AWAKEの悲劇】1・AWAKEの悲劇はなぜ起こったのか?

2勝2敗で迎えた電王戦FINAL第5局。頂上決戦として大いなる注目を集めた、阿久津主税八段と「AWAKE」との対局は、21手という異例のスピード決着となりました。なぜAWAKEはその実力を発揮できなかったのか。なぜ開発者の巨瀬亮一は投了を決断したのか。『ドキュメント コンピュータ将棋』著者・松本博文氏が、電王戦の結果を振り返りながら、人間とコンピュータとの戦いのあり方を問いなおします。完全書き下ろし。

 「ここで投了します」

 ぼそりと、つぶやくような声だった。巨瀬亮一は表情を変えることなく、前を見つめたまま、静かにそう告げていた。

 2015年4月11日、10時49分。電王戦FINAL、最終第5局。コンピュータソフトのAWAKEと、棋士の阿久津主税八段による、団体戦大将同士の頂上決戦が始まって、まだ1時間も経たないときのことだった。ニコニコ生放送の中継に耳をそばだて、AWAKE開発者の巨瀬の言葉をリアルタイムで聞いていた人は、はたしてどれぐらいいただろうか。

 「まで21手をもちまして、阿久津八段の勝ちとなりました」

 ほどなく、記録係の女流棋士が、静かな声で事務的に続ける。

 「えっ? ちょっと何が起こったのか・・・」

 異変に気づいた解説聞き手の女流棋士が、困惑の声をあげる。対局室の外では、関係者ですら、にわかには状況を把握できず、どよめきが起こっていた。

 中継の画面には、苦い表情を浮かべる阿久津の様子が映る。重苦しい沈黙。やがて、AWAKEの指し手を代わりに指すロボット、「電王手さん」が腕を折り曲げた。これは一礼のしぐさを表現している。阿久津も礼を返して、対局のすべてが終わった。

 AWAKEが、負けた。どうもそれが、現実のようだ。でもいったい、何が起こってしまったのか?

 一般的に、将棋の平均手数は100手を超える。また、持ち時間が双方5時間の電王戦の対局は、通常であれば夜にまで及ぶ。それが、手数はわずかに21手。対局時間は49分で昼前に終了してしまった。コンピュータにつきものの、システム的なトラブルではない。正常な手続きを経て、異例の早さで終わってしまったのだ。

 AWAKEは決して弱いソフトではない。いや、それどころか、並み居る強豪ソフトを降してコンピュータ将棋界の頂点に立った、最強のソフトである。

 AWAKEは、なぜ、まったく実力を発揮できないまま、敗れ去ったのか。
 AWAKEを開発した巨瀬亮一は、なぜ、このような役割を担わされることになったのか。

 一言でまとめようとするのは、容易ではない。

 まずはこの対局に至るまでの経緯をたどり、状況を整理していく。そしてその後で、後日巨瀬自身に改めて語ってもらった、投了の真意を明らかにしていきたい。

コンピュータ将棋の黎明期

 将棋を指すコンピュータの開発が始まったのは、1974年。今から40年以上も前のことである。このときから現在に至るまでを、長いと見るか、短いと見るかは、人それぞれだろう。将棋界ではその覇権が、大山康晴(15世名人)から、中原誠(16世名人)に移った頃のことだ。

 コンピュータに、優れて知的で奥深いゲームである将棋を指させることは、大変に難しかった。黎明期からしばらくの間、コンピュータが人間の上級者に勝つほどの実力を持つなどは望むべくもなく、ルール通りに指すことができれば上出来だった。そうした事情をよく知る開発者や将棋関係者にとっては、コンピュータがプロ棋士や、その頂点に立つ名人に勝つことなどは、夢のまた夢のように思われていた。

 日本将棋連盟の機関誌である『将棋世界』の1976年12月号には、以下のような小さな記事が掲載されている。

<「コンピューター棋士と米長邦雄八段の対局」
 九月三十日から十月三日まで東京池袋の東武百貨店で情報化週間が催され、その席上でNECのコンピューター棋士と米長邦雄八段の対局が行われた。もちろん、まだまだ人間さまのほうが強く、四十手内外で勝負はチョン。>

 1976年といえば、その年の名人戦で米長八段が中原名人に挑み、3勝4敗のフルセットで惜敗した年である。既にトップ棋士の一人であった米長が、気軽に対局を引き受けているところに、当時の事情が表されている。ごく初心者のアマチュアに、大サービスで、平手(ハンディなし)で指導対局しているようなものだ。

 歴史に「もし」はないが、もしこのとき、将棋連盟側が、コンピュータの実力が相応に向上した際には、その挑戦をいつでも受けて立ち、最終的には名人を立てると言明していれば、コンピュータ将棋の歴史は変わっていたであろうか。

 将棋を指すコンピュータを初めて目の当たりにしたときのことを、米長が後に振り返ることはほとんどなかった。
 それからちょうど20年後。棋士がコンピュータに敗れる日が来る可能性を改めて問われた際に、「永遠になし」と、答えている。現在の視点で見れば、さすがの米長も、大方の想像を超えた未来を見通すことはできなかった、ということになってしまう。しかし、コンピュータ将棋の黎明期の弱さを知っていれば、そうした発言も当然のことだったであろう。

 2012年。現役を引退していた米長は永世棋聖、日本将棋連盟会長という立場で、コンピュータ将棋との真剣勝負に臨むことになる。

棋士を圧倒するコンピュータ

 コンピュータ将棋の実力は、開発者たちの努力によって、次第に向上していく。
 21世紀に入り、気がついてみれば、コンピュータは人間側のエキスパートの代表である棋士に、優るとも劣らぬ力を持つまでに至った。そして現在では、棋士を圧倒するほどに強くなっている。

 コンピュータと棋士が対戦する将棋電王戦は、2012年に始まった。2014年、第3回までの対戦成績は、コンピュータ側から見て8勝2敗1分。コンピュータ側が大きく勝ち越している。

 2012年、第1回電王戦に出場し、コンピュータ将棋ソフト「ボンクラーズ」(開発者:伊藤英紀)に敗れた米長邦雄永世棋聖は、著書でこう述べている。

<現役プロ棋士は160人いますが、コンピュータソフトのレベルは、その平均値よりも上である、ということを(コンピュータ将棋協会の人々は)公言してはばかりません。私もそのことを、実は認めざるを得ません。正直いって、私よりも強い。>(米長邦雄『われ敗れたり』中央公論新社)

 現役のプレイヤーである棋士たちが、表立って米長の分析を肯定することはなかった。しかし米長の率直なこの発言は、ほぼ妥当な線を示していたと言ってよいだろう。実際のところ、米長に請われて米長宅を訪れ、ボンクラーズと対戦してみた多くの棋士が、ボンクラーズに敗れていた。

 第1回、および第2回電王戦に開発者として出場した伊藤英紀は、さらに踏み込んだ発言をする。伊藤は客観的なデータを解析した上で、コンピュータの実力は、既に人間側のトップである名人を超えていると公言して、はばからなかった。

 5対5の団体戦となった2013年の第2回電王戦では、コンピュータ側が3勝1敗1分と勝ち越した。両者の力関係が、すでに逆転していることを示唆する結果だった。

 第2回電王戦の全5局はそれぞれに見どころがあった。その中で、コンピュータの強さを示すという意味で特に1局をあげるとすれば、大将戦におけるGPS将棋の強さは、文字通りの圧巻だった。
 GPS将棋は東大駒場キャンパスの700台近いコンピュータをつなげた、大規模クラスタシステムを採用している。そして、名人位に続くトップ10の位置を占めるA級の三浦弘行八段(現九段)と対戦し、完勝といってよい内容で勝利を収めている。

 伊藤の発言は無礼であり、棋士に対する敬意を欠くものだ、という感情的な反発は、一部の人々から起こった。
 ただし「人間とコンピュータはどちらが強いのか?」というテーマについては、その後は多くの関係者が、伊藤に近い見解を示すようになった。最上位のコンピュータと人間が、何の制約もなく、両者が互いに最善の状況で対戦する場合には、コンピュータの側が勝ち越すのではないか、と。

 第2回電王戦の後、コンピュータと人間の「真剣勝負」は、新たな段階を迎えることになる。



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