ゲオ内紛で追われた元会長、今度は2億相当の株を騙し取られる 跋扈するパクリ屋の手口
「パクリ屋」と呼ばれる連中が裏経済の世界に棲息していることを、ご存じだろうか。不振企業を食い物にするブローカーの一種だが、その手口はシンプルだ。文字通り、株や手形などを持ち主からパクってしまうのである。その生態を垣間見ることができる民事訴訟が現在、東京地方裁判所で行われている。
昨年12月下旬、レンタルビデオ店チェーン大手のゲオホールディングスで会長を務めていた沢田喜代則氏が、都内の調査会社関係者4人を相手取り損害賠償を求め裁判を起こした。その内容は、おおよそ次の通りである。
2011年12月、沢田氏はJR品川駅近くの喫茶店などでティビーエス調査センター(以下、TBS社)なる有限会社代表者らと面談を重ねていた。ほどなく両者は融資契約で合意することとなる。沢田氏が保有するゲオ株2500株を担保に差し入れ、TBS社から1億円を借り受けるというものだった。「株券譲渡担保融資契約書」によれば、期限は翌12年3月末までの3カ月間、利息は年6パーセントとされた。
ただ、この話は最初から少しきな臭かった。というのも、TBS社がゲオ株の預け入れ口座に指定したのは自社名義の証券口座ではなく、三田証券に開設されたジェイサイトという都内の会社名義の口座だったのである。それを裏打ちするものとして示されたのは、同月27日付でTBS社とジェイサイトが交わしたという「覚書」だった。
いずれにせよ、沢田氏はこの点にあまり不審を抱くことはなかったようだ。言われるまま、同氏は担保となるゲオ株をジェイサイト口座に入庫したが、肝心の融資金はなかなか振り込まれなかった。催促すると、12年1月6日に5000万円、同月10日に4000万円がやっと振り込まれてきたが、約束の1億円には1000万円足りない金額だ。
そうこうするうち、期限の3月末が近づいた。融資金を返済し、ゲオ株を返却してもらおうと、沢田氏はTBS社との間に立っていた仲介者に掛け合った。ところが、いつまでたってもゲオ株は戻ってこず、やがてTBS社の代表者らとは連絡が取れなくなってしまった。困った沢田氏は警察にも相談したようだが、まずは民事での解決を探るため、昨年末になり提訴に及んだというわけだ。とはいえ、被告のうち3人に対しては訴状すら送達されていない状況。住民票さえ当てにならず、居所が不明なのである。
●伏線
実は沢田氏が怪しげな融資話に引きずり込まれたのには伏線があった。
11年夏、ゲオは内紛に揺れていた。当時、沢田氏は代表権のある会長を務め、子飼いの森原哲也氏に社長を任せていたが、突然臨時株主総会の開催を請求され、社外取締役5人の増員を求められたのである。沢田体制に反旗を翻したのは、こともあろうに現職取締役の遠藤結蔵氏だった。遠藤氏はゲオ創業者である故遠藤結城氏(04年に事故死)の長男で、資産管理会社などを通じ約3割の株を握る、筆頭株主の座にあった。
内紛の発端は数々の不明朗取引にあったようだが、創業家御曹司による大政奉還の要求に沢田氏は浮き足立った。そんな中、対抗策の切り札として期待したのがMBO(経営陣による自社買収)による権力奪取だった。スポンサー候補は元ライブドアグループ幹部の藤澤信義氏が代表を務める投資会社ネオラインホールディングス。大証2部(当時)のJトラストも支配していた藤澤氏は、経営に行き詰まった貸金業者を次々と買収し、グループ会社間で複雑な資金移動を繰り返しながら債権回収を猛烈に進め、業容を拡大させていた。そんな中、レンタルビデオ店チェーンにも興味を示していた。
その頃、東京・三鷹にケイツーコーポレーションなる合同会社がひそかに設立されている。社員に就任したのはネオライン関係者と沢田氏に近いゲオ顧問の2人。関係者によれば、MBOの受け皿に想定された会社で、当時見積もられた必要資金は約700億円だったという。裁判資料によれば、そのうちベースとなる100〜200億円をネオラインが拠出する方向で話が進んでいた。
そうした中、MBOの資金集めのため接触した先のひとつが、くだんのTBS社だった。当初、TBS社は100億円を出す用意があると言っていたようだが、有力スポンサーに期待したネオラインはその後むしろ資金不足に苦しんでいる様子を見せ始め、結局、MBOは幻に終わることとなる。なすすべがなくなった沢田氏は同年12月21日、取締役を辞任せざるを得なくなり、ゲオを追われる身となった。
●パクリ屋の手口
それでもなお残ったのが、TBS社との融資話だった。融資がご破算になっては困るようなそぶりをTBS社が見せていたようだ。そこで沢田氏はとりたてて必要がないにもかかわらず保有株を担保に1億円だけ借り入れることにしたのである。しかし、それがとんだ災難を招く結果となった。
問題の融資話にはミソがある。この手の融資の場合、担保株の掛け目(評価)はかなり低いのが通例だ。当時のゲオの株価からすると、2500株分の時価は約2億円だから、問題の融資における掛け目は約5割だった。これを貸し手から見たらどうなるか。パクリ屋は、悪知恵を働かせてこう考えるわけである。担保に取った株を即座に市場などで換金すれば濡れ手で粟の大儲けが可能、あとは借り手の前から姿を消せばいいだけだ、と。
おそらくTBS社関係者は沢田氏から預かった担保のゲオ株を、市場で売り払ったものとみられる。というのも、同社関係者には似たような前歴があるからだ。じつは、一連の動きを主導していたとみられるTBS社の取締役の1人は、01年に起きたクレイフィッシュ(現e-まちタウン)株の紛失騒動にも深く関与していたのである。
その騒動も事の発端は内紛だ。クレイフィッシュは鳴り物入りで東証マザーズに上場したベンチャーだった。創業者の松島庸社長(当時)は史上最年少でIPO(新規株式公開)を果たし、しかもそれは日米同時上場という華々しいものだった。しかし、すぐに大株主である光通信との対立が深まり、松島氏は難しい立場に追い込まれることとなる。01年春、松島氏は光通信の保有株を買い取ろうと水面下で資金集めに奔走した。
そうした中、シンガポールで事業を手掛けているという経営者の紹介で、イーキャピタルなる都内の金融会社が現れた。同年4月、松島氏は行きがかり上、イーキャピタルからまずは2億円を借りることとなった。担保に差し入れたのはクレイフィッシュ株1000株。担保掛け目は4割だ。当時は株式が電子化されていなかったため松島氏は株券を持参、初回交付分として1億円の現金を受け取った。ところが、残る1億円は仲介者による受け取りの有無すら確認できず、やがて株券も別のブローカーの元に流れてしまい、その後にそれも行方不明になってしまった。
この時のイーキャピタルの代表取締役こそが、TBS社の取締役と同一人物なのである。その人物は02年頃、グロース・ファンド・パートナーシップ・インクという外国企業代表を名乗り、やはり個人投資家から担保にとった株券をどこかに溶かしてしまっている。また、03年には日本ファーネス工業(現NFKホールディングス)のエクイティ・ファイナンス(新株発行を伴う資金調達)に関与し、もともと協力関係にあったブローカーから預かった大量の新株を無断で売り払うようなこともしている。
もはやパクリ稼業の常習者ともいえるその人物は1948年生まれで、もともとは名古屋市内で会社を経営していたが、93年に破産。その後、96年に上京し、身を寄せた先は中江滋樹氏だった。中江氏は80年代に投資ジャーナル事件を引き起こし実刑判決を受けた兜町界隈の有名人で、90年代半ばに復活し三井埠頭などを裏で仕切ったが、98年4月末になり突如失踪してしまったことで知られる。
パクリ屋は株式だけでなく、手形や小切手なども闇に溶かす。20年も前から連綿と続くその人脈は、今もどこかで新たな餌食を探しているはず。「あなたの株を担保に資金を融通しますよ」――。そんな話を、オーナー経営者は、よくよく疑ってかかったほうがいい。
(文=高橋篤史/ジャーナリスト)