県民が基地誘致を
そもそも、沖縄が日本に返還される際に、域内では復帰反対運動が起きるほど親米ムードが残っていました。沖縄財界は復帰1年前の1971年、全国紙に沖縄復帰尚早の意見広告を掲載しようとし、慌てた総理官邸は官房長官を沖縄に派遣し、「控えてくれ」と説得したほどです。その説得材料として特別措置法が設けられ、地元企業への法人税減免が時限立法化されました。いまでも県内酒造会社に限って、延長適用されています。 「米軍基地は沖縄県民が望んだわけではない」という言い分も嘘です。
たとえば、普天間基地移設予定先のキャンプ・シュワブ。基地所在地辺野古地区は現在、合併して名護市になっていますが、もとは久志村という村でした。その村議会は満場一致で誘致を可決、全議員が署名捺印したうえ、村長が3回も陳情を繰り返して1959年10月にようやく誘致を実現したのが真相です。
うるま市のキャンプ・コートニーも、誘致運動によるものです。1983年にいったん返還されたのですが、市民(地主側)が陳情し、返還の1日後にまた土地を米軍に再賃貸したのです。
この二つの例を見ただけでも、翁長知事が主張する「沖縄県民は一度たりとも基地用地を自ら差し出したことはない」ということが嘘だとわかるはずです。
とにかく沖縄県民は歴史を忘れやすい。戦前にもこんなことがありました。
廃藩置県が行われた際、琉球王府を牛耳っていた中国帰化人子孫たちがそれに反対し、沖縄近代化の妨害をした。そこで明治政府は県知事として、奈良原繁(薩摩藩士)を送り込んで民主化を成就させました。
奈良原は16年間、知事を務め、離任時には「沖縄振興の最高功労者」として銅像も建立されました。ところが戦後、沖縄の歴史は改竄され、奈良原は県民を差別弾圧した代表的な悪党のように言われている。現在、銅像も台座しか残っておらず、某新興宗教がその上に妙な像を建ててしまった。
奈良原であれキャラウェイ中将であれ、沖縄県民は恩を、もっと言うなら歴史を非常に忘れやすい欠点があると言えるでしょう。
翁長知事は「粛々と」を「上から目線」だと批判していますが、現在、泡瀬干潟埋め立てについて県を被告に住民訴訟が行われています。県が勝訴したのですが、その際、翁長知事は「粛々と埋め立て工事を進める」と発言していました。本人はそのことをどう思っているのでしょうか。やはり忘れてしまったのでしょうか。
また、サンゴが破壊されたと大騒ぎしていますが、基地移転と同時並行で進められている那覇空港の第二滑走路埋め立て事業でも同じことが行われているのです。反対運動どころか、こちらは全く言及されません。
ずっと中国にシグナルを
では、翁長知事自身は基地をどうすべきだと考えているのか。落としどころが非常に難しい。
いまさら回り始めた反日反米のはずみ車を止めるのはできないでしょう。それに、知事を応援して当選させた共産党から24時間監視されている。もし国に妥協しようものなら、すぐさま失脚させられることでしょう。
翁長知事は、かつては沖縄の自民党県連の幹事長を務めており、普天間基地県内移設を推進した第一人者でした。それがあることを境に、急に親中に傾いていったのです。
大田昌秀県政の時に沖縄県が出資して、中国福建省に「福建・沖縄友好会館」の建設を推進しました。94年10月から着工、完成まで3年3カ月を要しました。当初は予算5000万円だったのですが、中国側から、やれ「人件費が上昇した」、やれ「材料費が高騰した」という要求で建設費増額を迫られ、最終的には10倍以上の5億5000万円にまで膨れ上がり、所有権すべてが福建省政府に詐取されてしまったのです。
当時、私は県議会議員だった翁長氏とは懇意にしており、この件の資料提供を受け、月刊誌に真相を公表しました。翁長氏自身も、議会で県執行部を追及していました。
ところが、この直後に彼は左傾化、親中派になっていった。なぜか。中国で消えたこの5億5000万円と関係があるのでは、と私は睨んでいます。
当時、このプロジェクトを強行した中国帰化人子孫の副知事は任期満了し、その後に県知事選に出馬しましたが、多額のキャッシュを持っていました。とても副知事だけで稼げる額ではない。つまり、翁長氏も中国式マネーロンダリングに魅了されてしまったと思われます。
翁長氏は4月11日から15日まで河野洋平氏とともに北京に行きましたが、実は知事になって最初に北京に行くつもりだったのです。しかし、さすがに身内からも「本土を完全に敵に回すことになる。それはまずい」と反対意見が出たのでいまになった。河野氏と一緒に行くのは、いわば隠れ蓑でしょう。
翁長氏はずっと中国にシグナルを送り続けている。たとえば那覇市長時代に沖縄振興一括交付金を活用して、若狭の波之上臨港道路沿いの若狭緑地に中国臣下のシンボル「龍柱」一対の設置を推進していました。また市長時代の2013年6月に、那覇市内の公園に儒教の創始者である孔子を祀った霊廟「孔子廟」を中国帰化人子孫集団に設立させたのです。その公園も、11億4386万円投じて新たに市が用地を取得造成したものです。
おそらく、今後も中国関連の施設が続々と建設されていくことでしょう。最終的には中国領事館を誘致して那覇市の一区画を治外法権化するのでは、と私は見ています。