原爆資料館:被爆の実態、初代館長の1万点寄託

毎日新聞 2015年05月28日 22時44分(最終更新 05月29日 00時27分)

原爆資料館初代館長の長岡省吾さんが収集した被爆瓦や地図を見つめる次男錬二さん(左から2人目)と孫の田川主彦さん(左端)。左から3人目は現館長の志賀賢治さん=広島市中区で2015年5月28日午後3時31分、山田尚弘撮影
原爆資料館初代館長の長岡省吾さんが収集した被爆瓦や地図を見つめる次男錬二さん(左から2人目)と孫の田川主彦さん(左端)。左から3人目は現館長の志賀賢治さん=広島市中区で2015年5月28日午後3時31分、山田尚弘撮影

 広島市の原爆資料館で初代館長を務めた故長岡省吾さん(1973年に71歳で死去)が集めた1万1893点もの資料が同館に寄託され、その一部が28日、報道陣に公開された。被爆瓦のほか当時の写真や映像、爆心地点特定のために作成した図や文書など。同館は「開館60年となる資料館の歴史や、調査の様子から被爆の実相がよく分かる」とし、今後調査を進めて展示したいとしている。

原爆資料館初代館長を務めた長岡省吾さん=原爆資料館提供
原爆資料館初代館長を務めた長岡省吾さん=原爆資料館提供

 寄託された資料は、一昨年に遺族が広島県大竹市の自宅で遺品整理中に見つけた。地質研究者だった長岡さんは1944年から広島文理科大(現広島大)で調査研究と教壇に立ち、米軍が原爆を投下した45年8月6日は山口県に出張中。翌7日に広島市に入り被爆した。高熱や下痢を発症しながらも、原爆の惨禍が残る石や瓦などを集めて回った。

 公開された資料には、資料館開設の礎となった被爆瓦のほか、同館の前身の原爆記念館を訪れたエレノア・ルーズベルト元米大統領夫人を案内した時の写真や、資料館で58年に開かれた「広島復興大博覧会」や原子力の平和利用をアピールする展示の様子などを収めた映像も含まれていた。このほか、爆心地点特定のため、市内の寺院で独自に墓石にできた影を調べたノートや図面、原爆被害の実態を調べるため収集した各地の原爆死没者の名簿などもあった。

 寄託した長岡さんの次男錬二さん(73)=広島市東区=は「父の努力を無駄にしたくないと寄託した。父の歩みを多くの人に知ってほしい」と話した。【加藤小夜】

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