AWAKEの悲劇】2・主催者によるレギュレーション

2勝2敗で迎えた電王戦FINAL第5局。頂上決戦として大いなる注目を集めた、阿久津主税八段と「AWAKE」との対局は、21手という異例のスピード決着となりました。なぜAWAKEはその実力を発揮できなかったのか。なぜ開発者の巨瀬亮一は投了を決断したのか。『ドキュメント コンピュータ将棋』著者・松本博文氏が、電王戦の結果を振り返りながら、人間とコンピュータとの戦いのあり方を問いなおします。完全書き下ろし。

 第2回電王戦(2013年3~4月)ではコンピュータ側が3勝1敗1分で、棋士側に勝ち越した。

 その次の第3回電王戦(2014年3~4月)では、コンピュータ側にレギュレーション(制限、規則)が課されることになった。

 第3回電王戦の対局ルールには、以下のような明文上の規定がある。

<コンピュータの設置条件 将棋コンピュータソフトは原則として「電王トーナメント」に出場した際のソフトウェアを使用するものとする(その後、主催者が定めた一定期間のみ改良を認める)。 ハードは「電王トーナメント」に出場した際と同じで、ハードは統一するものとする。>

 要旨をまとめると、次の通りである。
(1)電王戦での対戦に先立って、開発者側は早い段階でのソフトの提出を義務とする(=本番用のソフトの棋士への貸出を可能とする)
(2)ソフト提出後の改良を認めない
(3)ハードは統一して主催者側が指定する1台のマシンを使う

 このレギュレーションの設定により、事実上、人間とコンピュータの「真剣勝負」は、以前とは違う段階に進んだとも言える。レギュレーションの制定、電王戦主催者のドワンゴと、棋士側の将棋連盟との協議による。

 以下、ドワンゴ側、棋士側、コンピュータ将棋側、の三者の主張を見ていこう。

 人間とコンピュータの将棋の真剣勝負は近年に始まったことでもあり、ルールの整備が追いついていない。そこで伝統的な人対人のルールを準用してきたが、それでは不十分だ、という見方もある。

 ドワンゴ会長の川上量生は、そもそも人間とコンピュータの勝負を「公平」ではないものとして見る。そこで積極的にレギュレーションの導入をはかった。
 『第3回将棋電王戦公式ガイドブック』(発行:日本将棋連盟)から、川上の言葉を引用する。

 「今、コンピュータと人間が戦っている条件の中に、今、人間の棋士同士が戦うためのルールが含まれていることを考えると、それで人間が負けたといっても本当に負けなのかという疑問になる。レギュレーションを変えることで、もっと人間の優れた部分を引き出せるルール設計ができるんじゃないかと思うんです」
 「人間とコンピュータってそもそもフェアな戦いはありえない訳で、条件によって結果はいろいろ違ってくるでしょうし、人間が得意な部分とコンピュータが得意な部分って明確に分かれていますよね」

 一方で、コンピュータ将棋側からは、レギュレーション導入については、評価する声はほとんど聞かれなかった。コンピュータ側に一方的に制限が課され、棋士側に有利になるように寄り過ぎたルールだという意見がほとんどだった。

 電王戦の対局ルールの詳細が発表される直前に発行された『情報処理』2013年9月号誌上において、松原仁(コンピュータ将棋協会理事、はこだて未来大教授)はこう言明している。

<コンピュータ側に何らかの制約を課す(たとえばコンピュータの能力を制限するなど)ことによって良い勝負を演出するとすれば、それはもはやハンディ戦とみなすべきである>

 レギュレーションの制定は、事実上の人間側の敗北宣言と受け止める人もいた。レギュレーションはまぎれもない「ハンディ」であり、制定の趣旨は違うところにあると主張されても、棋士側に有利にはたらくことは明らかだ、と。

 コンピュータ将棋関係者は、アカデミズムの立場に身を置く人が多い。そうした人たちからしてみれば、ハンディをつけての対戦になってしまっては、コンピュータが人間を超える日(Xデーとも言われる)が学術的に不明確になってしまう、という声も聞かれた。

 このように、電王戦のレギュレーションに関しては、賛否両論が起こった。
 以下、個別のルールに関して見ていこう。

ハードの統一

 ハードの統一に関しては、現場の開発者の側からも、歓迎する声があった。ドワンゴ側が用意するマシンはハイスペックであって、電王トーナメントの参加者の大半にとっては、満足しうる性能だった。

 電王戦出場ソフトを決める電王トーナメントが、純粋にプログラムの優劣を決める大会、という趣旨に賛同する開発者も多い。また制限がかかって、選択の自由がなくなれば、経済的に負担のかかるハードの調達や、面倒なクラスタ化の苦労を考えなくてもいい、とも言える。

 また川上は、 「ハード自体を制限したいのではなく、再現性の問題だと思っているんですよ」(『第3回電王戦ガイドブック』)とも語っている。チェスではディープブルーとの再戦がかなわなくなってしまったが、将来そうしたことがないように、採用されたハードを残しておけば再戦は可能になる、と。

 一方で、大規模クラスタを組んで勝負に臨んでいたチームにとっては、制限は制限である。700台近いPCでクラスタを組み、第2回電王戦で三浦八段に勝って鮮烈な印象を残したGPS将棋は、電王戦出場者を決めるコンピュータ将棋の大会である電王トーナメントには参加せず、第2回以後の電王戦には出場していない。

 クラスタ化の技術向上に貢献した伊藤英紀は、クラスタ化は機械学習を超えるブレイクスルーだと思っている。端的に言えば「お金を棋力に変える技術」であり、マシンの台数を増やしていけばいくだけ、深く読むことができ、棋力が向上する。そうしていけば名人を超える技量を持つことも可能だ、というのが伊藤の発言の趣旨であったが、少なくとも電王戦の舞台では、その追求はできなくなってしまった。

事前貸出

 将棋の対局に限ったことではないが、大きな試合の前に対戦相手がわかっていれば、相手の特徴を研究するなどして、事前に対策を練ることができる。たとえばスポーツであれば、相手チームのビデオを見たり、事前の調査によって得られたいろいろなデータを解析してみたりするだろう。

 将棋では「棋譜」という、過去の対局の記録が残されている。特定の相手を想定しての事前研究といえば、棋譜を検討することが一般的である。対戦相手の作戦の傾向、長所や短所などは、ある程度の分量の棋譜を並べれば、ある程度のことは把握できる。

 棋譜とは長い間、紙に記されたものであった。そして近年では、電子的にデータベース化されている。将棋界におけるIT化の恩恵はまず何よりも、この棋譜のデータベース化にあると言ってもよい。
 棋士であれば関係者専用のデータベースを使い、過去のものから現在に至るまで、多くの棋譜を検索することができる。近年の将棋界の盤上の技術的進歩はすさまじく、序中盤の研究が飛躍的に進んでいるが、それはこのデータベースの普及によるところが大きい。

 良質な棋譜に多く触れられるかどうかという点では、プロとアマチュアでは、長い間、大きな情報格差があった。アマチュアが新聞や雑誌で目にすることができるプロ公式戦の棋譜はごく一部で、現在でもそのすべてを見ることができるわけではない。

 しかし近年ではネットを通じての対局中継が一般的となり、主要な対局の多くを、ほぼリアルタイムでが目の当たりにすることも可能になった。ネット上の対戦サイトの充実ともあいまって、将棋を覚えたての少年少女から、トップアマに至るまで、実力を向上させるための道筋は、かつてとは比較にならないほどの整備されている。

 では、棋士がコンピュータ将棋を相手にする際には、どのような対策を立てればよいだろうか。

 上記の通りの伝統的な方法に従って、棋譜を解析するという手段もあるだろう。棋士が指した棋譜が一部公表されているように、コンピュータ将棋の棋譜もまた、多くは入手可能である。 公式戦である世界コンピュータ将棋選手権でも、棋譜は当然公開されている。また、コンピュータ将棋が日々自動的に対戦しつづけているfloodgateをのぞいてみれば、そこでは数えきれないほどの棋譜が日々生み出されている。

 しかし対コンピュータということに限っていえば、棋譜を研究するよりももっと、効率のよい方法がある。それは他でもない、そのコンピュータソフトと実際に指してみることである。もし可能であれば、本番の対局用か、あるいはそれに近いバージョンのソフトと指すことができれば、人間側にとっては、大きなアドバンテージとなる。

 人間と対戦する際には、対戦相手自身に、練習台になってくれとは言えない。
 しかしコンピュータソフトは、複製して分身させられる。ハードを揃えれば、そっくりそのままの環境を再現できる。その点は大きく違う。

 対人間であれば、相手はどう指してくるだろうかと、事前にあれこれ思いめぐらせるよりない。しかし自分の手の内にある、従順なコンピュータ将棋ソフトに対しては、実際に指し手を尋ねてみればよい。すぐに答えを返してくれるわけで、よほど効率的だ。抽象的な特徴だけではなく、個別具体的に、どう指すかまでもわかってくる。

 将棋のソフトは市販されていたり、ネット上でフリーで公開されているものもある。一方で、一般には入手できないものもある。

 2007年の渡辺明竜王-Bonanza戦では、渡辺竜王は事前にフリーで公開されていたBonanzaをダウンロードして、自宅のPCにインストールしている。
 実はこのとき、セッティングをしたのは、筆者だった。それから5年後、保木邦仁らと渡辺邸を訪れる機会があった。渡辺のパソコンに残った古いユーザーインターフェースのBonanzaが残っているのを見て、保木は感慨にふけっていた。

 米長邦雄永世棋聖がボンクラーズと対戦した第1回電王戦では、事前の打ち合わせの段階から、米長側が自宅でボンクラーズと練習で指せる環境を希望していた。このあたりの経緯は、開発者の伊藤英紀が後にブログ上に発表した回想に詳しい。伊藤側はこの申し出を断らなかった。ボンクラーズは公開ではなく、市販のソフトでもないので、伊藤が米長宅にまで行って、セッティングしている。

 5対5の団体戦となった第2回電王戦の際には、事前貸出の有無は、規定によって決められていなかった。そこで、開発者によって対応が分かれた。

 大将のGPS将棋は公開されているソフトで、フリーでダウンロードできる。これは問題ない。

 習甦開発者の竹内章は貸出に応じた。対戦者の阿部光瑠四段(当時)は事前に習甦と対戦し、最初は分がわるかったが、後に習甦が無理攻めをしてくる弱点を見つけた。本番では類型からその弱点を引き出すことに成功し、勝利を収めている。

 ponanza開発者の山本一成は、事前貸出を拒否した。記者会見の際に、記者からの質問を受ける形で、山本はこう答えている。

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