能ジャーナリスト
2014年12月3日。京都・よしもと祇園花月。
胃がんで療養中だった今いくよさんが3ヵ月ぶりに仕事復帰するということで、取材に駆けつけた。
ステージに立つ姿は以前とほぼ変わりなく、痩せた印象もない。
「私ら高校のソフトボール部時代からの付き合いですねん。私がピッチャーでエース、くるよちゃんがキャッチャーでロース」
「ちょっと、どやさ!!」
「せやけど、くるよちゃん、どないしたん?そんなところから足出して」
「これは腕やっちゅうねん!!どやさ!!」
お得意のネタを畳み掛け、爆笑のうちに復帰舞台は終了。さらに、この日はいくよさんの誕生日でもあった。
吉本興業担当者から「復帰祝いプラス、誕生日のお祝いもということで、ケーキを用意しようと思ったんですけど、よく考えたら、誕生日ケーキを用意するということは、そこにロウソクを立てないといけない。となると、これまで“神秘のベール”に包まれてきた『いくよ・くるよ』さんの年齢に踏み込むことになる(笑)。なので、直前で取りやめたんです」と冗談交じりの裏話が出た。
そんな話を聞いたからか、この時は、見事に病を克服して戻ってこられたんだということを強く感じていた。
舞台復帰以降もテレビ収録などの仕事も行い、先月も読売テレビの番組に出演。今月に入っても、5日から11日までホームグラウンドとしている大阪・なんばグランド花月の興行に出演し、舞台を務めていた。
結果的には、11日の舞台が最後の仕事となってしまったが、その際に楽屋で出会った芸人さんに様子を尋ねると、「いつもどおりの印象で、ニコニコとあいさつをしてくださいました。なので、悪いどころか、むしろ『もう完全に治ったんだな』と思っていた。今から思うと、しんどくないわけはなかったと思うんですが、それを周りに感じさせないように完璧に振る舞ってらっしゃったんでしょうね」と驚きを隠せない感じだった。
また、いくよさんと言えば、芸人仲間が口をそろえるのが、すさまじいまでの面倒見のよさ。毎年3月3日には「ハイヒール」以下、超若手にいたるまで女性芸人数十人を集めての食事会「ひな祭りの会」を「いくよ・くるよ」のオゴリで開催。
楽屋で若手芸人を見つけては「食べよし!!飲みよし!!」とご飯に連れて行くなど、恩義を感じている芸人さんの数は計り知れない。
さらに、楽屋などで後輩芸人や吉本興業の社員と顔を合わせると、決まって「いや~、男前やね。まるで福山雅治やないの!!」「あら、向井理やないの!!」などと声をかけるのが定番となっていて、僭越(せんえつ)ながら、筆者も「あら、ブラッド・ピットやんかいさ~」と身に余りすぎるお言葉をたびたび頂戴した。
ある日の楽屋では、たまたま多くの吉本男性社員や芸人さんがいたため「あら、木村拓哉やないの!!」「竹野内豊やないの!!」「佐藤浩市やないの!!」と立て続けに誉めていく展開となり、最後の方には、さすがに“カード”が切れてしまい「いや、男前やん!!…ジャニーズやんかいさ!!」と個人名ではなく、まさかのジャンルで誉めるということもあった。それくらい、くまなく、とことん、周りに優しさを振りまく人だった。
2009年9月22日には、漫才中にくるよさんが心筋梗塞で倒れ、そのまま救急車で搬送、休養に入るという出来事があった。
当時の取材ノートを振り返ってみると、くるよさんが「フラッときて、私が後ろ向きに倒れていった時に、いくよちゃんが私を受け止めてくれた。あのままやったら、頭を強打してたでしょうし、何より、倒れたのが舞台上ではなく、トイレとか1人の場やったら、そのまま命を落としていたかもしれない。いくよちゃんは、正真正銘、命の恩人です」と感慨深げに話しているメモが残っている。
くるよさんが倒れた時には、公私にわたり、いくよさんがサポート。1人での仕事をこなして「いくよ・くるよ」の看板を守り、心臓に負担をかけないよう、どうしても食べすぎてしまうくるよさんをセーブさせるなどして、倒れてから2ヵ月半後には復帰にこぎつけた。そんな経緯があるため、くるよさんは「今回は私の番…」といくよさんの全面サポートを誓っていた。
高校時代から数十年に渡り共に歩いてきた2人の絆を考えると、くるよさんの心中を察するだけで、言葉を失ってしまう。
ただ、「人をゴキゲンにする」。仮に、それを芸人さんの仕事とするならば、いくよさんはとことん芸人であることをまっとうされた。舞台はもちろん、楽屋でも、私生活でも。
恐らく、人の何倍も、何倍も、優しさを振りまいて旅立たれたいくよさん。その“貯金”で、楽しく暮らされていることを切に願う。