僕が、ある腎臓の病気の薬の副作用で醜い顔が更にひどかった時のことである。高校では人に合うたびに肌が汚すぎとか顔が腫れてるとかこちらが分かっていることを再確認させられる。自分の顔を見せるだけで人によっては嫌な顔をされる。
父はあまりにも僕のことがあまりにも不憫に見えたのかこう言った。
父はきっと酷い容姿で悲しんでいる僕を安心させたかったのだろう。希望を持たせたかったのだろう。
しかし、その言葉は自分が性的に欲情されないことを意味していた。女は金に欲情するのだろう。
とても悲しくなった。
だが、容姿が醜いが金は今のところ比較的あることは幸いなことである。
僕がロクでもない大学生になって関西に来て感じることとして、電車に乗ると、身なりが貧しく、容姿が醜い親子をよく見る。新快速や京橋で見た。兄妹がたくさんいるのも見た。揃って悪い顔だった。
もしかしたら、階級による、ある程度の容姿の格差ができているのかもしれない。
あの貧しく、容姿の醜い親子たちはどこへ向かって生きているのか もし天国があるなら容姿がよく、不自由しないようになれるのか。
不動産屋で渡された、性犯罪に注意という紙は僕にとって無関係なのだろう。レアケースがたまにあるというが、レアケースに該当してほしいくらいだ。
千葉でも東京でも京都でも、ダウン症の人間がいる。世の中の流れを見ると、やはり生まれてきてほしくない存在なのだろう。
彼らの行動を見ていると、性欲はあるように見える。僕みたいな、もしくは僕よりも崩れた容姿で、同じくバスに乗ったり日常生活をしているからだ。
少しだけ調べてみると、やはり有るようだ。
彼らは不幸である。
性的な魅力が僕と同じように皆無なため、誰も欲情してくれないのだ。
おそらく殆どの人間がダウン症の人間とセックスしたいと思っていないだろう。思っていたらデリヘルのホームページに掲載されるはずだ。
彼らも僕と同じような、もしくはそれ以下のゴミのような肉体という牢獄で性欲というものを苦しみ、誰からも欲情されない悲しみを味わっているのかもしれない。
ドブスな女もそうかもしれない。欲情されない苦しみで今泣いているかもしれない。
僕だって欲情されないくせして、容姿のいい女にしか欲情しない。
ガンでなくなったアイドルとかがいるとハフィントン・ポストに載っていたが羨ましいと感じてしまった。
写真を見る限り容姿がいい。あれなら色々な人が欲情してくれるだろう。それでいて、死ねた。
容姿のいい女が羨ましい。鏡を見て自分が好きそうになれるし、性的に欲情される。そして綺麗だからだ。
おはよう立命館大学映像学部一年生! 今日も心も身体もブサイクだな!