戦後日本の安全保障政策に大転換を迫る安保関連法案がきのう、衆院で審議入りした。
計11本に上る関連法案は複雑多岐にわたる。各法案の細部に至るまで、徹底的な審議が必要なのは言うまでもない。
ただその前に与野党に求めたいのは、自国の安全確保や国際平和への貢献のために、日本はどうあるべきかという骨太の議論だ。
それを明確にすることが安保法制議論の土台になるからである。
安倍晋三首相のこれまでの国会対応は誠実だったとは言い難い。
安保政策は国民の十分な理解と納得の上に成り立つことを肝に銘じ、誠意ある答弁を求めたい。
今回の安保法制の出発点は昨年7月の閣議決定だ。
歴代内閣の憲法解釈を変え、集団的自衛権の行使を容認した。海外での武力行使に道を開くものであり、平和主義の放棄に等しい。
中国の軍事的台頭など日本を取り巻く安保環境の変化に対応するためには、日米同盟を強化して抑止力を高める必要があるというのが政府の言い分だ。
だが戦後日本が戦争に巻き込まれず、曲がりなりにも平和を維持してきたのは、日米同盟の抑止力があったからというより、憲法の歯止めがあったからではないか。
日本の非軍事分野での貢献は国際社会で評価され、それが外交上の発言力の裏付けになっている。それを手放せば、日本や世界の平和にむしろ逆効果にならないか。
こうした議論をする上で欠かせないのは、閣僚、国会議員双方の真摯(しんし)な姿勢である。
首相はきのうの国会答弁で「海外派兵は一般に憲法上、許されない。武力行使の新3要件のもと、集団的自衛権を行使する場合でも全く変わらない」と述べた。
だが政府は先に、新3要件を満たせば他国領域での武力行使が「許されないわけではない」とする答弁書を閣議決定している。
菅義偉官房長官や中谷元・防衛相は敵基地攻撃も可能との見解まで示している。首相の発言は明らかにごまかしだ。
首相は、野党が「自衛隊のリスクが増える」と指摘していることについて「木を見て森を見ない議論だ」と批判した。
だが自衛隊員が戦闘に巻き込まれ、殺し、殺される危険が増すか否かは決して枝葉末節の問題でなく、国のあり方にも関わる重要な論点だ。首相がそこを明確に語らないのも、やはり不誠実である。