今日の内容は、自分に課していた掟を破ります。かなりしんみりした内容です。あらかじめお断りしておきます。

今日、池袋西武12FのWAVEに行ってDVDをいろいろと見て回る。すると「天才たけしの元気が出るテレビ!!」のDVDが置いてあるのを見つけた。そこには店員さんが書いたPOPがあり「東大に入ろうね広瀬君」と書いてあった。不意に彼、広瀬伸哉のことを思い出してしまった。

彼と出会ったのは河合塾駒場校のL1クラス(東大文系志望)の中であった。彼を含め20人以上とはいつの間にか仲良くなり、宴会やったり、河合塾池袋校に襲撃に行ったりするなど、実にバカバカしいことを真剣にやっていた。
そんな彼が正月頃「元気が出るテレビ」に出ないか、などと言い出した。「勉強して東大に入ろうね会」って企画を見つけて、みんなで出ようと言ったのだった。私は出なかったが、私の周りは結構出演した。
今だから書ける話だが、彼は私を自分のライバル役として出演させようと画策をしていたらしい。結局は仲間内の別のヤツがライバル役になったのだが、今となると若干の後悔はある。

東大は彼も私も落ちた。私は結局私立に合格していたのでそっちに進学したが、彼は事実上東大一本だったので2浪することになった。そして再び彼は勉強に遊びに一生懸命になって1年を過ごした。今から思うと彼がなんでそんなに一生懸命だったのか分かるような気がするが、そういう風に思いたくもない。

彼の3度目のチャレンジも失敗した。しかし彼はこの年はさすがに私立を受けており、私の後輩となって進学した。
その後も彼とはずっと友人関係が続いた。彼にアルバイトを紹介したり、大学の単位取得出来るようテスト時に私の後ろに座らせてカンニングさせたりしたのも懐かしい思い出だ。
就職してもこの関係はずっと続いた。彼のGFが上京してきた時は、私の車で羽田まで迎えにいったりとか、一緒に車で旅行に行ったりとか、ホントに楽しい時間だった。

そんな彼が1999年3月に事故死した。電話で一報が入ったとき、全ての力が抜けた。彼に会わなくてはならない、そう思って、彼の実家に向かい、お通夜と告別式に出席した。しかし・・・彼を見ても信じたくはなかった。斎場で遺骨を拾ってもなお信じたくなかった。
今でも信じたくないのかもしれない。彼のお墓には一度も伺ってない。彼のお墓を見たら、その現実を見せつけられる、そう思っているからだ。

彼はあまりにも生き急ぎすぎた。なんでそんなに、というくらい一生懸命だった。
そんな彼のパワーあふれる姿をDVDで見た。涙がこぼれてきた。悲しすぎた。もう二度とヤツに会えない、そういう思いになったからだ。

彼はDVDの中でこう言っていた。
「これから先、50年、60年生き続けるんだから、1年くらい遠回りしたって・・・」
あまりにもせつない・・・。