対局が始まってしまった後では、プログラム開発者は、一切改変ができない。これがコンピュータ将棋の重要なルールである。
一方で、これまでは、対局が始まる前であれば、直前まで修正が許されてきた。レギュレーションのほとんど存在しない世界コンピュータ将棋選手権では、対局が始まるギリギリまで修正を続ける開発者の姿が見られる。
第3回電王戦では、原則として、電王トーナメント終了後、規定の短い期間を経た後では、その修正ができなくなる。開発者側にとっては、はっきりと不利な条件だ。
「(前略)貸し出されたソフトと当日に出てくるソフトが違っては貸し出しの意味がないのではないかという意見が出ていた」(川上量生『第3回将棋電王戦公式ガイドブック』) というのが主催者側による、改良の制限の趣旨である。
このルールについて、将棋連盟会長の谷川浩司はこう言っている。
「これは100パーセント、ドワンゴさんの希望です。将棋連盟としては、プログラマーがパソコンをプロ棋士に提供した後も改良できるようにと相当抵抗したんですけどね」
「そういうやり方は潔くないんじゃないかと。勝負である以上、ソフトを提供してもらうのは当然のこととして、棋士が研究を何ヶ月もできるのと同様に、コンピュータの開発者もデータを加えたりできるようにして欲しいと言ったのですが、押し切られました。これは誤解されている人も多いので、きちんと書いておいてください」 (『第3回将棋電王戦公式ガイドブック』)
「ソフトを提供してもらうのは当然」かどうかは意見が分かれるところであろうが、改良の禁止に関しては、棋士側の最高責任者である谷川も「潔くない」として、反対の意見を述べている。
要するにこのルールは、棋士側も開発者側も望んでいない、と言えるわけだ。
現実として、2015年、AWAKE開発者の巨瀬にとっては、このルールが大きく不利にはたらくことになった。
レギュレーションへの対応
はじめてレギュレーションが導入された2013年の電王戦では、棋士側が大きく勝ち越すのではないか、という予想をする人が多かった。
しかし実際には、コンピュータ側が4勝1敗で勝ち越した。そのため、レギュレーションの是非はさほどの議論にならなかった。むしろ、棋士側は、なぜこの有利な状況をいかせなかったのか、という点に批判が集まることとなった。
佐藤紳哉六段はやねうら王に敗れた際、佐藤が事前に何局ほど指したかと記者に問われ、「40局」と答えた。そこで、結果が出なかった以上は、準備不足ではないかという非難を浴びることとなった。
一方で、YSSに勝利を収めた豊島将之七段は、事前に徹底的に研究をおこなって、1000局近くも指している。そして見事に勝利を収めたことによって、これが望むべき姿として、称賛されている。
ともかくも、このレギュレーションでは必然的に、棋士側に膨大な時間を費やしての準備が要求されることになる。
また一方で、開発者の側は、事前貸出による研究で必勝法を見つけられないよう、工夫を要求されることになる。
要するに、両者の側に、レギュレーション導入以前では経験することのなかった負担がかかるのだ。
「FINAL」と銘打たれて開催されることになった4度目の電王戦では、前回のレギュレーションが再び継続されることになった。
その前提で、将棋連盟側は勝つための方策を考えた。
豊島と同様に、勝率が高く、コンピュータ将棋との戦いに向いていそうな若手棋士をメンバーとして、豊島の方法論を追求することにした。
また、チェスのトッププレイヤーが大きな対局に臨む際にはチームを組むように、コンピュータ将棋に詳しい西尾明六段を起用するなどして、戦略を練った。
将棋界に先行するチェスの例を見てみよう。
コンピュータチェスの歴史は古く、また、人間との勝負の期間も長かった。コンピュータは早い段階で人間側の競技会にも参加し、優勝をしたり、かなりのエキスパートに勝つという段階を踏んでいた。
その上で、1996年・97年のガルリ・カスパロフとディープ・ブルーとの頂上決戦を迎える。
ディープ・ブルーはコンピュータ草創期から21世紀に至るまで、世界一のIT企業だったIBMが開発した、チェス専用のスーパーコンピュータのことである。
ディープ・ブルーはチェスを指すことだけ、もっと言えば、チェス史上最強のチャンピオンと称されたカスパロフに勝つことだけを目的として開発された。ディープ・ブルーは1秒間に2億手を読むという当時としては桁外れの計算能力を誇っていた。さらには科学者やチェスのグランドマスターらがプロジェクトチームを組み、IBMが総力をあげる形で、人類の知性の象徴であるカスパロフに挑んでいった。
カスパロフとディープ・ブルーは六番勝負で戦った。この世紀の大勝負は、普段はチェスに興味のない人も含めて、大きな注目を浴びた。人類の知性が、巨大なコンピュータの挑戦を受ける、という図式もわかりやすかった。
96年はカスパロフが、3勝1敗2分という成績で制した。
しかし97年は2勝1敗3分という成績で、ついにディープ・ブルーが制することとなった。
一般的にはこの勝負の結果をもって、チェスの分野においては、コンピュータが人間を超えた、という区切りがつけられている。
カスパロフは97年の戦いに敗れた後、IBM(ディープ・ブルー)側に再戦を持ちかけた。当然の要求であろう。しかしIBM側は応じなかった。この戦いを通じて科学の発展に寄与するというカスパロフが理想とした目的から離れ、IBM側が勝敗にこだわる姿勢を見せたことに、カスパロフは失望の意を表している。
ただし、その後も人間側のトッププレイヤーとコンピュータとの戦いはしばらく続けられた。
当然というべきか、コンピュータ側はさらに、着実に進歩を続けた。やがて人間側との実力差は、はっきりしていく。その段階に至って、コンピュータ側にハンディが導入されることになった。
現在では、コンピュータ側が駒を落とし、ハードを制限して、人間側が互角に戦えるところでの対局となっている。
アンチコンピュータ戦略の歴史
コンピュータ将棋特有の弱点を突く指し方を、アンチコンピュータ戦略と呼ぶ。
1985年にファミコン用のカセットとして発売された「内藤九段将棋秘伝」では、人間側が先手番で指しはじめて、15手で勝てるという手順があった。いわば、「裏技」である。この裏技を覚えておけば、たとえ将棋のルールを知らなくとも、手順をなぞっていくだけで勝つことができる。
コンピュータ将棋の分野ではパイオニアの一人である小谷善行(現・東京農工大名誉教授、コンピュータ将棋協会副会長)は1992年、以下の一文を残している。
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