米国どこへ:「原爆投下を正当化」 国立公園設立に被爆地の懸念
2015年05月29日
1945年8月の広島、長崎への原爆投下につながる極秘計画「マンハッタン計画」。米南部ニューメキシコ州の砂漠地帯の山に造られたロスアラモス国立研究所がその中核施設だ。戦後70年の節目の今年、同研究所周辺などマンハッタン計画に関係が深い施設・区域が国立歴史公園になる。被爆地の広島や長崎には「原爆投下を正当化するものになるのではないか」との懸念がある。
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計画を指揮した米陸軍のレスリー・グローブス将軍と「原爆の父」と呼ばれるロバート・オッペンハイマー博士の像が、同研究所の外にある小さな街のほぼ中央に建つ。近くの銘文には「研究所の男女が世界初の原爆を設計し、改良し、建造し、試験し、送り出した」と記されている。街の中心部は、自由に立ち入りできない規制区域になっている研究所施設とともに国立歴史公園になる見通しだ。
国立歴史公園化は、国防予算の大枠を決める国防権限法に条項として盛り込まれ、昨年12月に同法が成立した。対象は、同研究所とウラン濃縮施設があった南部テネシー州オークリッジ、プルトニウムを製造した西部ワシントン州ハンフォードの3カ所。法成立後1年以内に、内務省とエネルギー省が運営などについて合意し、国立歴史公園を設立する。目的は、関連施設を保護し、同計画に対する「一般の理解を深める」ことだ。
では、どんな理解を深めようとしているのか。オッペンハイマー氏に次ぐ2代目研究所長の名前を冠した「ブラッドベリー科学博物館」が近くにある。年間約8万人が訪れるという。
歴史コーナーでは、短編映画「存在しなかった街」が上映されていた。原爆の開発・製造を極秘に進めた街の様子を伝えたもので、終盤には原爆投下のシーンもあった。飛び立つ爆撃機▽爆撃機からの原爆投下▽キノコ雲があがる様子−−がナレーションなく細切れにつながる。しかし、一気に「日本降伏」を知らせるビラを持った男女が抱き合って戦勝を喜び、降伏文書に署名する重光葵外相の映像へと続く。「原爆投下で具体的に何が起こったのか」の部分は省略されていた。
近くのロスアラモス歴史博物館で、ロスアラモス歴史協会のエグゼクティブディレクター、ヘザー・マクレナハン氏(48)と待ち合わせをした。国立公園化の動きを地元で支えてきた人たちだ。
「公園が伝えるメッセージ」について、マクレナハン氏は「米国人の観点で言えば、原爆は最悪の戦争であった第二次世界大戦を終わらせ、多くの人たちの命を救ったということ」と語った。ただ「日本人が、公園が原爆を祝うものになるのでは、と懸念していることは知っている。それは違うと強く示唆したい」とも話した。
マクレナハン氏は、カリフォルニア州の日系人収容所はマンザナー収容所跡地として歴史公園となっていると説明。さらに、コロラド州では先住民の無差別虐殺の跡地が歴史公園に指定されているとし、「虐殺をたたえるものではなく、歴史上で何が起きたのかを人々に考えてもらうための公園だ」と語った。同計画の公園も「核兵器のある世界に生きる意味を考え、決して二度と使わないようどう協力していけるかを考える公園になってほしい」と語った。
実際、歴史博物館を見て回ると、原爆開発の歴史に加え、広島の爆心地近くで表面が溶けた懐中時計や焼け野原になった市街地の写真なども一部展示されていた。一方で、キノコ雲の形のケーキに入刀している写真や「原爆・水爆グッズ」なども展示されており、その落差にがくぜんとさせられた。
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翌朝、約300キロ南の米軍ホワイトサンズ・ミサイル実験場まで車を走らせた。兵庫県とほぼ同じ広さの実験場の敷地内に、70年前に人類史上初めて原爆実験が行われた実験場跡地「トリニティ・サイト」がある。ロスアラモスと広島、長崎をつなぐ場所だ。
年2回の一般公開日にあたる4月4日は過去最多の5534人の参加者が訪れた。爆心地「グラウンド・ゼロ」には、「1945年7月16日に世界で最初の核兵器が爆発したところ」との記念碑が建ち、近くには長崎に投下された原爆「ファットマン」の模型。参加者が記念碑や模型の前でポーズをとり、記念写真を撮る「観光地」だ。
入り口近くで参加者に「質問を受け付けますよ」と声をかけていたジム・エクルズさん(65)。元実験場の職員で、70年代から一般公開に関わってきたという。飛び交う質問に次々と答えていくエクルズさんに、思い切って「個人的な意見として、戦争を終わらせるために原爆投下は必要だったと思いますか」と聞いてみた。
エクルズさんは「みなが言ってきた『戦争を終わらせたんだ』ということ以外、確かな答えはできない」としたうえで、次のように語った。「ソ連が直前に参戦を宣言し、侵攻の準備をしていた。次の年まで戦争が続いていたら、日本はソ連の侵攻を受け、ドイツのように分割されていただろう。ああいう形で戦争が終わったのは、日本にとっておそらく良かったんだ」
米調査機関ピュー・リサーチ・センターは4月7日、戦後70年に関する世論調査結果を発表した。1945年の日本への原爆投下について、回答した米国人の56%が「正当だった」と答え、「正当でなかった」の34%を大きく上回った。一方、日本人は「正当だった」14%、「正当ではなかった」79%だった。
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マンハッタン計画関連施設の国立公園化を巡り、懸念を募らせる広島、長崎両市長と被爆者らは5月1日、国立公園化を推進してきたNPO「アトミック・ヘリテージ・ファンデーション」のシンシア・ケリー理事長らとニューヨークで意見交換した。
両市長側は、市民の上に落とされた原爆が、どのような犠牲を生み、被害者が長年にわたってどのように身体的・精神的に苦しんだかを伝えてほしいと要請した。これに対し、ケリー氏は「原爆は良い意味でも、悪い意味でも米国や世界の歴史を変えた。包み隠さずすべてを伝えたい」と応えた。
ただ、ケリー氏は、米国内でもさまざまな考え方があるとし、公園化にあたっては地元の意見が反映されやすいとの認識も示した。そのうえでケリー氏は、三つの関連施設とは別に被爆の実相を伝える巡回展示のアイデアを出した。しかし、これは関連施設そのものでは展示をしないことにもつながりかねない。長崎市の田上富久市長はその場で核兵器の非人道性を広く伝えるように要請し、このアイデアを実質的に押し返した。
年内の公園設立に向け、展示など具体像が決まっていくのはこれからだ。まだ広島や長崎の人たちの懸念は払拭(ふっしょく)されていない。ケリー氏、マクレナハン氏の言葉を信じつつ、見守りたい。