よもやま
続・雀荘業界の未来
なぜか、「雀荘業界の未来」の記事がよく読まれているので、味をしめたわけではないがもう少し掘り下げて考えてみようと思う。
繰り返すと筆者の結論は
「レートの放棄」
である。
賭け麻雀自体を否定はしているわけではない。賭けたい人が賭けるのは自由である。
いけないのは業界自体が「賭け麻雀」を暗黙の了解としている点である。
口先では「麻雀のイメージを良くしたい」と言っておきながら、やっていることは違法行為である。
これではイメージが良くなるわけはないではないか。
「賭け麻雀」を排除することによって、一部の客は離れるかもしれない。
しかし、さらに多くの市場を開拓しようとするならばこの点は避けては通れない。これが筆者の主張である。
なぜ「レートの放棄」が必要なのか。理由はおもに2つ。
ひとつは「市場の変化」である。
現在、雀荘の数は減る一方である。お店も減っているし、お客さんも減っている。
「娯楽の多様化」であったり「可処分所得の低下」であったり、理由はさまざまあろうが「お金を賭けて麻雀を打つ人が減っている」のは事実である。
一方で、カルチャースクールや麻雀教室は盛況である。
「麻雀を覚えたい人、打ちたい人は増えている」のである。
一方は斜陽、一方は伸張、需給関係から言ってどちらに将来性があるかは明白だと思うのだが、どうだろうか。
もうひとつの理由は「市場の拡張性」である。
「麻雀は賭博ではない」ことが定着することのメリットは多大である。
敷居が低くなることで、参入するプレイヤーが増えるのはもちろんのこと、賞金額の大きい大会も開くことが可能になるやもしれない。小中高校の部活動に取り入れられもするだろう。裾野が広がることによって、魅力的なスター選手が発掘されるかもしれない。
多分に筆者の妄想が含まれてはいるが、私はこれらがすべて夢物語だとは思わない。
むしろこれらが実現しないのならば、もはや麻雀に未来はないと考えている。
そしてそれを阻んでいるのが「賭博麻雀」なのだ。
レートの存在がいかに麻雀に不利益をもたらしているか、お分かりいただけるだろうか。
一方、レートを放棄することのデメリットについても考えてみよう。
これは一にも二にも「利益率の低下」につきるだろう。
フリー店の場合、最低メンバーと呼ばれる従業員を3人常勤させねばならない。いうまでもなく、お客が一人で来店した場合にゲームを始められないからだ。なので、お客さんが来ようが来るまいが3人分の人件費はつねに出ていくことになる。逆に言えば、満員御礼となっても人件費がそれ以上にかかるということはないわけだ。詳細な試算はしないが、儲かる店は非常に儲かるわけである。
ノーレート店の場合はどうか。料金形態は個々店によって違いはあろうが、売り上げおよび利益率は、レート有りの店とは比べ物にならないだろう。要するに儲けが減る。賭け麻雀だから払ってもらえていたゲーム代が、ノーレートだと成立しなくなるということだ。
つまり、ノーレートにすることで利益が減るのならば、既存店にとってはやる価値がない施策であるということだ。
一見もっともに聞こえるが、はたしてそうか?
レート有りの業界自体が縮小傾向なのである。どこかで舵を切るタイミングが来るのではないか。
数年前の話になるが、ノーレートのお店が開店してから収益化するまでに2年かかると聞いたことがある。その間の運転資金を確保しなければ、ノーレート店は開けないということになる。
それほど大変にもかかわらず、現在ノーレート店は増えつつある。
やはり先見性のあるオーナーはいるということか。考えてみれば収益化まで2年といっても、まともなビジネスならざらにある話である。先に述べたように、ノーレート市場はこれから大きくなる。既存のレート有りのお店は、失礼ながら濡れ手に粟の商売からは離れられまい。
とすれば、麻雀の新しい可能性を拓くのは既存の雀荘組合などではなく、まったく新しいところから現れるのかもしれない。
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