サブタイトルは「「愛国者」たちの憎悪と暴力」。師岡康子『ヘイト・スピーチとは何か?』(岩波新書)がヘイトスピーチの定義や問題点、規制のための方策などを明らかにしようとしていたのに対して、こちらはヘイトスピーチを行っている者や、その現場を取材することによって、その問題点と、何よりもその「歪み」を浮かび上がらせています。

 この本を読んで強く感じるのは、ヘイトスピーチとそれを行なう人間、その周囲に広がる「歪み」です。
 師岡康子『ヘイト・スピーチとは何か?』では、ある種の「正義の枠組み」によってヘイトスピーチが断罪されていましたが、それに比べるとこの本は著者の実感から出発しています。
 著者はサッカーにおける韓国サポーターの過激な政治的言動に違和感を覚えていますし、ことさら歴史問題を持ちだしてもいません。
 実際のところ、2002年ワールドカップでの韓国戦をめぐる不可解な判定に疑問を持ったり、李明博大統領の竹島上陸に怒りを覚えたりする日本人は多いと思いますし、著者もことさらそういう感情を否定して日韓友好を訴えたりはしていません、

 しかし、それが在日コリアンへの罵詈雑言に結びついてしまうのが今の日本社会の大きな「歪み」です。
 例えば、李明博大統領の竹島上陸に怒りを覚えたのであれば韓国大使館の前などでデモをすればいいのですが、それが大久保や鶴橋、あるいは都心部などでの在日コリアンへの聞くに堪えない言葉の暴力に結びついてしまう。その「歪み」をこの本は改めて感じさせてくれます。

 この「歪み」の背景には、歴史的な在日コリアンへの蔑視などもあるのですが、それだけではありません。
 この本の冒頭では、2009年の4月に行われた「カルデロン一家追放デモ」の様子が紹介されています。不法滞在を理由に強制送還を迫られていたフィリピン人一家のことをマスコミがとり上げると、ネットを中心に逆に「処分は当然」といった書き込みがあふれ、ついにはカルデロン一家の住む住宅街や娘の通う学校近辺への突撃でもへと発展します。
 この「カルデロン一家追放デモ」は、現場への「突撃」という差別的デモのスタイルを確立したものでした。

 また、2007年に不法滞在の中国人が警察から職務質問を受け、もみあいとあり、身の危険を感じた警察官から発砲を受け死亡した事件がありましたが、警察官が告訴された公判では、「発泡されて当然だ!」といったプラカードを持った人々が集結したそうです。

 昔から、デモなどの社会運動は権力に抗議する目的で行われることが多かったのですが、これらの運動はむしろ権力側にたって、その行為を正当化する目的で行われています。いわば、弱者に石を投げるような行為です。
 しかし、やっているほうは権力の尻馬に乗っているという意識はなく、むしろ「被害者」として自らを認識しているケースが多いことに驚きます。
 
 この本では、ヘイトスピーチや排外デモ、排外的な言説を繰り返す人々にインタビューしているのですが、彼らの多くが自分たちを一種の「被害者」として認識しています。
 ほとんど「認知の歪み」と言ってもいいと思うのですが、この本でもこの「認知の歪み」はいたるところに顔を出します。
 例えば、著者は『嫌韓流』の作者である山野車輪にインタビューし、その「素朴で謙虚な人柄には好感を持っている」(209p)と言いますが、在日が何であるかわからなかったから怖かったが、最近そうでもなくなったといった後に続く、彼の次のような発言には唖然としたといいます。
 「在特会が、朝鮮大学に対してデモをかけたじゃないですか。あれで、ああ、大丈夫なんだ、と思いました。だって、朝鮮大学っって、朝鮮総連の幹部養成学校じゃないですか。そうしたところでデモをやるってことは大変なことだと思ったんです。でも、たいした妨害もなくデモは無事に終わった。これで大丈夫なのだ、在日は怖くないんだと理解しましたよ」(210p)

 また、別のところでは、在特会が京都の朝鮮人学校に行ったデモ(ヘイトスピーチ)の動画を見て在特会に入会した若者と話したあと、「彼にとって在特会とは、在日という「巨大な敵」に立ち向かうレジスタンス組織に見えるのであろう」(108p)と書いています。

 しかも、こうした「認知の歪み」を持つのは若者だけではありません。この本に出てくるのはまさに老若男女であり、貧困のはけ口にヘイトスピーチを行っているわけでもありません。「認知の歪み」がもたらす「正義感」からヘイトスピーチを行っているのです(個人的には、この「認知の歪み」をもたらした一端がTV局のビジネスがらみの「韓流推し」と、夕方のニュースで垂れ流される「北朝鮮ネタ」のコラボだったのではないかとも思う)。

 歴史認識やヘイトスピーチに対する法規制のあり方などでは、さまざまな立場があり、一概にどうのこうの言えるものではありませんが、この本を読めば少なくともヘイトスピーチの現場で現れている日本社会の「歪み」のようなものは多くの人が感じるのではないでしょうか?
 そして、この「歪み」が周辺的なものとして終息すればいいですが、この本の最後には在特会と関係をもつ与党の有力政治家の姿も描かれています。
 この本は、もちろん読んでいて楽しいものではないのですが、これからますます現れてきそうな「歪み」の症状に対処するために広く読まれるべき本だと思います。


ヘイトスピーチ 「愛国者」たちの憎悪と暴力 (文春新書)
安田 浩一
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