人気DJのエクスクルーシヴMIXを毎月配信! 『EYESCREAM.JP Mix Archives』#47 DJ TASAKA
Interview & Text : Yu Onoda | Photo & Edit : Yugo ShiokawaEYESCREAM.JPレコメンドDJへのインタビューとエクスクルーシヴ・ミックスを紹介する「EYESCREAM.JP Mix Archives」。今回登場するのは、新たに立ち上げた自身のレーベル、UpRight Rec.より、6年ぶりの新作アルバム『UpRight』を間もなくリリースするDJ TASAKA。
ヒップホップをルーツに、テクノの世界に身を投じた彼は、2000年に電気グルーヴのサポート・メンバーとしてレコーディングやライヴに参加。ソロでのDJや作品制作のほか、ヒップホップ・グループ、アルファとの共同プロジェクトや盟友KAGAMIとのユニット、DISCO TWINSなど、国内外で精力的に活躍。新作『UpRight』は、そんな彼の過去6年の日常が投影された作品であり、長きにわたるキャリアにおける大きな転機となるアルバムだ。その心境、環境の変化について掘り下げたインタビューと彼のルーツから現在、未来をつないだDJミックスを通じて、大きく開かれつつある彼の音楽世界の一端を体感していただきたい。
企画モノっぽくオファーしてコラボして色んなものを混ぜました、っていうことではなく、地べたから混ざったままのものを持ち上げるっていうことをやりたいんですよ。
— TASAKAさんのキャリアは20年近くになりますよね?
DJ TASAKA(以下TASAKA):どこを起点に何周年と数えるか。リリースに関係なく、DJのキャリアだけで考えると、20年くらいは経ってますね。
— その間の活動の変遷がありつつ、ここ最近は思わぬところでお名前をお見かけすることが多くなった気がするんですよね。
TASAKA:例えば?
— 青山のOathのような小箱のパーティとか。
TASAKA:Oathは最高ですよね。ずっとやりたかったんですけど、去年の夏、初めてやって、こないだもDJ Yogurtと一緒にやったんですけど、ああいう場所はありがたいですよ。だって、3.11の震災があった翌週末、クラブはどこもやってなかったんですけど、Oathだけはやってて。で、行ってみたら、友達もいて。まぁ、そういう東京ローカルの何かを支えている場所ではありますよね。
— TASAKAさんから見て、大箱とは違う小箱でのプレイはどういうところに魅力がありますか?
TASAKA:ずっとDJやってきたんですけど、ロケーション込みでプレイを楽しみたいっていう気持ちは常にあって。僕はプレイしたことはないけど、Traks BoysがやってるDK SOUNDとか、このインタビューのお話をいただいた笹塚ボウルのパーティ「#Hug_Life」もそうですけど、ロケーションとパーティの企画込みでワクワクしながらDJしに行くのが、自分としても楽しいし、みんなも楽しみにしてるんじゃないのかなって。
— TASAKAさんのそういう動きは、今のリスナーや遊ぶ人の目線に立って動いてるように思うんですね。
TASAKA:長くDJをやってきたこともあって、そうしないと、自分が楽しめなくなっちゃったというのがデカいかな。今回、6年ぶりに出すアルバム『UpRight』も完全自主制作なんですよ。今後どうするっていうプランもなく、そのアルバムを出すためにUpRight Rec.っていうレーベルを立ち上げて、自分でオーダーを取ったり、手売りもしてみようと。値段もSonyでやってた時は3,000円だったんですけど、ぐっと下げるんですよね。そうでもしないと、今は本来だったら手に取るべき人が手に取れないこともあるというか、そういう状況がここ10年くらい続いていた気がして。それはリリースする側に驕りがあるというか、自分に置き換えてみると、そういう状況にふんぞり返っている場合じゃなかったんだなっていう焦りもあったりして。そういうこともあって、今回、こういう形で出すことにしたんです。
— そうやって今までとは違う動きのなかで、今回、インタビューをオファーさせていただいたきっかけのパーティ「#Hug_Life」で、TASAKAさんは1-Drinkこと石黒景太さんと組んだヒップホップ・セットでDJされていましたよね。
TASAKA:あれはLark Chilloutのアイディアだったんですけど、一緒にやることになったら、石黒さんは「え、テンポはどれくらいなの? TASAKAくんの好きな昔のヒップホップはBPM早いからなー」ってずっと言ってて。(笑)。ちょっと前によくかけてたSouls Of Mischiefネタのテクノ(Matthias Meyer「Infinity」)とか、ああいうヒップホップを感じさせるトラックはいまだに引っかかったりするんですよね。
— 今回のアルバム『UpRight』でもテクノとヒップホップがクロスオーバーしていますけど、TASAKAさんのキャリアは一貫して、テクノとヒップホップが共存していますよね。
TASAKA:そうですね。しかも、テクノやハウスはやっぱり一番おもしろくて、ずっと新譜を追いかけているんですけど、自分のヒップホップ感はある時期から完全に止まっているので、更新されているテクノ感と古き良きヒップホップ感が変な混ざり方をしているっていう(笑)。
— もともと、TASAKAさんのDJキャリアはヒップホップから始まっているんですよね?
TASAKA:そうですね。1988年に出た『ultimate DJ Handbook』、それから当時ラジオっ子だった僕はいとうせいこうさんと高木完さん、藤原ヒロシさんがFM TOKYOでやってた番組「東京ラジカルミステリーナイト」に自分のルーツがあって。当時の新譜でいうと、パブリック・エネミーのセカンド『It Takes A Nation Of Millions To Hold Us Back』とトッド・テリーのファースト『To The Batmobile Let’s GO』、スタジオ・ワンのダブなんかが一緒にかかる1時間番組だったんですよ。自分の好きな音楽はその頃からあまり発展してないかもしれない(笑)。その頃は第何次かのDJブームで、雑誌の宝島でDJ特集が組まれたりしていたこともあって、渋谷にあったDJ機材ショップ、PACOでターンテーブルを1台だけ買って、その翌年にもう1台買ったんですよ。それでミックステープを作るようになったのが、中2、3くらいかな。
— うんうん、なるほど。
TASAKA:でね、今回のアルバムでおもしろいのは、2曲目の「BLEND iz beautiful」でMC JOEさんに参加していただいて、「このタイミングで一緒にやるとは…」とお互い思っているんですけど、1990年に『スチャダラ大作戦』のリリース・パーティが芝浦のクラブ、GOLDの7階フロア、URASHIMAってところでやったんですけど、そのパーティはECDさんがやってた「CHECK YOUR MIKE」の主催イベントだったんですよ。だから、早い時間は「CHECK YOUR MIKE」に応募した若手….といっても、自分より全然年上なんですけど(笑)、その二番手で出てきたGAS BOYSがダイブしたり、TAXI HIFIのサウンドシステムにビールかけちゃったりして、「お前ら、いい加減にしろ!」っていう混沌とした状況があって(笑)。その後に登場したのが、MC JOEさんだったんですよ。
— おお!
TASAKA:で、そのライヴを童貞の中坊だった僕が、「活きのいい若手がいるなー」って感じで観てたっていう。その時からJOEさんは声の質も、フローも変わってないんですよね。で、同じ年にクラブチッタ川崎のイベントにもJOEさんは出てたので、「あ、あの時のラップの人だ!」って思って近寄って行ったら、中坊の自分に「これあげるよ」って言って、「PREMIERE JUNGLE」って書かれた10分のデモテープをくれたんですよ。それね、たぶん実家にまだあると思うんですけど(笑)。
それから25年経って、今回、コラボレーションすることになるきっかけは、新大久保のヘイト・デモのカウンターに参加した時、MC JOEさんらしき人がいて、近くにいたDJ KENTに「あれって、MC JOEさん?」って訊いたら、「そうだよ、さんピンCAMPに出てた」って返ってきて。「俺、その頃、すでにテクノDJだったから、さんピン行ってないんだけどなー」って思いつつ(笑)、面識がないJOEさんに25年ぶりに(笑)話しかけたら、「TASAKAくんって、ミロス・ガレージに来てたんでしょ?」「そうですよ。10分テープまだ持ってますよ!」っていうやり取りがあったんですけど、自分のなかで今っぽく更新したヒップハウスをやりたいと常々思っていたこともあって、「バッチリなのはJOEさんしかいない!」ってことで、今回、一緒にやることになったんですよ。
— 25年越しのコラボレーションが実現したということなんですね。いま、お話にもありましたが、TASAKAさんはさんピンCAMPがあった1996年にはすでにテクノにハマっていたんですね?
TASAKA:そうなんですよ。その当時、ヒップホップのビートは自分にとってはチルアウトでしたね。思い返すと、自分にとってのテクノの入口はヒップホップと同じく、さっきの「東京ラジカルミステリーナイト」なんですよね。パブリック・エネミーの後にフューチャーの「Acid Tracks」がかかったり、ファースト・エディがかかったりしてたことが大きいですね。1988年当時はイギリスを経由して、ヒップホップとアシッドハウスが並列になっていたので、自分にとっては、ボム・ザ・ベースのティム・シムノンがヒーローだったし、1988年に出た彼のファースト『Into The Dragon』は、今聴いても、ヒップホップとアシッドハウスの混ざり具合がちょうどよく感じるんですよ。
— コールドカットの「Doctorin’ The House」やM/A/A/R/Sの「Pump Up The Volume」しかり、当時のその辺の音楽はアシッドハウスとして紹介されていましたけど、じつはサンプリングが多用されていて、ヒップホップ的だったりしますもんね。
TASAKA:まさにそうですよね。日本最初のヒップホップ・レーベルと言われるMAJOR FORCEの初期作品もそうだったじゃないですか。だから、さんピンの頃、テクノのDJをやっていて、「他の人がかけてないネタがないかな?」ってことで、MAJOR FORCEの初期作品をかけてみたり、そういう発見も後にあったりして。
— 今は変わりつつありますけど、ホモフォビアもあって、かつて、ヒップホップとダンスミュージックは距離が遠かったですよね。
TASAKA:このあいだ、まさしく近いことを思ったんですけど、僕もMC JOEさんも2人ともゲイではないんだけど、東京レインボープライドのゲイ・パレードで、僕とJOEさんがフロートに乗ってDJとMCで参加した状況は、客観的に見ると、ちょっと前だったら全く想像が付かないことだろうなー、と。
— つまり、タイトルそのままに「Blend iz beautiful」ってことですよね。
TASAKA:音楽的にもテクノにヒップホップを混ぜたり、テクノをかけるようになってからも、高木完さんが渋谷CAVEの土曜日にやってたパーティ「MESSAGE」やNinja Tune Nightに呼んでもらって、ヒップホップをかけたりしてたこともあるし。DJ KENTともその頃に出会ってるんですよ。当時、彼はまだ四街道ネイチャーをやってて、相方のKZAさんはCISCOの店員さんとして認識があったし、当時のCISCOはテクノ店とか、ジャンルによって店が分かれる前は狭い一店舗に全部があったじゃないですか。
— アシッドハウスのコーナーの後にアシッドジャズのコーナーがあったりとか。
TASAKA:そうそう。だから、恐らく自分はそういう感覚を引きずっているんですよね。でも、DJ KENTと一緒にDJをやるようになったのは、あまり好きな言い方じゃないけど、3.11以降ですよ。反原発デモでよく会うようになったし、石黒さんもそうですよね。石黒さんもJOEさんと同じく、自分が中学生の頃にはすでにラッパーとしてステージに立ってた人なんですけど、自分にとってはここ4年くらいのキーパーソンのひとり。石黒さんも、以前から知り合いではあったけど、色々話すようになったのは震災以降で。「面倒くさいけど頭数になりに行ってみっか」ってデモに行くと毎回会う、というような(笑)。デモの後の堅苦しくないアフターとして、KENTと石黒さんの3人で一緒にパーティを企画したり、今もそれが発展して続いている感じもありますね。
— 震災以降、意見の相違その他の要因から社会の断絶も顕在化しましたけど、それが全てではなく、繋がるところは繋がっていってると思うんですよね。TASAKAさんが今回出す『UpRight』の内容は、そういうポジティヴな化学反応が少なからず影響しているように感じました。
TASAKA:それはすごく大きいですね。アートワークをお願いした竹川宣彰さん、AKIRA THE HUSTLERさん、千原航さんの3人のアーティストとの出会いもそうだし。路上での出会いというか。その感じは今でも自分のなかでは残ってるし、続いているんですよね。僕が前作のアルバムを出したのは2009年なんですけど、次はKAGAMIとDISCO TWINS名義のセカンドアルバムを作ろうと思っていたら、死んじゃって。調子が狂ったところに震災が起こって……その時期のことを今振り返ると、自分のなかで大きな転換があったんですよね。そして、今回のアルバムを作るにあたっては風通しをよくしたかったから、ゲストは招きたかったし、自然と周りにいるおもしろい人たちをフィーチャーすることになったという。
— 「乾杯ハウス」で一躍知られることになったKinueちゃんが「Edge Of Panic」と「Counter Side」の2曲でフィーチャーされていたり、「Mitakueoyashin」にフィーチャーしているSoRAさんも3.11以降に出会った方々なんですよね?
TASAKA:そうです。Kinueちゃんは、TWIT NO NUKESのデモの時に石黒さんに紹介してもらったんですよ。彼女は、こっちから送ったトラックに自分で録った歌を乗せて送り返してくれたんですけど、恐らく、彼女はグルーヴから歌が作れる人なんですよ。踊りながら歌ってる感じが目に浮かぶような、新世代のシンガーですよね。彼女とは今後も一緒に何かを作りたいと思ってますね。
それから、SoRAさんもKinueちゃん同じくデモで知りあったのかな。ソロで出してる『Wonder Aloud』っていうアルバムが好きで、凄いヴォーカリストだと思いつつ、音楽のスタイルとしては全然接点は無かったんです。でも、ある時ライブを観て、ギター1本と歌なんだけどグルーヴィーな曲を1曲やってて、「硬くてファンキーなトラックの上にこの声乗ったら良いな」ってピンと来て。独特なスタイルのヴォーカリストだと思います。
— TASAKAさんは、DJを続けてきた20年のなかで、アンダーグラウンドなヒップホップやダンス・ミュージックに日が当たっていく状況に立ち会ってきたと思うんですけど、かつては海外の流行りに左右されていた状況がここ最近はよりドメスティックなものとして熟成されてきていますよね。
TASAKA:そうですね。そして、自分がトラックを作る時は何かしらのフックがあったり、トピックがあったりするんですけど、前のアルバムまではダンス・フロアからのフィードバックがヒントになることが多かったんですね。でも、今回はダンス・フロアよりもっと広く、東京の街だったり、ソーシャルなもの。しかも、夜中じゃなく、昼間のシーンが多かったするんですよ。曲の尺もダンスフロア向けの7〜8分の長さだったものを、5分ちょっとで終わらせるように考えたり、今まで作ってはいても作品に入れることがなかったダウンビートものを2曲入れましたからね。
— そういう意味で、今回のアルバムはTASAKAさんの日常に根ざした作品ですよね。
TASAKA:ありがとうございます。そう言ってもらえているということは、日常をおもしろがれているんでしょうね。ご多分にもれず余裕は無いですけど、おもしろい人はいっぱいいるし。そういう出会いを通じて、今まで開けたことなかった引き出しを開けてみて、そこに何が入っているのかを楽しみたいですね。だから、次の作品も密室に籠もって、一人で作りましたっていう作品にはならないだろうし、このアルバムはそうやって今後もっと開いていくための作品になりましたね。
— ダンス・ミュージックは発展していくなかで、ジャンルもフロアも細分化して、そのひとつひとつはディープになっていると思うんですけど、個人的な意見として、整理されすぎてる気がするんですよね。
TASAKA:そう、混ざってないとつまらないですよ。しかも、企画モノっぽくオファーしてコラボして色んなものを混ぜました、っていうことではなく、地べたから混ざったままのものを持ち上げるっていうことをやりたいんですよ。そして、いつかは全編ヒップハウスのアルバムも作ってみたいですね(笑)。
— 最後に作っていただいたミックスについて一言お願いします。
TASAKA:普段のクラブでのセットではなく、BACK to my ROOTSなヒップホップ~エレクトロビーツ~ハウスのオールドスクールセットに、新譜は自分のアルバムからのダウンビート3曲だけを組み込みました。どこから来たヤツがどこに向かってるのかを少しでも解って頂ければと思いつつ。楽しんでもらえれば嬉しいです。