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2015年05月28日

FIFAのお偉いさんがまとめてしょっ引かれた件

ニュースが多すぎて本当にわけがわからないのだが、少しずつ。

総会のため宿泊していたスイスの高級ホテルに明け方に当局が踏み込んで(米国からの依頼でスイス当局が動いた)、FIFAのお偉いさんがまとめてしょっ引かれ、米国に身柄送致される予定、という衝撃的なニュース。発生してしばらくはFIFAのスポークスマンも何が何だかわけがわからない状態だったようだが、数時間のうちに米司法当局が会見を行って、何が何なのかくらいはわかるようになった。

まさに映画のような、「前々から計画されていた急襲」+「電光石火」+「段取りのよい記者会見」で、これが「米軍特殊部隊の人質解放作戦」などではなく「平和的な身柄拘束」(現場にいたNYT記者の言葉)であることで、素直に「映画みたい」と言える気がする。しかもこれを可能にしたのは「司法取引でFBIが自陣に引き入れたFIFA役員が、キーホルダーに仕込んだ盗聴器でひそかに身内の会合を録音したこと」だったとか、これ、そのまま映画になるんではないか。製作はジョージ・クルーニー。主演はベン・アフレック。(<それ、違う映画)

米国での訴追は「CONCACAFでの不正を軸に調べてたらFIFAの不正もぞろぞろ出てきた」+「その不正行為の舞台が米国」ということのようだが、それとは別に、スイス当局が同時にFIFAそのものの不正(2018年と2022年のワールドカップ開催地選定をめぐり)を捜査しているとのことで、これはしばらくドラマが止まりませんよ。

とりあえず、何が何やらわけがわからなかった段階からの記録。

米FBIが、贈収賄容疑などでFIFA役員らを何人も逮捕。会長選挙まであと48時間というタイミングで
http://matome.naver.jp/odai/2143270611007230701


スイスのチューリヒのホテルに、スイスの私服警官(みなさん、ジーンズにポロシャツにバックパックといういでたち)が踏み込む現場に、NYTの記者が複数張っていて、逮捕劇を実況ツイートしていたとか、「メディアの取材合戦」的な側面からも興味深いですね。

リネカーのコメント。まあ、言いたいことを言っているだけ(実現の見込みがあるとかではない)だと思います。




何人もが書いているのだけれど、ブラッターのやり方というのは、まさに「独裁国家」の「独裁者」のあり方そのものなんですね。こびへつらっておこぼれをもらっているのも、"「独裁者」に群がる高級官僚" みたいなもの。

その点に関して、ブルームバーグが4月に長文記事を出してました。読む価値あり。

A League of His Own
How Sepp Blatter controls soccer
By Tariq Panja, Andrew Martin, and Vernon Silver | April 30, 2015
http://www.bloomberg.com/graphics/2015-sepp-blatter-fifa/









posted by nofrills at 12:00 | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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記事を読んでくださってありがとうございます。
個別のご挨拶は控えさせていただいておりますが、
おひとりおひとりに感謝申し上げます。




なお、ここに貼ってあったZenbackは2015年2月19日にコードを外しました。今後は検討中です。


【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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