もう30歳を過ぎているが
ナウシカと紅の豚は小学校の頃に見てアニメの市民権云々には全くピンと来ない
小学校生活の中でたった二度だけ入った視聴覚室には今思えば利権の匂いしかしない
使っている形跡のないパソコンが何台も置かれ
大きなスクリーンとプロジェクターもあったが他にいつ使っていたのか謎だ
カオルくんカオルくんとうるさい女子なども居たが特にオタクっぽくはなかった
犯人の顔写真を掲載した雑誌の切り抜きを学校に持ってきた生徒が怒られていた
カオルくんファンのうるさい女子だった
ただエヴァのミサトと加持のラブホの回でうちのカーチャンが切れていた
我々の様な痛い中学生にあれが受けないはずがなかった
サイコは少しメディア等に触れられたような気がしないでもないが
だからといってこの様な界隈としての全体が
どうこう言われることはなかったと思う
思い返せば今で言うライトノベルをこの頃見かけた気がする
調べるとおそらくブギーポップは笑わないだと思う
そのコピーコレクターの一人に毒カレーの被告に少し似ていた女子が居て
アダ名をマスミと付けてしまったがために即刻問題となり謝罪した
つげ義春のねじ式や藤子・F・不二雄先生の短篇などを渋く熱く語っていた
彼から聞いたあらすじの語り口は非常に怖かった
よく一緒に古本屋巡りなどしていた
スターウォーズEP1は4・5・6を見ておらずよく分からなかった
ドラえもん映画はもう見に行かなかったがコロコロの原作はこっそり読んでいた
正直言えば見に行きたかった
俺はトータルで言うとゲームに最も熱を上げていた
家庭用ゲームではなくPCゲームをMMX166Mhzという非力なCPUで
アーケードゲームにもハマった
今思えばどこにそんな経済力があったのか謎だが
湯水の如く100円を投入しまくった
音ゲーやプリクラが盛んな中で格ゲー台の近くは雰囲気が違い別の意味で活気があった
あるとき乱入してみたが扇子を持ったハゲに鬼のようなコンボで蹴り殺された
皆たばこを吹かしながら戦ったり観戦したりしていた
俺は近所の駄菓子屋に置かれていた別の筐体へ散財先を切り替えた
世代的に兄等から影響されてブルーハーツに熱を上げていた世代スライド型のグループが居た
また他の友人達はX Japanに熱を上げていたが演奏はまず不可能だった
黒夢のライブに1度だけ行ったがステージが遠くてよく分からなかった
山嵐やDragon Ashなどミクスチャーやヒップホップも流行りだしていた
痛い我々は粋がって素手で決闘などやっていた
全くダメージの残らない単なるヘッピリ腰の掴み合いで
ピーター・アーツの真似をしてクリンチしながら膝蹴りを繰り出していた
居たのかもしれないが見かけることはなかった
駅の前ではストリートミュージシャンで
PCが使えたため友人の依頼でスタジオ録音済みのCD-Rのダビングと
しかしゆずスタイルの集まりも割とあっという間に廃れて消えていった
黒夢は解散しSadsになってドラマ池袋ウエストゲートパークが始まっていた
俺の住んでいた地方都市には実際にチーマー集団が現れることはなかった
この頃もゲームはやっていたが何時頃からかアニメは見ることがなくなり
漫画はそこそこ読んでいた
そういう奴が周りには多かった気がする
娯楽に特化した物の中では
高校以降もゲームと漫画だけは続けていたが段々ゲームは億劫になっていった
それとこの頃の激しい事件のニュースは特にアメリカ発が多かった印象がある
他にはちょくちょくマリリン・マンソンあたりが槍玉に上がっていたような気がする
映画マトリックスでマンソンの存在を知ったにわかファンの俺には
アルバムMechanical Animals収録曲以外の楽曲はサッパリ分からなかった
そして黒夢の時よりも遥かにステージが遠すぎてよく分からなかった
これ以降の娯楽趣味はジャズなどへ向かい個人的で局所的になっていった
現状でゲームはスマホでもやることはないが嫌いになったわけではなく
ヘッドマウントを体験してみてまたゲームやってみようかなと思い始めている
漫画はたまに読んでいるが選ぶ作品の内容は変わって既読の解釈も少し変わった
今ふと確認すると中学の頃買ったマイト・アンド・マジック6日本語版には
若干のプレミアが付いていた
http://anond.hatelabo.jp/20150529112608 なつかしすぎるぜ。同年代。。 バルブの頃って、250万乙女のバイブルりぼんが最盛期だったり、マンガがいまよりふんだんにあったイメージもあるんだけ...
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